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2004年、横浜市の創造都市構想のリーディング事業として始まったBankART1929は、歴史的建造物や港湾倉庫等を文化芸術活動の拠点として活用し、移転を繰り返しつつも、都市とアートを開く活動を継続してきました。しかし2024年11月に横浜市から発表された、2025年度以降のBankART Stationの場所(新高島駅B1F)の運営者公募にBankART1929は採択されず、来年度から市の補助金が打ち切られることが決定、BankART Station 及びKAIKOは今年度末をもって終了することになりました。 20年にわたる横浜市との関係性を変えざるを得なくなった現在の課題として、3月末までに既に決まっている事業を展開しながら2施設を完全撤収するために荷物の移動先と資金を自前で調達しなければならないこと、同時に来年度以降の活動拠点と経済構造を急ピッチで再構築しなければならない、という差し迫った状況があります。
現在のBankARTはこれまで活動を共にしてくれたアーティストやクリエイター、関係者や観客の皆様方とともにつくってきた運動体です。その蓄積を未来につなぎ、さらに自由に拡がっていくため、芸術活動やまちづくりを大切にしている多くの方々と共に活動継続していくために、初のクラウドファンディングに挑戦します。このピンチをチャンスに変えるべく、ご支援の程よろしくお願い致します。
〈1次目標〉 1,000万円
BankART StationおよびBankART KAIKOの撤去費用の見積時点での不足金額
内訳:
荷物[什器や機材、出版物、事務資料など合計約400平米分]の保管先の家賃
搬送用トラック費および運搬作業の人件費
上記2施設の現状復旧費[自主および指定業者発注分を含む]
〈ネクストゴール〉
来年度以降の活動資金
新たな活動拠点の確保および運営費
その他、状況により使途が明確になった時点で、都度支援者に向けてご報告します
今回は様々な意味で余裕がないこともあり「寄付型クラウドファンディング」としており、現時点で返礼品などの用意はありません。ですが、ご支援いただいた方々に向けては随時進捗状況などをお知らせさせていただきます。また、次の体制が整ってきた時点で、お礼となるようなものを考えたいと思います。
寄付金以外にも、ご支援いただきたい内容がありますので、以下にその項目をあげました。
可能性があるかもしれない、などの情報提供でも構いません。
(1) 荷物の移動先(倉庫、空き空間など)
荷物の内容は、書籍、機材、備品、書類、材料、道具、家具など。
合計で400平米程度分の荷物があります。1つの場所で400平米でなくても、いくつかの場所に分散も可能なので、もっと狭い空間でも問題ないです。
場所は横浜近郊であるとありがたいですが、遠方でも可能です。
その空間によって何を置くかを検討します。屋外でも可能です。
費用は無償だとありがたいですが、有償の場合はこのクラウドファンディングで集まった費用で賄います。
使用期間は、最低1年はあるとありがたいです。
(2) 3月を中心とした運搬アルバイト
荷物の移動作業を手伝っていただける方を大募集します。
(3) 2025年度以降の仕事の機会
美術系、まちづくり系、建築系、どんなことでも構いません。
古い建物や未利用空間の活用、企画コーディネート、展示企画制作、屋内外でのイベント、編集デザイン、リサーチ、相談業務、講師や登壇の依頼、原稿執筆、壁や什器制作、壁面塗装など、これまでの蓄積をいかした活動機会がございましたらぜひお声がけください。
まだ具体的になっていない段階でのご相談も大歓迎です。まずはご相談ください。
(4) 本格的な活動拠点となるような空間とロケーションに恵まれた場所
これまでの活動経験から、例えばBankART Studio NYKのような、空間とロケーションに恵まれた場所での活動展開を模索しています。オルタナティブスペースとして実験的な活動ができる場所、都市のサードプレイスとして機能するような場所、周辺の環境に呼応するような活動ができる場所、常設の美術館のような良質の作品がいつでも見られる場所、そのような、その場所やその建物にあわせて、みなさまに愛される空間をつくっていきたいと思っています。
情報提供をしてくださる方は、以下のフォームよりご連絡いただけますと幸いです。
※上記の新しい動きなどは、随時更新いたします。
2025.2.5
横浜市の公募の不採択通知とほぼ同時期にいただいたお仕事のひとつに「瀬戸内国際芸術祭2025」の高見島のディレクションがあります。高見島の公開は秋会期(10月3日から11月9日まで)、テーマは「高見島アートトレイル」としました。先日、引っ越しの合間を縫って参加作家と現地下見に行ってきました。どんな物語を紡ぐことができるか、ぜひご期待ください。
■ 瀬戸内国際芸術祭2025
高見島プロジェクト「TAKAMIJIMA ART TRAIL 高見島アートトレイル」
ディレクション:BankART1929
会場:高見島(香川県多度津町)
会期:秋会期|2025年10月3日[金]〜 11月9日[日]
https://setouchi-artfest.jp/
2022年までは京都精華大学の教員、学生、卒業生を中心に展開されてきた「高見島プロジェクト」。今回はBankART1929が引き継ぐ形で高見島での展示をディレクションする。テーマは、浦集落の自然石を積み上げた石垣沿いに続く細道を楽しむ「TAKAMIJIMA ART TRAIL - 高見島アートトレイル」。大室佑介、中谷ミチコ、橋本雅也、保良雄、淺井裕介、谷本真理、泉桐子、BankART1929+PH STUDIOが参加を予定している。
もうひとつの展開は、もともとBankART Studio NYKのライブラリーに蓄積されていた美術、建築、まちづくり系の書籍を秋田県美郷町の「北のくらし研究所」に、本格的な雪のシーズン直前の昨年末に一旦運び込ませていただいたことから始まりました。「北のくらし研究所」の和井内京子さん、宮尾弘子さん、また彼女たちとつながる東北方面のネットワークから「旅するBankART Library」の企画が生まれつつあります。こちらも具体的な動きが固まり次第、またお知らせいたしますので、ご期待ください。
https://kitanokurashi.jp/
2025.2.5
クラウドファンディングでも資金とあわせて情報提供をお願いしておりましたうちのひとつ、当面の荷物の移動先が、横浜市内で確保できましたことをご報告いたします。これで3月末までに撤去しなくてはならない荷物の一旦の移動先が確保できました。ただし、使用期限は今年12月までとなっているため、一旦移動の後、荷物を整理して廃棄や譲渡などをして総量を減らし、また別の場所に移動しなくてはなりません。それでもいっときの保管場所がみつかったことは大変ありがたいです。
12月以降の保管場所については引き続き、検討中です。
本格的な活動拠点となるような場所も引き続き探しています。また拠点がない状態でも、街中展開やプロジェクトなど、BankARTのこれまでの蓄積を生かした活動の場も、引き続き求めています。
2025.1.31
BankART StationおよびBankART KAIKOを今年度末で完全撤収することになったことを機に、アーティストの方たちが、BankART Stationでの最後の展覧会を企画してくださいました。 その展覧会の参加者募集のお知らせです。
申込締切: 2025年2月23日[日] 23:59まで
「アライブ!展」 開催概要
日時:2025年3月22日[土]・23日[日] 13〜19時
会場:BankART Station
主催:「アライブ!展」実行委員会
共催:BankART1929
2024.12.31
クラファン開始早々より皆様のご支援ありがとうございます。来年度の事業のひとつにつながる重要なイベントのお知らせです。 本年度、BankARTは(株)横浜都市みらいと共同し、みなとみらい21地区の「PLOT48」においてアーティストシェアスタジオ『ExPLOT Studio』の実証実験を行なっています。事業スキームや経済的な目処をブラッシュアップしていくとともに、ここでのイベントやこの場所の認知度の向上などが実証実験の成果となり、来年度以降「ハンマーヘッドスタジオ」や「北仲BRICK & WHITE」のようなシェアスタジオを本格展開できる可能性へとつながります。 2025年1月10日(金)18時30分より、そのキックオフイベントを開催します。当日は台北市横浜市芸術家交流事業で同スタジオにて活動する鄭文豪氏のウェルカムパーティも同時開催します。皆様お誘い合わせの上、ぜひお越しください。
2024.12.27
日時:2025年3月22日[土]・23日[日]
BankARTのこれまでの歩みを祝うとともに、未来への希望を込めたアートイベントを開催します。本イベントは、アーティスト有志による作品の展示販売を中心に行い、売上の一部をBankARTの活動資金として寄付いたします。
作品を通じて文化を支え合う場として、これまでBankARTに関わってくださった方はもちろん、まだ訪れたことがない方、すべてのアートを愛する人々のご来場をお待ちしています。
なお、2025年1月以降に出展作家の募集を開始し、改めて展覧会の詳細をご案内いたします。
アーティスト有志実行委員会(仮)
池田修のBankARTは、終わった。
今回の決定で、こんな早急に場所を撤収しなければならなくなったことが分からない。
20年間やってきた事を、数ヶ月で追い出す横浜市にも既に未練はない。
これからは横浜にこだわる事なく、自由に場所を変えて、いろいろな企画をしていけばいい。
そしてその後の活動は、自分たちの範囲内から行なっていく。
池田くんの残した道から大きく逸れていってもいいだろう。
何故なら既に動いてきた経験があるから。
例えば、ロンドンで活動するアートエンジェルの様に、最初に場所も資金もないところからアーティストのアートプロジェクトを立ち上げる。そこから場所や資金調達を行い、スタッフを集めてプロジェクトの実現に向けて動いていく。そんな活動の方法だってある。
村田くんがやっているBankART Schoolだって、横浜でなく、中目黒の居酒屋でやってもいいだろう。ここで池田くんは、私にBankARTの最初の構想を話してくれたわけだから。
まずは、今あるスペースの撤収に資金がいるとのこと。それで寄付を集っている。
ぜひ協力をお願いしたい。
川俣正(美術家)
川俣 正 「Expand BankART」
(BankART Studio NYK / 2012-13)
一昨年、神奈川大学では「横浜建築」という講義科目ができました。
最終回のテーマが「創造的な界隈をつくる」というものです。学生を前に話をするたびに、2005年の春、後に北仲ブリック&ホワイトと命名される暫定的な活動拠点のことを相談して下さった池田さんの姿が目に浮かびます。
創造的な界隈をつくるための、実質的なはじまりです。
このことをはじめ、BankARTの関心は固定的な居場所に縛られていませんでした。むしろ暫定利用とか場所の移動を楽しんできたと言っていいでしょう。だからこそ、これだけ多様なかたちで都市とアートを繋ぐ活動が継続されてきたのです。いま横浜にある創造的界隈の質は、こうして生み出されたものです。
BankARTの活動はこれまでの固定的な居場所から解放されることになりました。創造的な界隈ももっと広がることになるだろうし、都市とアートを繋ぐ活動も新たな挑戦に向かい合うことになるでしょう。寄付を含めて活動の継続を応援することで、BankARTの新しいフェーズに向けた気運を一緒に高めていこう。
曽我部昌史(神奈川大学教授 みかんぐみ共同主宰)
北仲BRICK & WHITE 写真:鈴木理策
横浜の文化芸術シーンを牽引して来たBankART1929。
歴史的建造物を舞台にした多様な活動は、アーティストの育成だけでなく、街全体の活性化にも力を注いできました。
今回のファンドレイジングは、そんなBankARTがステージを変えていく大きな一歩です。
皆様の温かいご支援が、より豊かな文化づくりへと繋がります。
一緒に、BankART1929の未来を見ましょう!
開発好明(アーティスト)
「雨ニモマケズ(singing in the rain)」展
(BankART Station / 2019)
ピンチをチャンスに!!BankARTは私が作家活動を始めた20代前半の最初期から関わりがあり、目まぐるしく変化を続ける都市の抜け穴を伸びやかに軽やかに(時に泥臭くも?)縫うようにして築き上げてきた膨大な功績、その姿にはいつも励まされ背中を押されていたように思います。
他に類を見ない生き物のように変化を続けるBankARTの新しい旅立ちと挑戦、さらに自由に楽しいものになりますように!応援します!!
淺井裕介(アーティスト)
BankART Stationでの制作(2023)
BankARTを始めて知ったのは私がまだ韓国に住んでいた10年も前でした。アートに関して素人だった私でしたが、BankART Studio NYKで植物で作られた巨大なインスタレーション作品を観て胸が震えるほど感動した経験はいまだに生々しく覚えています。
2024年企業のプロジェクト依頼を受けたBankARTから連絡を頂き、神奈川公園にある68.5mの仮囲いに絵を描く光栄な機会がありました。スタッフの皆さんと一緒に仕事をしながら、これからもアーテイスト支援を通じて、地域の人に積極的にアプローチしていきたいというバンカートの意思を聞かせてもらいました。
それは20年も横浜をベースに実力を証明してきたからこそ実現可能なプロジェクトであって、これからが本番なのに活動場所と資金がいきなりなくなってしまうのはあまりにも胸が痛いことです。私はまだまだBankARTの心に刺さるプロジェクトが観たいです。
BankARTは今のスペースの撤収作業や新しい場所を見つけるのに資金が必要です。
クラウドファンディングは3月31日まで継続しますが、皆さんのご協力をお願いします。
キム・ガウン(アーティスト)
《夢を描く人たち》キム・ガウン(神奈川公園内工事仮囲い[68.5メートル]2024年から約8年間展示)
ご存知の方も多いことかと思いますが、横浜の芸術文化を牽引してきたBankARTの活動は、現在、大きな変革期をむかえています。
BankARTは、今まで何度となく外的要因で場所を変えることを余儀なくされながらも、新たな場所を獲得し、表現者たちの活動の場を構築してきました。また、それぞれの場所の特性を生かし、地域に対し開いてゆくという事を工夫・実践しながらアートをきっかけとして広く様々な人々との出会いを生む場としても機能してきました。
今までは、横浜市との協定のもと共に協働してきたわけでしたが、こういった後ろだてを失ったこれからの事をバンカートスタッフやアーティスト、バンカートファンはどう捉えているのか、私は気になって落選直後のある夜、BankART Stationに行ってみると、静かに賑わっていました。意外に明るく、これからの事や今までと違った可能性を口にしている人もちらほら。
実は私も客観的には、違った可能性を求めてゆくには悪くないタイミングではないかと無責任にも考えていたのでした。
そもそも、と言うか毎度毎度チャレンジしながら歩んできた池田修さんと細淵太麻紀さんらPHスタジオを核として始まったBankARTなのだから、チャレンジは普通のことに違いない。
度々訪れる不利な状況からでもわずかに残っている可能性の芽を見つけ、それをポジティブに育てて行くことから新しい可能性を開いてゆく力がBankARTにはあるのです。まるで生き物のよう。
とはいえ、今回の状況は厳しい。ここ数か月で、予定していた業務をこなしながら、引っ越し先、いや、展示什器や作品、書籍など大量の所有物を移設保管するための場所を確保し、3月末までにStationを引き払わなければならないのです。個人の住居レベルだとしても大変な事です。夢と展望は描けてもまずは越えなければならないハードルが目前です。移設移転のための公的補助金はありません。
そこで、このクラウドファンディングを始めることになったわけです。国立美術館、博物館ですらクラウドファンディングをしなければならないというご時世、この事が良いのか悪いのかは言うつもりはないですが、この国の情けなさは感じずにはいられません。
さて、BankARTではどうかというと去年の暮、募集開始後24時間ほどで250万円を超えたのをみると、野次馬のような私でも、いかに地域で必要とされ、愛されているのかを改めて感じ、とても感動しました。私も微力ながら協力いたしました。
第一目標の1千万円は、荷物の引っ越し先確保と引っ越し費用だそうです。詳しくはクラウドファンディングのステイトメントをご参照ください。
なんとかネクストゴールまで数字を伸ばして、活動拠点の確保と次のステップへの活動資金となるように応援してゆきたいと思います。
3年程前突然の池田修前代表の逝去を乗り越え立派に「池田以降」を築いてきた細淵太麻紀代表、津澤峻さんとすべてのスタッフへのリスペクトと何よりも健康を祈りつつ、出来るだけ寄りそい、お力添えさせていただくことを申して、終わりにいたします。
あっ、最後に一言、創造都市的思想から生まれた理念の継承のためにも、何卒よろしくお願い致します。
牛島達治(美術家)
「BankART LifeⅤ "観光"」
(BankART Studio NYK / 2017)
この国においてはアートは手段でしかなく目的ではないのか?
アートは都市のジェントリフィケーションに有効であることをBankARTは雄弁に証明してきた。同時にその功績も無かったかのように貪欲な都市に手段として利用されるのは避けられないことなのか?
都市に潜み続けたBankARTのジレンマであろう。過疎の離島を活動の拠点にしている私は、都市にこだわり命を削りながら活動してきた池田修氏に聞いてみたかった。
20年間大いなる成果を生み出したBankARTが、ついに新たなフロンティアを求めて旅立つ時が来たようだ。その旅立ちのはなむけに私の土玉の作品「Ground Transposition」が横浜の街を引越ししている様子をクラウドファンデイングの広報画像に選んでいただいたのは、まさしく「移動」をコンセプトとした作品を的確に語っている、と感心した。古代エジプトでは糞玉を転がすフンコロガシ(スカラベ)を再生や復活の象徴と崇拝した。あの土玉の中にはBankARTの再生と復活の胎動を宿していると私は信じている。
寄付による応援をお願いしたい。
柳 幸典(美術家)
《Icarus Cell》柳幸典 「Wandering Position」
(BankART Studio NYK / 2016)
BankARTが引っ越しするらしい。
ちなみに私は引っ越しが一番嫌いだ、理由は大変でお金も時間もかかるゆえ。しかし引っ越しには良いところもある、荷物を整理し、断捨離することで心身ともに身軽になる。断捨離と言ってもいらなくなったものは捨てるのではなく古本屋や古着屋などのセカンドハンズや、必要そうな友人に託していく。
そのようにして自身の体にまとわりついていた脂肪のような物が公共へと帰っていく。ゆえに、私は断捨離のことを2024年からコモンズと呼ぶことにした。
家に蓄積されていたものがコモンズへと還っていくのだ。
BankARTにはさまざまにお世話になった。池田さんは存命時から人間というよりも雷や台風、真夏の太陽光のように大自然現象に近い存在であった。
ある意味では太陽や水は等しく与えられた公共であるし、公共をテーマにし休むことなく横浜を20年間、アートや建築、パフォーミングアーツの活動紹介によって光を当て大地を耕してきたBankARTが横浜からコモンズされたということで、これからが公共としての真価を発揮する時なんだろう。
吉田山(Art Amplifier)
《都市GENEの抽出・反転・流通》吉田山+西山萌+木雨家具製作所「BankART Life7」
(BankART Station / 2024)
BankARTは20年以上前に、日本では珍しく行政が音頭をとって文化を地元に根付かせようとして始まったプログラムだ。ビエンナーレやトリエンナーレなどの大きな規模の展覧会は腐るほどあるが、それに比べて現在でも行政が関わる草の根的な文化組織は日本では少ないのではないだろうか?だからこそ可能な、その大きなスペースが魅力の一つになっていた。
行政や企業がオルタナティブスペースに関わると箱に重きを置いて内容は後回しにされ過激さは失われることが多いが、BankARTは横浜市の協力のもと既存の建物を使うことで何を見せたいかを最優先にしていた。俺にとって特に印象の残るBankART Studio NYK は元倉庫というアーティストにとっては垂涎もので、最初の「日産アートアワード」展示の時にはそのスペースと自由さに感激したものだ(駐車場の街灯を引き抜いて展示室に持ち込む、トイレの上下水道を展示室まで引き便器を展示室で使用可にする等)。
新しいBankARTは独り立ちして大きな予算の確保は難しいと思われるが、アーティストや企業が運営するのとは違う今までのBankART路線を引き継いでもらいたいと切に願う。
西野 達(アーティスト)
《ペリー艦隊》西野 達「日産アートアワード2013」
(BankART Studio NYK / 2013)
BankARTに初めて足を踏み入れた時から12年が経ちました。その間わたしは、アーティストの手伝いや、受付、ショップ、カフェ・パブ、本やチラシのデザイン、ウェブ作成など、さまざまな形でBankARTに関わってきました。
12年前、わたしは普通の、横浜の学生でした。たまたま大学の先生から、現代美術アーティストが学生ボランティアを探しているという話を聞き参加したのが、BankART Studio NYKで2012年に開催された「川俣正 Expand BankART 展」でした。現代美術も何も知らない私でも、NYKの建物を覆う圧倒的な作品のカッコ良さに、「こんなものがこの世にあるのか!」と心が躍りました。
その後、池田さんに声をかけていただき、BankARTでアルバイトを始めました。当時はNYKの広い1階で、受付・ショップ・カフェを1人でやりくりすることも多く、これが初めてのアルバイトだった私はたくさん怒られながらも、働くことの大変さとやりがいを教えてもらいました。そして何より、BankARTに関わるたくさんの素敵なアーティストの方々と出会い、これまでの自分になかった感性や物の見方を知りました。
BankARTでのボランティアをきっかけに、川俣さんをはじめ、いろいろなアーティストの作品施工の手伝いもするようになりました。それまで地元をほとんど出たことがなかった私が、行ったことのなかった場所へ行き、たくさんの素敵でユニークな人々に出会いました。
いま、私はデザインの仕事をしています。これもBankARTが繋げてくれた縁でした。BankARTのチラシや出版物のデザインをしている、ヤング荘の北風さんと出会ってお手伝いをするようになり、いつのまにかヤング荘のメンバーにもなりました。
アルバイトをしなくなってからも、BankARTのウェブサイトを作成させてもらったり、ときどきチラシのデザインや本の装丁なんかもさせてもらい、何者でもない私をずっと気にかけ、ずっと見守ってくれていた場所でした。
自分の生まれ育った横浜に、BankARTのような自由で流動的で気概のあるカッコイイ場所があることはとても誇りでした。ここから出ていかねばならなくなったことは本当に残念です。
BankARTの受付をしていたときに、一番大事だと言われていたことは「リレー」すること、人と人の縁を繋ぐことでした。
今度はどこに、新しい「縁」が繋がる場所ができるのか、今はとても楽しみです。
松岡未来(元アルバイト)
BankART Pub(BankART Studio NYK)
BankARTは、学生時代から横浜に行くときには立ち寄る場所でした。横浜といえばBankART、といつの間にか思っていたかもしれません。
縁あって、2023年にはKAIKOでワークショップ、そしていま2025年にはStationで企画した展覧会をしています。
そうしてBankARTのみなさんとプレイヤーとして接するようになると、「横浜であることは大事であったけれど、もっと大事なのは、何かを作っていく意志を持った人たちがそこにいることなのだな」と思うようになりました。
アートはすぐに成果が出るようなことばかりではないし、「何かわからないけれど、きっと豊かになることをやろう」と思えば、「アート」と呼ばれそうなことばかりしていなくてもよいのかもしれません。どこであろうとも、やっていく、何かわからなくても、作っていく、そういう意思が引き継がれていけば、それが場になり、文化になっていくだろうと思います。
BankARTが繋いでいこうとする、前向きな意志を応援します!
加藤 巧(アーティスト)
「光を練り合わせる -絵画と科学の対話から」加藤巧×山脇竹生(BankART Station / 2025) より《One Colour Just Reflects Another》
「光を練り合わせる -絵画と科学の対話から」加藤巧×山脇竹生(BankART Station / 2025) より《Dialogue》(左右)、《To Pursue (pearls)》(中央)
私にとってのBankARTは職場に近い、ふらっとアートを見に行ける場所でした。美術家の加藤さんとの協働研究の内容をより多くの人に広め、アートとサイエンスの共同のあり方を示したいと考えたとき、BankART Stationでの展示でご協力いただけることになり初めて深く関わらせていただきました。
展示のやりとりを進めていた中で、この度のコンペ結果が発表されたその日、その情報共有のメールが届きました。驚いたのとともに、メールの最後に「展示はしっかりサポートします」、ときっと自身のことだけでも頭がいっぱいなはずなのに、すぐに関係者に気を配れるしたたかな言葉が書かれていたのを覚えています。
クラウドファンディングのページでBankARTの歩みを、いまさらながらちゃんと知りました。20年にわたって時に苦難を乗り越えながら創造都市の実現に向けて活動してきた経緯を知り、その蓄積があったからこそ、あのメールの言葉がでていたのだと合点がいきました。
クラウドファンディングのページの最後に、…「この状況に対して挑戦していきたいと考えています」とあります。終わるのではなく、未来に向かって発展していこうとする、この挑戦を切に応援しています。
山脇竹生(化粧品メーカー研究員)
「光を練り合わせる -絵画と科学の対話から」加藤巧×山脇竹生(BankART Station / 2025) より
11年前のクリスマスの夜、学生だった私はアルバイトの面接のためにBankART Studio NYKのオフィスを訪れ、そこで池田修さんに初めてお会いしました。突如現代アートに関する質問をいくつか投げかけられるも、一つも答えることができず、池田さんからは「赤ちゃんだな」と言われましたが、それでも採用いただいたことが嬉しかったのを覚えています。それ以来、アルバイトと様々な事業を手伝ったり、作家として展示に参加するなど、BankARTとの関わりを深めていきました。BankARTと出会わなかったら、こんなにも現代アートに触れることもなかっただろうし、地元横浜をここまで好きになることはなかったと思います。
そしてなにより、今の私はBankARTが結んでくれた数多くのご縁によって作家活動を続けることができています。これはあのクリスマスの日から続く、池田さんからの終わらないプレゼントのようなものだと感じています。
20年間、アーティストや創造都市の活性化のために歩んできたBankARTが今、クラウドファンディングという形で支援を求めています。私にとってそれに応えない理由はなく、微力ながら寄付をさせていただきました。ただ、自身を含め誰もが潤沢な寄付金があるわけではありませんし、支援の形はクラウドファンディングだけではないとも思っています。
そこで、今自分に出来ることをやりたいという気持ちから、アーティストを中心とした有志でBankART Station最後の展覧会「アライブ!展」を企画しています。展覧会を通じて、作家として作品を出展すること、コレクターとして作品を購入すること、集まった人々でBankARTのこれからを語り合うこと。さまざまな形で、BankARTの未来を祝し、支える一歩になる場所が作れたならと試行錯誤中です。こちらも一人でも多くの方にご参加いただければ嬉しいです。大切な活動がこれからも続きますように。
山本愛子(美術家)
BankART Under 35 / 2022
(BankART KAIKO / 2022)
いくつもの記憶の場所、その華やぎの気配が想いだされる。
歴史的建造物、運河沿いの倉庫、路地のブックカフェ、駅地下の広大な空閑地……。
海へと開かれた一つの都市のあちこちに埋め込まれ、そこだけとりわけ豊かに発光していた創造空間。
場所を変えながらも、意思を持続させ、哲学を柔らかく守り、表現者と市民とを境なく結び合わせてきた精神共同体。
市場経済の原理に挑みながら、自立を指向してきたBankARTの展開の可能性は、だからこそ無限にあると信じられる。
なぜならこの創造空間=運動体には、どこにもない悦びがあったから。
より自由になること。
より晴れやかに生きること。
創ること、表現することがより開かれた、より純粋な理念に支えられたものになること……。
そうした未来を夢見るコミューン。
BankARTの新生に向けての第一歩を、そんなコミューンの一員として支えたい。
多くの同志が、自由に、晴れやかに、さまざまなかたちでこの支援と再創造の輪に加わらんことを!
今福龍太(文化人類学者・批評家)
BankART school「〈原写真〉の翳のなかへー現代における〈眼〉の冒険」(BankART Station / 2022)
BankART1929は、つねに、すでに、オルタナティヴな現場でした。
朝倉摂や原口典之、柳幸典といった優れた美術家たちの本格的な回顧展を、公立美術館に代わり、成し遂げただけではありません。
たとえば、わたしが長らく講師を務めたBankART Schoolの講座「アートの綴り方」は、美術についての文章を実践的に学ぶ場でした。受講生は述べ200人あまり。大学生もいましたが、彼らの多くは働きながらなお、文章を学ぶ意欲にあふれた社会人で、それぞれ仕事や家事を終えた後、馬車道や新高島の教室に足しげく通ってきたのでした。その熱意と行動力は、講座の終了後に、それぞれの専門性を提供し合いながらフリーペーパー「HAMArt!」を自主的に発行するほど、この講座の中で大きく成長したのです。
おそらく、既存の美術大学やカルチャースクールでは、このような創造的な展開は難しいでしょう。そこでは教員と学生という役割が明確に区別されているうえ、それらのカリキュラムは厳密な時間によって管理されているので、自主的な表現活動をもたらす余白が生じにくいからです。授業は終わったのに、まだ何かやってる──。そのような自由が可能になったのは、BankART1929がオルタナティヴな現場だったからにほかなりません。
行政や企業との距離感は変動するでしょうが、これからもBankART1929はオルタナティヴな現場をつくり続けるはずです。そのためにぜひ、みなさまのお力を!
福住 廉(美術評論家/秋田公立美術大学大学院准教授)
BankART school 福住廉講座「アートの綴り方」 毎回、講座終了後に受講生の有志による編集、発刊のフリーペーパー「HAMArt!」
(都市が都市である理由としての)BankART
そもそも「Bank」 の語源は イタリア語の「banca」=「ベンチ、台」 である。人が座り、事物をのせる、日本語でいえば縁側にあたる。ベンチで事物や人は、いかなる事態にも応じるべく待機している。「Bank」の語源としてゲルマン語の「benc」を考えることもできる。原意は同じく「ベンチ、台」であったが、こちらは土手、堤という意味を持つに至った。岸辺の盛り土=堤が何に対峙しているのかはいうまでもない。いずれにせよ、Bank すなわちベンチににリザーブされているのは未来である。
さて、では都市とは何か、なぜ人は都市に集まり、住むのか。そこはかつて堤や城壁に囲まれ、不測の災害や外敵から守られた場所であった。その場所では日々の営み、暮らしが保証され、未来への可能性が担保されていた。この都市と、その未来を支え、その可能性をリザーブしていたもの—それがBankであった。
Bankがないことは未来の可能性、その余地を持たないことを意味する。反対にBankがあれば、そこに都市は生まれる。生活、暮らしを支えるのはBank(=banca、ベンチ)に集う人々であり、そこから生まれる議論であり活動である。未来の計画、作戦はそこで生まれ確保される。ここが都市の起源だ。(であるから、未来の試合展開を決めるのはベンチにリザーブされているスーパーサブであるに決まっているのである)。今回、一人の選手を放出するのではなく、Bank(ベンチ)そのものが放出されることになったことはBankにとっては幸いだった。なぜならBankがあるところに優秀な選手、作家、アーティストは集まるからである。新しい都市が生まれるからである。Bankがないところには ‥‥(大丈夫だろうか?その街)。だから わたしはBankを慕い、BankARTを応援する。
岡﨑乾二郎(造形作家・批評家)
岡﨑乾二郎 「かたちの発語」展示風景
(BankART Studio NYK / 2014)
《グウグウなるのはお腹だわ。わたしたち運がいい。悪いことはいつも過ぎ去ったあと気づくというでしょ、台風一過の水たまり、不運もすっかり片づいてた。お天道様の宙返り! なんて短くても終わらない本があるそうで、私は読んでないけど一冊頼みました。 トリノツノやトビウオ、貝殻、粘土でできたタツが数珠つなぎの話になって頭の中に浮かんできました。けれどそのままぐるぐる渦巻き、口から出せなくなくなりました。 夢うつつに目の前には緑の砂地が広がっていき頭の上は深いコンペキで、まん中にまんまるとした満月がコガネイロをして浮かんでた。空になにも無いわけではない。 どこかしこからも音楽が。部屋の間、草の間、樹の上、虫たちの合奏はガヤガヤ不思議。蛇たちもシュウシュウシュウと虫たちに声を合せるではないか…そこにビシャビシャと夕立が降って、もう庭じゅうが水たまり、みな泳いで、潜り、羽ばたきしてガアガアガア。》
岡﨑乾二郎「BankART Life7」(BankART Station / 2024)
横浜に42年間、暗室があった。
横浜は写真を始めた土地である。
そこから離れてもBankARTがあることで、横浜との縁は切れることがなかった。
しかしそのBankARTにいま危機が訪れている。
横浜からBankARTをなくしてはいけない。
BankART存続のため、皆さん協力してください。
石内 都(写真家)
《絹の夢-silk threaded memories》石内都
「BankART Life7」(みなとみらい線馬車道駅コンコース / 2024)
BankARTとの関係が始まったのは、創造都市施策が正式に始まる前の、旧第一銀行と旧富士銀行活用の公募の時で、それから20数年様々な事業を一緒に行ってきたが、やはり自分にとって一番印象的な事業は、池田さんが亡くなる直前に開催した「都市デザイン展」である。これは、BankARTの中でも最大級のコーディネート事業だったのではないだろうか。自分が前に立つわけでは無く、しかしその後ろ盾が無ければ実現不可能というところまで、協力を惜しまない、THE、縁の下力持ち。コーディネートする相手の創造力を高める。これは、コーディネート事業のみならず、北仲BRICK&北仲WHITEや新港村等の事業も含めて、BankARTが創造都市で果たした特出すべき成果だったと思う。
思えばこの20年間、幾度となくピンチを迎え、それをチャンスに変えてきたBankART。今回はその中でも最大のピンチであるとは思うが、これをチャンスに変えられるのがBankARTだと思う。今私が関わる郊外住宅地の再生にも是非手を広げて、多くの人々の創造力を高めて欲しい。次の展開を期待せずにはいられない。
梶山祐実(横浜市職員)
「都市デザイン横浜展 個性と魅力あるまちをつくる」3Dアーカイブはこちら
都市デザイン 50 周年記念事業 「都市デザイン 横浜」展 (BankART KAIKO / 2022)
都市デザイン 50 周年記念事業 「都市デザイン 横浜」展 (馬車道駅 / 2022)
90年代に千葉大の長田謙一先生が千葉の旧市街で主催していたプロジェクトに前代表の池田修さんが助言していて、千葉市美術館に勤務していた私ものぞきにいった。その時池田さんに「美術館の人ですか?」と声をかけられ、その時以来のお付合いだと思う。主な企画は逃さず見るようにしてきたし、私が和光大学に来て以降、NYK、Station、Temporary、KAIKOとずっと毎年の卒展でお世話になってきた。NYKのカフェスペースはサロンのようだが誰でもくつろげる開放的な空間だった。ブックショップの品揃えも今流行の独立系書店のようでいつまでもいられる。スタッフの皆さんは、ただのスペース利用者として接するのではなく、学生たちを丁寧に、時には厳しく指導してくれる。これからも長くお付き合い頂くつもりでいたから、この度の報道には驚いている。
いささか急な退去期限で今はそれどころではないのだろうが、これからは活動のエリアと方法を広げていってくれることだろう。もちろん、そのつもりでいるのだろうが。会場施工から出版、企画、スクール、書店・カフェ運営まで、自前でこんなになんでもできちゃう芸術NPOは珍しい。ノウハウは十分に蓄積されているのだからBankARTの今後の機動力に期待している。あと必要なのは当座の資金とのこと。これまでの活動を知る皆さんからも今後の期待を込めて側面支援して欲しい。
半田滋男(和光大学 表現学部 芸術学科 教授)
和光大学表現学部芸術学科 卒業制作展2025『ここはかすがい』(BankART KAIKO / 2025)
第6回瀬戸内国際芸術祭での高見島でのディレクションをBankART1929に依頼してすぐに、横浜から離れなくてはならなくなったと連絡をいただいた。
20年間、横浜市の創造都市構想のもとでオルタナティブスペースを運営し、その成果は世界的に知られていただけに驚きました。横浜とBankART1929は一体でしたが、その企画力とゆたかなネットワークをもって、新しく世界中を駆け回ってもらいたい。
妻有と瀬戸内もその舞台です。
私たちも応援しますが、新しい展開にみなさんも加わってワイワイとやりましょう。
北川フラム(アートフロントギャラリー代表)
2025年1月高見島での下見
BankART妻有2024 「創造的修復と交信」
(BankART妻有 桐山の家 / 2024)
写真:橋本貴雄
横浜にバンカートという場所がないのはとても寂しいので、早く新しい場所が見つかることを願ってます。これが新しいバンカートのいいきっかけになりますように。
高橋啓祐(映像作家)
《The Fictional Island》高橋啓祐「BankART LifeⅤ "観光"」(BankART Studio NYK / 2017)
2009年に公的な美術館ではそれまで、なしえなかった原口典之の大規模個展を実現させた。そんなBankARTの独自性とスキルはまだまだこれからも活かされ、場所が変わったとしてもその活動が次世代にまでつながってゆく事を願っています。
微力ではありますが、原口氏が残した拠点(岩手県)で現在原口氏に関する、アーカイブや諸々活動をしておりますが、その方面から、何らかの形で今後、細淵さんと協働させていただけたらと思っています。
秦くるみ(原口典之WORKアーカイブ合同会社)
原口典之 「社会と物質」
(BankART Studio NYK / 2009)
横浜市の創造都市政策のフラッグシップとして20年間、同市の歴史的建造物や遊休施設を拠点に活動してきたBankARTがかつてない転機を迎えている。3月末で現在の新高島駅地下1階スペースから撤退し、4月以降は独自に活動拠点を見出さなければならないからだ。
BankARTが旧富士銀行、旧第一銀行をアートセンターに転用して活動を立ち上げたのは2004年3月。当時は、チャールズ・ランドリーらの提唱した創造都市の概念が日本に導入されて間もない頃で、具体的なイメージを掴むのに誰もが苦慮していた。二つのアートセンターは、その解を示すものとなり、以降、彼らはNPOならではの斬新な発想と機動力で、創造的なプロジェクトを次々と展開していった。その成果は海外にも波及した。ソウル市は彼らの活動に触発されて、ソウル市創作空間という政策を立ち上げ、複数の工場や倉庫を改修してアーティストの活動拠点を創設した。
BankARTが「都市に棲むこと」を理念に掲げ、この20年間に残してきた足跡はあまりにも大きい。そこには常に創造活動への深い理解と都市へのまなざしがあった。芸術やクリエイティブな活動を支え、それらを都市空間の中に移植、培養することで、地域に新たな活力をもたらしていく。まさしく「創造都市」の根源的な取組であり、横浜ばかりか日本の創造都市の原点、象徴とも言える存在だった。
横浜市の決定で、これまでの延長線上での活動が一旦途絶えてしまうことは、かえすがえすも残念だが、今までも、何度となく拠点を移しながら活動を継続、更新させてきた。2018年にBankART Studio NYKが閉じたときに発表されたプレスリリースのタイトルはBankART is moving、そして、今回のクラウドファンディングのスローガンは、BankART is Movement!。まさしく、BankARTは拠点を移動させながら活動を続ける運動体だ。
これまでの蓄積を未来につなぎつつ、新たな展開が始まることを、心から期待したい。
吉本光宏(合同会社文化コモンズ研究所 代表)
「集まれ!アートイニシアティブ」
(BankART Studio NYK / 2008)
20年間にわたり芸術活動を継続してアーティストを応援して頂きありがとうございました。
バンカートの今の状況は三国志の劉備軍の状況に似ています、魏の曹操に追い詰められ絶対絶命に有ります。そんな中で諸葛孔明は言いました、これからは上昇するしかない、天下統一に向けて動き出しましょ!
バンカートは自由を手に入れました、これからは何にも囚われず、全方位に挑戦出来るのだと思います。
これからバンカートがなにをやらかすか、楽しみです❗️
松本秋則(アーティスト)
BankART is Movement !
BankARTの活動継続にご支援ください!
の写真を最初見た時、「これから未来へ突き進んでいくぞ」という気迫を感じ、心躍りました!この写真を見るたびにわたしも勇気をもらってます!わたしも一緒に未来を創っていきたいです。
松本倫子(アーティスト)
松本秋則+松本倫子「惑星トラリス」
(BankART KAIKO / 2023)
BankARTとは何か
横浜市は2004年創造都市政策をスタートさせる。そのリーディング・プロジェクト「歴史的建築物文化芸術活用実験事業」には20を超える団体が応募し、選考の結果BankARTが選ばれた。
2つの元銀行の建物におけるこのプロジェクトの目的は、「文化芸術分野で活躍する市民やNPOのアイデア、活動力、創造性を活かした文化・芸術活動に関する具体的な事業運営を行う」ための運営ソフト開発であった(募集要項)。
BankARTは、事業開始早々旧富士銀行から立ち退くことになる。その後、BankART Studio NYK、ハンマーヘッドスタジオ(新港ピア)、BankART Home、R16 studio、BankART SILK、BankART Station、BankART KAIKO、BankART Temporaryなど、場所を転々としながらアート活動を継続した。BankARTの活動は、北仲BRICK & 北仲WHITE、本町ビルシゴカイなど民間ビルの集合アトリエ化を促進した。一方で、当時横浜市が活用法を検討していた関東財務局ビルがZAIMとして整備され、横浜トリエンナーレ2005の拠点となるなど、市文化政策にも影響を与えた。
横浜市が当初期待した「歴史的建築物でアートプロジェクトを行うソフト開発」は達成され、次のフェーズとして芸術不動産の取り組みも始まっている。これまで20年間培ってきた、国内外とのネットワークを活かして、今後は、横浜市18区へ対象領域を拡大すると同時に、海外との交流といったグローバルな展開も充実させて欲しい。
野田邦弘(元文化芸術都市創造事業本部創造都市推進課担当課長)
『文化政策の展開 アーツ・マネジメントと創造都市』野田邦弘 著
2015年初めてBankART Studio NYKを訪れた。港のすぐそばの倉庫をリノベーションしたコンクリートと大きな柱のスタジオ。博物館にありそうな古い大きな什器と積まれたたくさんのセレクト本、波と街の景色が見える風の通るパブ、人が集いワインやビール、コーヒーを片手にそれぞれの時間を過ごしている、かっこいいっ、コーヒーは200円だった、貧乏な私たちも気ままに好きなだけ気持ちよく過ごせた。2階や3階のギャラリー、図書室や川俣ホール、バルコニーには巨大なギプスの足のようなよく分からないけど大きな存在感のある作品が置かれていて、どの場面を思い出して切り取っても、さりげなくてドカンドカンとしていて、強くて丁寧でシンプルで潔く清々しい場所がつくられていて、現代美術とかを街の界隈で活動発信して、沸いている、、、最高じゃないですかっ。こんなかっこよくておしゃれで居心地のいい、人が集まる場所があるなんて、横浜すごすぎるっと思ったのがBankARTとの出会い。
2016年の春、私たちは横浜での短期滞在を終え、行くあてもなくお金もなく途方に暮れていたとき、BankART でスタジオプログラムがあると聞き参加した。噂によると中の人は怖いらしい、1週間くらい通って制作していると怖いと噂の池田さんがにこにこ話しかけてきた、それからビールやワイン、きのうのカレー、育てたシソごはんとかをご馳走してくれて、一緒に飲みながら横浜の歴史やプロジェクトの話を聞いた。面白かった。わくわくした。予想もしなかった見たかった景色をBankARTが見せてくれた。それからBankARTが繋いでくれた縁や蒔いてくれた種で制作発表する機会に恵まれ、わたしたちは今まで美術を続けて生きてこれた。BankARTがあったから横浜の近くに住もうと思い、BankARTの活動をいつも楽しみにして、時々参加した。BankARTがあるから、希望と、これでいいのだという勇気と、出会いをたくさんもらった。そしてこれからもまだまだ絶対続けてほしい。
片岡純也+岩竹理恵(美術家)
《机上の事象》片岡純也+ 岩竹理恵「BankART AIR 2016」(BankART Studio NYK / 2016)
横浜のまちとBankARTとの関わりが大きく変わろうとしている。これまでBankARTは創造都市という試みの中心にいて、強烈な求心力と遠心力を働かせる存在であった。そのBankARTのこれからが危ぶまれている。
ここではあえて「BankARTなるもの」と呼ぶが、まちには「BankARTなるもの」が必要である。そこにいけば、アートや作品に遭遇するだけでなく、レクチャーやイベントに巻き込まれ、刺激的な人々と出会い、語りあうことができる。つまり、「BankARTなるもの」とは、まちの中にあって平板な日常生活を異化するデバイスなのである。そのことに気づかさせてくれたのは他ならぬBankARTであった。
もし「BankARTなるもの」をまちに定置させられないのであれば、まちはとっても退屈なものになってしまうだろう。だからわれわれは「BankARTなるもの」をなくしてはならない。みんなの力でBankARTのこれから先を切り開いていくことができれば、創造都市は新たなるフェイズを迎えるはずだ。
小泉雅生(建築家/小泉アトリエ・東京都立大学)
《ホンノリベッド》小泉雅生「BankART Life: 24時間のホスピタリティー」(BankART1929 Yokohama / 2005)
BankART StationとKAIKOという、あの大きな施設を同時に、しかも他の事業と同時並行で、数ヶ月のうちに撤収、なんて途方もないことを・・・と衝撃を受けつつ、BankARTが変化していくところをこれから現在進行形で目撃できることが私はとても楽しみです。
初めてBankART代表の細淵さんから展覧会にお誘いいただいたとき、夢みたいで、武者震いが止まりませんでした。何者でもなかった私にもチャンスをくれるような、懐が深くて挑戦的なBankART。
この先もまだまだ活動が継続されていくことを心から願います。
私は実は引っ越しが好きで、隙あらば引っ越しを企てています。それまでいた場所から抜け出て、新しい場所でまた一つずつ生活を積み上げていくことに、いつも希望を感じます。
より身軽な存在へと変容していくBankARTの旅路に、微力ながらエールを送らせてください!
婦木加奈子(アーティスト)
《洗濯物の彫刻》婦木加奈子「BankART Life7」(BankART Station / 2024)
BankARTの存続を強く希望します。
そのために何か手伝えることがあれば手伝いたいと思います。
池田さんとは28年前に出会いました。
それ以来、池田さんのアート、そしてBankARTにかける熱情を尊敬していました。
池田さんが亡くなった後を引き継いだ、細淵さん、津澤さんもその池田イズムを継承しつつ、これからのBankARTを素晴らしく継続していけるであろうことを昨年開催させてもらった個展の作業を通して知りました。
そしてその展覧会は僕の35年間のアーティスト生活の中でも忘れられないものになりました。
雨漏りをみつけて、それをそのまま作品にできる場所はなかなかないと思います。
あの作品、池田さんが見たらいつものようにうれしそうに笑ってくれたでしょう。
BankARTは実験ができる場所。挑戦ができる場所。
それはアーティストにとっても、展覧会や企画を考える人たちにとっても。
そして人々が集う場所。
横浜にこだわらなくても、BankARTを必ず続けてほしい。BankARTは必要。
みなさんのご協力、どうぞよろしくお願いします。
島袋道浩(アーティスト)
島袋道浩「音楽が聞こえてきた」
(BankART Station / 2024)
屋台建築家・TAIYAの下寺孝典です。大阪と福岡を拠点に活動しています。
私がBankARTと出会ったのは、2023年の福岡アジア美術館レジデンスでの成果発表展がきっかけでした。この機会に私の作品を見ていただいたことでご縁が生まれ、BankARTの展覧会にも参加させていただくことになりました。これまでには「食と現代美術Part9」や「パブリックアートテーブル2023」に展示させていただきました。
私が展示した場所は、BankART Stationです。新高島駅の中に位置するこの展示場は、ユニークで興味深い空間でした。私自身、BankARTとの関わりはここ2、3年に限られ、以前の拠点施設には伺ったことがありませんが、旧元銀行や旧日本郵船倉庫などの歴史的建造物を文化芸術に活用したお話を伺う中で、BankARTが横浜の文化芸術の中心であることを実感しました。アーティストや芸術関係者だけでなく、市民や行政とも深く関わり合い、横浜という地域に根ざした素晴らしい活動をされていることに感銘を受けています。
BankARTの長い歴史の中で展示の機会を得られたことを、大変嬉しく思っております。これまで築いてきた多くの経験や価値観が、次世代へと受け継がれていくことを願っています。何度も引越し、一時退居、増殖、遠征を繰り返してきたBankARTですが、新たな門出を応援しています。私自身も今後も関わりを持ち続けたいと考えています。
BankARTの活動を継続するためにも、ぜひご支援をよろしくお願いいたします。
下寺孝典(TAIYA)(屋台建築家)
《動く屋根の下で》下寺孝典(TAIYA)「食と現代美術 Part9」(BankART Station / 2023)
BankARTを応援する
横浜における私の立場はいつも微妙で、そのため、私とBankARTとの関係もずっと微妙だったと思う。
私はBankARTと入れ替わるように黄金町にやってきた。にも関わらず、前代表の池田修とは彼のBゼミ時代からの知り合いで、その後のPHスタジオとは、何度も一緒に仕事をした。彼がBankARTを始めてすぐ、私も横浜との縁ができた。で、それから私たちはいつも二重の関係を持つようになったと思う。個人的付き合いとしては、古くからの友人関係に過ぎないが、横浜という社会的状況に置かれると、とてもそんなことを言っている場合ではなかった。そして今回の状況は、あるいは分かる人には分かるかもしれないが、私にとっても無関係な出来事ではなかった。
BankARTがあったから、結果的に今の黄金町も出来ていったと言える。両方の動きはその始まりから関連し、その関係の中で変化してきたと思う。
これからどうする、はすでに私個人には関与しようのない話かもしれないが、それぞれが分け持っていた課題については、まだ終了しているわけではないと言わざるを得ない。
今はまず、BankARTは支援を必要としている。それによって、彼らが再び、その活動のテーマについて発言し、実践する機会を得ること、黄金町も含め、私たちは複数の考える主体によって相互に影響を与え、変化していく。
そしてBankARTも、まだ活動の途中であり、おそらくこれからより大きな目標に向かって変化していくだろう。
いずれにしても、まずはその目標に対する支援を多くのみなさんにお願いしたい。
どうぞよろしく。
山野眞悟(黄金町エリアマネジメントセンター事務局長)
《山野真悟さんの紹介する古書店の魅力を堪能する馬車道、伊勢佐木町古書店ツアー》「BankART Life7」(2024)
池田修さんから最初にBankARTスクールの講師を依頼されたとき、「バンカート」という音だけが耳に入り、?と思ったが、後からすぐにそれがBank +ARTであることを知った。
それから20年、「Bank」の建物はもう使っていないが、移転を繰り返しながら、横浜のあちこちを耕してきた。
BankARTスクールの受講者とは、今でもつながりがあり、こうした出会いにも感謝している。
場所が熟成すると、次の場所に変わっていく動きは大変だったと思うが、臨機応変に様々なプロジェクトを生みだしてきた。
アート、デザイン、建築の境界を軽々と飛び越え、間違いなく、21世紀初頭の横浜に大きな足跡を残した運動体である。
今後の活動を後押しする意味でも応援したい。
五十嵐太郎(建築評論家/東北大学大学院教授)
《建築系ラジオ》「BankART LifeⅢ 新・港村」(新港ピア / 2011)
BankARTに行けばニュースに会える
放送局に勤めていたわたしにとってBankARTはネタの宝庫。展覧会、企画、スクール、パブ、書籍などに繰り出される企画には「新規性」「アート文脈」「地域と都市」「長期視点」「国際性」「空間利活用」が溢れていて取材のタネだらけです。そこで知ったこと、出会った人々が、私にさまざまなことを教えてくれ、蓄積されその後の取材に発展しました。
ネタがあるだけではありません。
2009年の「集まれアートイニシアティブ」会議で100人を超える参加者と深夜まで語り合ったこと、「これからどうなるヨコハマ研究会」で定期的に議論を交わし、その後私が参加していた「水辺班」が「水辺荘」に発展したことなどから、「ニュースが生まれる前の混沌」があるというのがBankARTの特異性だと思っています。
「村だから、結婚式がやれるといいと思ってたんだ」
という池田さんの一声で、ヨコハマトリエンナーレ期間中の新・港村のアートイベントとして私たちの結婚パーティを行うことになりました。
東北で震災があった夏、2011年8月から11月に期間限定で設けられた外部の電力をなるべく使わない「クリエイターのむら」。新・港村に入居する美容室や縫製工場、ギャラリー、カフェ、デザインセンター、メディアセンターの皆さんに関わってもらい、宇徳ビルヨンカイや象の鼻テラスで企画会議を重ねながら、むらの日常風景として私的な結婚式を公開で行う「OPEN WEDDING!!」という取り組みになりました。
それは、公共(パブリック)と私(プライベート)をどう共存させるのかの実験でもありました。
BankARTが手掛ける拠点は期間限定であるところが多く、思い出の結婚式をあげた「新・港村」も今は建物が壊され、蜃気楼のように消えました。
それでも私の人生にはどうしようもなくBankARTが刻まれており、これからも共にあると信じています。
船本由佳(フリーキャスター / OPEN WEDDING!!実行委員会)
「OPEN WEDDING!~新・みなとむらの大結婚式」桂有生♡船本由佳「BankART LifeⅢ 新・港村」(新港ピア / 2011)
BankARTがその活動の変容を余儀なくされるという一報を受け、まさに晴天の霹靂としか言いようのない衝撃を受けた。BankARTのチームとは、 それ以前のPHスタジオ時代からお付き合いさせていただいている。あまりにも多種多様に見えるその活動はしかし、一貫して場所との関係を基本に据え、それぞれ個別のアートを発明してきたように思う。私はそうした彼らの姿勢に強く共感し、学んできた。横浜という地域が、BankARTの活動をとおして私の中で一つの飛び地となり、 彼らがさすらうように移動してきた古びた建物やささやかな場所が、さらに飛び地の中の飛び地となって増えていく。昨年と一昨年にBankARTt Stationで私の個展を開催していただいたのだが、それによって「新高島」という場所とほの暗い倉庫のような建物が、他所とはかけがえのないものだったと気づく。これまでもこれからも、BankARTは根無草だ。常に移動し続け新たな飛び地を増やしてゆく
北島敬三(写真家)
北島敬三「UNTITLED RECORDS」(BankART Station / 2022)
2006年からスタジオプログラムなどから様々関わらせてもらった。
大学卒業して間もない自分の作品をDVDにしてくれた。一枚500円のドローイングを500枚売り生活した。
横浜独自の文化を作り出し場所や形態は変わりつつも様々な場所でアーティストの生きる道を示唆してくれた。
BankARTはいつでもアーティスト側に立ち、生きやすい場を作り出してくれていたと思ってるし、これからも変わらないと思う。
池田さんの意思も残りつつ新しい力も加わった新BankARTに今後も期待したい。
皆様ご寄付お願い致します。
村田峰紀(アーティスト)
池田修を偲ぶ6日間「都市に棲む―池田修の夢と仕事」(BankART Station / 2022)
「Borderlands」(BankART KAIKO / 2021)
2023年11月に大学の募集でBankARTを知り、アルバイトとして関わるようになりました。多摩美術大学の生徒ということもあり、アーティストの方にインタビューをして記事を作成したり、イベントのお手伝いをしたり、アーティストと深く関わる貴重な経験をたくさんさせていただきました。力仕事も含めできるようになったことが増え、自分の新しい可能性にも気付けた気がします。
BankART Stationで私は卒業制作の展示をします。 私の最後の展示を、お世話になったこの場所ですることができて嬉しいです。
ここにいて大変なことも多かったですが、同じくらい楽しい時間も多かったので、こういう場所が減らないように、これからも活動が継続できるよう応援しています。
皆様ご寄付お願い致します。
福谷珠々佳(多摩美術大学メディア芸術コース4年生/ BankARTアルバイト)
BankART実験広報部 さとうくみ子さんを取材中「BankART Life7」(BankART Station / 2024)
BankART Station撤収作業(BankART Station / 2025)
多摩美術大学 情報デザイン学科メディア芸術コース 2024年度 卒業制作展 福谷珠々佳作品(BankART Station / 2025)
『Dear BankART』
僕を横浜に誘ってくれてありがとうございます。
移転してきた20数年前の横浜は「Open Yokohama」「創造都市横浜」を実践していく形で、たくさんの外部を受け入れていた。そのもっとも大きな外部の一つがBankARTだった。池田修さんは、オープンとクローズが共存する不思議な人で、外部の開拓者だったはずの人は、気がつけば横浜の人になっていた。「都市に棲む」という言葉のチョイスが、独特の目線を表している。
僕は現在の横浜が「開いて受け入れる」という時に、どこか上目線を感じる。港町のアイデンティティを大事にし、もっともっと低く構え、能動的に、自己を「晒す」べきではないか。自分への戒めも込めて今はそう思っている。
都市が成熟し、隙間がなくなり、機能が集まり、効率化し、私たちが失っていくものは何か···なんて考えてもすぐには答えがでない。ただ、わかっていることは、だいたいのおもしろいものは、地下か裏路地に不意に転がっているものだということ。
とうわけで、バンカートがなくなっては困るので、ご協力くださいませ。
矢内原充志(デザイナー)
矢内原充志 「BankART Bank under 35」(BankART Studio NYK / 2008)
《うつを向いて歩こう》矢内原充志 「BankART Life7」(BankART Station / 2024)
BankART1929は2004年の設立以来、ギャラリー、スタジオ、カフェ、スクール、出版など様々な仕組みを使って、21世紀の日本に新しい美術振興のあり方を提案し、精力的に活動してきました。BankART1929が新たな場所で事業を継続できるよう、ご支援をお願いできればと思います。
私が初めてBankART1929の活動に参加したのは、2008年、32の芸術運営団体が集まってその活動と運営について話し合った「集まれ!アートイニシアティブ」でした。当時関わっていた広島アートプロジェクトの執行委員として参加し、美術館の外で美術振興に取り組む同世代の担い手たちと知り合いました。このときに生まれた交流は、私のその後の活動に大きな励みと助けになりました。
2011年には、BankART1929が現代企画室と共同刊行する全12巻の『中原佑介美術批評選集』の解題執筆・編集に関わるようになり、その関係でBankART1929がクラブヒルサイドと共同主催した研究会「中原佑介を読む」にも2度登壇しました。その際、故・池田修代表とも中原の批評について意見を交わしたのをよく覚えています(『中原佑介美術批評選集』は既巻10巻で、今年に刊行が完結します)。
BankART1929が、作家の展覧会だけでなく、美術振興の専門家、キュレーター、研究者などを含めた多様な人的交流や、広い射程をもった様々な出版事業など、多方面の活動を積極的に行ってきたことは、他に類を見ない試みであり、現代日本の美術振興に不可欠だと思います。BankART1929の新たな取り組みに大いに期待すると同時に、それを行うために必要なご支援をお願いいたします。
加治屋健司(東京大学 大学院総合文化研究科 教授)
中原佑介美術批評選集(現代企画室+BankART1929出版)
今回のBankARTの横浜市による2025年度以降の活動不採用から撤去・移転は、新しい展望を見せる絶好の機会だと今は思っています。
元々PHスタジオの時から困難なプロジェクトでも前向きに進めるアーティストの姿を見せてもらっていました。彼らが母体となりBankARTを始めると聞いた時もその経験値から「絶対うまくいく」と確信していました。立ち上げの展覧会、その後の展示やプロジェクトを一緒に作り、日本でのアートセンターのスタンダードになる活動を一緒に体験させてもらいました。そこから感じたのは、BankARTほど行政と協働していたチームを知りません。拠点を失ったり幾つかの困難をむかえても逆にそれを大きな推進力に変えていく。その姿は生々しく生命力の塊のようでした。これほどキャラクターを強く感じられたアートセンターを知りません。常に実力のあるアーティストの展覧会を企画し、若いアーティストにも機会を作ることを忘れず、現在は若手スタッフも育っています。
まずは、培った経験とノウハウで移動しながら拠点を探しても良いでしょうし、ディレクターとしてプロジェクトを作っても刺激的です。可能性はいくらでもあります。
この新しい挑戦を絶やさないために、まずは皆様に撤去・移転費用確保のクラウドファンディングを行なっています。詳しくはウェブサイトをご覧ください。
ご協力を是非よろしくお願いします。
磯崎道佳(アーティスト)
【アーカイブ動画公開!】
創造都市横浜20周年記念「磯崎道佳「よこはまミーティングドーム2004-2024」
https://youtu.be/d-TEQOizXzI
日時:2024/5/25(土)10:30-19:00
会場:横浜市庁舎1階 アトリウム
参加作家:磯崎道佳
ゲストアーティスト:キム・ガウン、村田峰紀
記録映像 吉本直紀(スタジオ0033)
このイベントは、創造都市横浜20周年を記念して、横浜市の創造界隈拠点「BankART1929」、「黄金町エリアマネジメントセンター」、「象の鼻テラス」が行うイベントです。
※第8回 横浜トリエンナーレ アートもりもり!企画
同じ2004年から横浜で取組を始めた存在であり、我々の取組を応援して協力してくれた存在であり、横浜にアーティストだけでなく様々なクリエイティブ人材を集めてくれた存在であり、郊外へと創造都市を展開していく上で、横浜都心でクリエイティブな人材を集積できる唯一の存在であると思っています。
1番大変な時期かと思いますが、新たなスタイルが生み出されることを信じて、陰ながら応援しております。
岡部友彦(コトラボ合同会社 代表)
《KOTOBUKI : YOKOHAMA HOSTEL VILLAGE》
「BankART Life」(BankART Studio NYK / 2005)
BankARTは新米担当者の私にとっては、事業というより学校みたいなものだった。BankART schoolの講座企画を担当させてもらったということだけではない。現代アートは難解だ、だからファンが増えないし稼げないという外野からの絶え間ない声に対し、池田さんは、時に創造都市は何かを解きほぐし、時に現代アートそのものの力で世間をあっと言わせ、ファン獲得のための地道な活動にも余念がなかった。そんな池田さんを見ていると、様々な「無理難題」にも何とか行政としての落としどころをみつけようと、自然とチームで夜遅くまで奮闘する毎日だった。
横浜で大きく育った創造都市のこれから、そしてBankARTの門出が明るいものとなるよう、心からエールを送りたい。
吉田聡子(横浜市職員)
BankART school「創造都市横浜のこれまでとこれから Part2」 (BankART Studio NYK / 2013)
ハンマーヘッドスタジオ新・港区オープニングイベント(ハンマーヘッドスタジオ新・港区 / 2012)
BankARTは、その場所から都市に開き、さまざまなジャンルの表現の中にも、それを受け取る方法にも備わっている、網羅的で俯瞰的な思考力を底力に、まるで元々あったインフラのように振舞って、この街に根を張ってきました。
それは時々のアーキテクチュラルな工夫がそうさせたのかもしれませんが、本当に多くの人たちが自然と集まってきてはすれ違い、また時に交錯し、雑多なソサエティーと独創的な企てが生まれた拠点でもありました。
そうして現実の街を遊んで街を生きる。都市と芸術にとっての夢のような関係を実践してきたBankARTですが、同時に、時々の政治に翻弄されながら幾度となく引越しを繰り返してきた20年でもありました。
それでも同じ街で20年も活動をしてくると、若かった人たちも老朽化して、色々綻びも生じてきて、大きな変わり目が訪れたということなのでしょうか? とうとう要になる財源と拠点を失ってしまいました。
これまでにBankARTが築いてきたものは途方もないことだったはずですが、それも水の泡となるのかと、おそろしくなります。ひとりひとりの個人が、それぞれの文化を持ち寄って集まったところに都市が生まれるのだとしたら、BankARTを捨ててしまう都市ってなんなのでしょうか?
いっそ、都市の都市たる大事なところ(?)だけを積みこんで、横浜から出港してしまったらどうだろう?
現在BankARTは、20年かけて溜まった諸々のものをとりあえず移動すべく、引っ越しのための準備をしているそうです。この引越しはとても意味があって大事な引越しです。でもお金が足りません。みなさん応援をお願いします。
私も微力ながらこれからのBankARTを応援します。
小林晴夫(アーティスト・blanClassディレクター)
blanClass+神村恵「身ひとつで生きる」 [神村 恵:裏と表を合わせてみる #1]「BankART Life7」(みなとみらい21エリア / 2024)
横浜の中心部、日本大通りでアートスペースを運営していると、はまっこと思われることが多い私ですが、この地とのご縁は「たまたま」が連結的に繋がり合っただけで、取り立ててこのコミュニティーに愛着はありません。
ただ一つ、このロケーションに感謝したいのは、20年あまり、常にバンカートさんがご近所であったこと。次から次へと国際的に評価される展覧会を作り上げ、美術の最先端を走り続けながらも、バンカートは地域に目を向けることを忘れていませんでした。
バンカートパブの使う食材は近所の商店から仕入れ、大晦日には誰でも参加できるイベントを企画し、こういう地道な地元とのコミットメントで、着実にこの地にサードプレイスを築き上げてきました。この場に関わった人は、少なからず現代美術のオーディエンスとなり横浜のアートフィールドを広げることになったと、私もこの渦に巻き込まれた一人として実感しています。
これからは活動の場を、横浜以外にも広げられるということ。おそらくその地でもコミュニティーから取り残された私のような人を汲み上げつつ、また新たな新規参入者を集め面白い企画を連発すると思うと、目が離せません。今後の流動的な活動を、横浜の地より応援しています。
森田彩子(GALERIE PARIS)
川俣正「Plan and Drawings for the Expand BankART」(GALERIE PARIS / 2012)
初めて飛び込んだ美術の世界が、BankARTでした。
アルバイトとして入ったのは2009年、空いた期間はあれど、かれこれ16年です。
当時21歳の私の仕事経験は飲食業のみで、美術と縁もゆかりもありませんでしたし、美術への興味と気持ちはあれど、知識も周りほどありませんでした。
けれど、そんな私をどんな形であれ、受け入れてくれた間口の広いBankARTは貴重な場所だと思っています。もちろん、志していた作家活動のきっかけをもらえ、生き方もかわりました。
BankARTは展示だけではなく、多種多様な人が集り、アーティストが行き交い、働き方と向き合え、学べる。そんな沢山の要素が詰まった素敵で面白い場です。
今後も色々な人の好奇心や、意欲、挑戦に影響のある活動が続いて欲しいです!
安部治子(BankARTアルバイト)
BankART AIR OPEN STUDIO2016 アーカイブ作品発表:キャバ嬢を介入させたパフォーマンス作品 「彼方を立てれば此方が立たず」-えいかの制作- (BankART Studio NYK / 2016)
BankARTが横浜での長い歴史に幕を降ろすことになってしまったことは大変残念ですが、新たな船出に、せめてもの思いを込めて精一杯の応援をしたいと思います。
思えばはや20年になるのでしょうか。BankARTは横浜市の創造都市政策の眼玉としてスタートしました。当時、私は市の委員会のメンバーで、現在のBankARTチームの選考にも携わらせていただきましたが、東京から有力なチームを誘致するにあたって地元横浜の中から反発が起こらないかという懸念がありました。現在の「世界に開かれた横浜」というイメージからは信じられないかもしれませんが、当時はそうした閉鎖的な雰囲気も色濃くあったのです。
BankARTは見事にそうした危惧を払拭して、新たな文化発信拠点として世界からも称賛され、横浜が気鋭の現代文化がさまざまに開花する都市へと変貌を遂げる大きな牽引力となってくれました。しっかりと横浜に根を下ろし培ってきた企画運営の財産は今後もなくなりません。ぜひ、新天地をめざして船をこぎ続ける彼らに、みなさんも応援をお願いいたします。
熊倉純子(東京藝術大学教授)
「集まれ!アートイニシアティブ」(BankART Studio NYK / 2008)
BankARTには、ベテラン作家から若手作家まで分け隔てなく開かれたチャンスがあり、私もその機会に恵まれた一人です。このチャンスがキャリア形成に関わるのか、新たな学びを得るためのものなのか、人とのつながりを育むためのものなのかは、人によって異なるでしょう。ただひとつ確実に言えるのは、BankARTには常にそのいずれにも応えられる対応力があり、多くの人に影響を与えてきたということです。
私は普段、友人たちと一緒に「Project Space hazi」というプライベートな文化センターを運営しながら、愛知を拠点にアートの裏方の仕事をしています。そんな私が初めてBankARTに関わったのは2023年の「Under 35」にて。宇留野圭のマネージャーとして参加しました。私はこの開かれたチャンスの中で、大きな学びの機会を得ました。
関東圏での初めての仕事、今まで出会うことのなかった同世代、この取り組みの中で、多くの人と共に時間を過ごし、新しい価値や情報を交換し合えたことは、私にはとても幸運なことでした。
一方で、こうした文化活動を支える仕組みを、私たちは100年続けることができるのか、ということを最近の自分のテーマにしています。
終わらないアートセンターについて。こうした文化を育むための「場」が、断続的に生まれては消えていく状況が、全国的に見受けられます。
このままでは退屈だ。アートを取り巻く私たちと政治の関係は常に変化していて、もう00年代のような文化政策ではないらしい。そもそもモノごとの移り変わりは常なので、これは仕方ないことなのでしょうか。
文化の場は生まれては消えていく。それが日本の文化のあり方なのかもしれません。
しかし、それを「仕方のないこと」として受け入れるには、あまりにも多くのものを失ってきた気がします。それは単なる場所の消失ではなく、そこで生まれていた実験的な試みや、コミュニティが育んできた関係性そのものです。しかし、その価値が正しく評価されることは少なく、多くの場合、静かに幕を閉じていきます。
そんなことを考えながら、haziに戻ります。
終わらないアートセンターは誰かがつくるものではなく、私たち自身が支え続けるものなのではないでしょうか。
BankARTをはじめ、これまでの多くのアートセンターで積み重ねられてきた知見を受け取った一人として、haziの仲間と共有しながら活かしていきたいと思います。
大野高輝(Project Space hazi ディレクター)
「BankART Under 35 / 2023」作家:宇留野 圭、マネージャー:大野高輝(BankART Station / 2023)
同上トークイベント
美大を卒業した後に困りはて、BankARTのstudioに場所を得ました。
横浜ではその昔、申請さえすれば鳩が駆除できたという歴史を知り、山下公園で鳩を捕まえて「丁寧に飼う」という展示をしました。
すると、動物愛護団体に訴えるという方が現れたので、迷惑がかかるのも悪いと思い、池田さんに相談したところ「君は表現者として、戦うべきだ」と言っていただきました。
展示を続行すると次には警察が来たので、「法はね、無理なんだよなあ」と池田さんは笑って、「全部撮影してね」とスタッフを用意してくれました。
普通は「けしからん」と怒られるものを、「突き抜けろ」と言われたのがBankARTの体験でした。これからの若い方にも味わってほしいと思います。
滝沢達史(アーティスト)
滝沢達史「絶望の方舟」(BankART Studio NYK / 2006)
滝沢達史「絶望の方舟」パフォーマンス(BankART Studio NYK / 2006)
2005年の北仲プロジェクトでBankARTと出会って20年。京都芸術大学でも「北仲WHITEにいた」と言うと、アーティストからちょっと信用度が増しました。さまざまなイベントに巻き込んでくれて、アートと横浜を繋いでくれて20年。とうとう昨年は台湾でパブリックアートを作るまでに。BankARTは私の21世紀を変えてくれました。大きなスペースを所有しない、ことがメリットになるような活動をこれからきっと見せてくれると期待して、応援していきたいです。
城戸崎和佐(建築家/城戸崎和佐建築設計事務所)
《テレビコヤ》城戸崎和佐+毛原大樹 BankART LifeⅡ 「rooftop paradise」(BankART Studio NYK / 2008)
台湾新竹市東區關埔國民小學・公共藝術「飄飄」2024年(©️田中央聯合建築師事務所)
今年1月から、BankART1929と株式会社横浜都市みらいが共同運営している、ExPLOT Studioの実証実験事業に入居アーティストの一人として参加しています。元アンパンマンミュージアム、2020年ヨコトリの会場にもなったPLOT48の建物は、外観が船のようで、高い建物が増えどんどん空が狭くなっているみなとみらいの端っこに、夢の名残りのように泊っています。ここをアーティストのシェアスタジオにしようなどという考えは、BankARTならでは。広大ながらんとしたスペースは、スタッフのマジックであっという間に居心地の良い素敵な空間になりました。
これまでもBankARTのあるスペースは、とにかく大きくて広くて、包容力のある印象深い、大好きな場所ばかりでした。アートを体験できるだけでなく、制作の過程を含めアーティストを守ってくれる、アートへの深い愛を感じられる、BankARTという大きな存在がなくなるなんて考えられません。
私は、古い着物をほどいて洋服に仕立て直す「着物服」プロジェクトを続けていますが、それぞれの家庭からいただく古い着物には、家族の歴史と生活の名残も一緒に付いて来たりします。「九十九(つくも)神」というように、モノは100年近くなるともはやモノではなくなるそうです。BankARTの20年という歳月で、アートの愛に触れられた方々が、今こうして協力できる機会につながっている訳で、どんな形であれ、BankARTはきっと存続し続けると信じて、心から応援しています。
この銀行BANKは、お金では買えない、アートの素晴らしさや優しさ、人々の想像力を、何倍にも増やしてくれることと思います。
伊東純子(デザイナー/アーティスト)
ExPLOT Studioでのスタジオの様子(2025)
un:ten「BankART KAIKO Pop-up Store Vol.1」(BankART KAIKO / 2023)