Column

Vol.3 飯嶋桃代 – 卵を抱けない鳥たちは ——根岸外国人墓地と産婦人科医院

数年前に横浜市の山手駅近くの小さな平屋にアトリエを移動した。私は14歳までこのアトリエの近くに家族と住んでいたが、父の他界に伴い母の実家の東京に引っ越していた。30年ぶりに故郷はどんなふうに変わっているのかしらとGoogleマップをひらいた。山手駅は改札の位置が変わったなー。大和町商店街の小鳥屋はもうなくなっているのね。などとみていると、ふと小さな墓地を発見した。「根岸外国人墓地」とある。こんなところにお墓なんかあったかしら?あの観光名所の横浜外国人墓地とは別の外国人墓地?

そんな小さな好奇心からこの墓地にまつわる調査を始めた。そんなおり、ふとしたきっかけから映像作家の斎藤英理ともにリサーチをともにすることとなった。その後、戦後の「混血児」と呼ばれる人々の歴史、ひいては現代に生きるミックスルーツの人々の現状にまでリサーチは広がり、そのリサーチをもとにした展覧会「煙が消えるその前に」を2025年4月に横浜市民ギャラリーで開催した。私はこの墓地に眠る「混血児」と呼ばれた嬰児たちに想いを馳せる彫刻作品を3点制作し出品した。この話は機会があればまた。

「根岸外国人墓地」は山手駅のほど近くにあるこぢんまりとした墓地である。むき出しの赤土の丘の斜面に段々畑のようにポツポツとお墓が建ち並んでいる。この墓地には第二次世界大戦後に進駐軍と日本人女性との間に生まれた、通称「GIベイビー」の嬰児たちが 800体から900体ほど埋葬されているといわれている。以前の墓地は荒廃しており藪の中に「GIベイビー」のものと思われる木製の白い十字架がびっしりと立ち並んでいたそうだ。終戦後、横浜外国人墓地に「混血児」の遺体が遺棄される事件が多発し、そこには新規に埋葬する場所がなかったため、当時の管理人がこれらの遺体を根岸外国人墓地へ移送し埋葬したというのである。しかし、これらの逸話はすべてオーラルヒストリーによるものだ。また、この墓地は横浜市営となっているが、横浜市としては資料が現存していない手前、正確なことは明言できないとして、この逸話に対しては否定的な対応をとっている。

つい先日まで敵国だった兵士の子供を日本で出産し養育するのは困難を極めた。その中には米兵による幾多のレイプ事件による望まぬ妊娠もあった。また、進駐軍の父親が妻と子供を捨てて自国へと帰還してしまうケースも多発した。そのような要因で、やむにやまれず闇夜に紛れて街角にそっと我が子を置き去りにする姿は想像に難くない。確かにこの墓地にまつわる事実はわかりかねる。しかし、電車の網棚に新聞紙に包まれて捨てられた子供。桜木町付近の電柱に括り付けられて捨てられていた子供。横浜外国人墓地に捨てられた子供。旧横浜一般病院の前に捨てられていた子供。。。これらは全て「混血児」の嬰児たちである。聖母愛児園やエリザベスサンダースホームなどの混血孤児院に保護されたケースもあるが、その中の幾ばくかの子供は横浜の空の下で命を引き取り、この町のどこかの土の中で眠り続けていることだけは確かなのである。

私の祖父と父は横浜市の野毛町で戦前より産婦人科医院をしていた。幼い頃、その医院に遊びに行き、生まれたての嬰児が保育される新生児室をよく眺めていた。きっとこの子たちは私が絵本で読んでいたメーテルリンクの『青い鳥』の中に出てくる「未来の王国」から船に乗ってきた子供たちなのだと勝手に信じていた。「未来の王国」にはこの世に生まれ出てくる子供たちが、自らの運命を小袋に入れて待機している。新生児室の嬰児たちは力の限りにその小さな手を握りしめて「ただいま運命を携えてやってきましたよー!」と泣いている。そんな幼い記憶が舞い戻るとともに、生まれた瞬間から肌の色や瞳の色で運命を翻弄された「混血児」と呼ばれた彼らの小さな手には、一体どんな運命が握られていたのだろうと考えるようになった。

また、医院のあった野毛町は戦後に闇市として栄え、進駐軍に接収されて通称「カマボコ兵舎」と呼ばれる単身住居が建ち並ぶ伊勢崎町とは目と鼻の先である。伊勢崎町には進駐軍の男性をとりかこむ日本人女性でたいそう賑わったそうである。そういう意味では時代的また場所的にも、祖父はおそらく「混血児」の出産と中絶に関わっていただろうという推測もリサーチに弾みをかける要素となった。

確かに産婦人科医とは奇妙な仕事である。時に命の誕生を手助けし、時に命を摘み取る。そういう意味では天使でもあり悪魔でもある。しかし、そうした医師たちもまた時代の大きなうねりの中で揺れ動いてきた。

第二次世界大戦開戦後の1940年には「遺伝性疾患の素質を持つ者」に対する不妊手術を合法化し、一方で「健全なる素質を有する者」には中絶を強く制限し、総力戦体制下での「産めよ殖やせよ」に対応した国民優生法が施行された。そして終戦後の1948年には、その優生思想を強化する形で引き継ぎつつも、経済的理由による中絶を合法化した優生保護法へと改正された。この制定の背景には、進駐軍により強姦された女性や食糧難下で妊娠した女性たちの間でヤミ堕胎という不適切な処置による堕胎の横行も要因とされている。このように中絶が合法化され、復員による人口増加への対策もあり産婦人科医院は中絶を希望する女性たちで連日あふれていたという。もはや院内だけでは対応しきれず、祖父の病院裏にあった自宅まで解放され、父や叔母の子供部屋も待合室として使われたそうだ。その中には、いわゆる「GIベイビー」を身ごもった女性たちも少なくなかったであろう。戦後のベビーブームの背景にはこのような日の目を見ない多くの子どもたちがいたのだ。国家再建と人口統制そして家族の再構築は、切っても切り離せない関係にあったのだと改めて思う。そして産婦人科医もまた、この時代の荒波に翻弄された一市民に過ぎなかったのだ。

大和町商店街の小鳥屋はもうない。
よく父と一緒に文鳥を買いに行った。庭に父が日曜大工で作った大きな鳥小屋があり、そこに文鳥を紙箱から取り出して解き放った。小屋の背景板には、父と一緒に描いた花咲く丘の絵が広がっていた。鳥はたくさんの卵を産んだ。しかし、一羽たりとも羽化することはなかった。親鳥は全ての卵を巣から落としてしまう。「パパ、赤ちゃんの専門家でしょ。どうにかしてよ!」と駄々を捏ねようにも父は床に落ちた卵をそっと箒で掃き集めることしかできなかった。

後日談

このような「GIベイビー」と呼ばれた人々のサーチを重ねるうちに、横浜の戦後史にもしだいに関心を抱くようになっていきました。そうした流れの中で、横浜市において長年アート事業を展開してきたBankART1929が主催する「 ExPLOT Studio」に、7月より入居しています。ここでは、これまでのリサーチ活動にさらなる広がりを持たせることを目的としています。

先日、BankARTのコーディネートにより、私が「根岸外国人墓地」のリサーチを進めるうえで大きな学びを得た書籍『天使はブルースを歌う』の作家・山崎洋子さんと対談させていただく貴重な機会をいただきました。

山崎さんは、横浜にまつわる歴史や史実をもとに、ミステリーやノンフィクションを執筆されている作家です。インターネットが今ほど普及していなかった時代から、地道な調査を積み重ねてこられた方であり、その姿勢には深い敬意を覚えました。

特に印象的だったのは、横浜の歴史のなかでも、社会のアンダーグラウンドに生きた女性たちに焦点を当てている点です。対談ではご自身の生い立ちを振り返りながら、弱者としての視点から横浜の「闇」と向き合おうとする姿勢が語られ、強く心を動かされました。

「根岸外国人墓地」にまつわる逸話は、オーラルヒストリーによって語り継がれてきたため、民話や都市伝説のような側面も含んでいます。しかし、山崎さんも私も、この墓地をテーマとするクリエイションが、その背後に広がる戦後の史実を読み返す契機となることを願ってやみません。

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下地ローレンス吉孝『「混血」と「日本人」 ―ハーフ・ダブル・ミックスの社会史』(青土社)
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山崎洋子 『天使はブルースを歌う――横浜アウトサイド・ストーリー』(亜紀書房)
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【執筆者プロフィール】

いいじま・ももよ|アーティスト。「煙が消えるその前に」横浜市民ギャラリー/ 神奈川(2025)、「TAMA VIVANTⅡ 2021 ̶呼吸のかたち・かたちの呼吸」多摩美術大学/ 東京(2021)「暗くなるまで待っていて」東京都美術館/ 東京(2021)
2022年よりミックスルーツや戦後の混血児問題を調査。現在は神奈川県内の「敵国人」抑留史を美術で可視化するリサーチと試作に取り組む