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BankART is Movement !
BankARTの活動継続にご支援ください!

クラウドファンディングについて

その他寄付金以外で求めていること

進捗報告

応援メッセージ

創造都市横浜20年の「都市の経験」を未来につなぐために


2004年、横浜市の創造都市構想のリーディング事業として始まったBankART1929は、歴史的建造物や港湾倉庫等を文化芸術活動の拠点として活用し、移転を繰り返しつつも、都市とアートを開く活動を継続してきました。しかし2024年11月に横浜市から発表された、2025年度以降のBankART Stationの場所(新高島駅B1F)の運営者公募にBankART1929は採択されず、来年度から市の補助金が打ち切られることが決定、BankART Station 及びKAIKOは今年度末をもって終了することになりました。 20年にわたる横浜市との関係性を変えざるを得なくなった現在の課題として、3月末までに既に決まっている事業を展開しながら2施設を完全撤収するために荷物の移動先と資金を自前で調達しなければならないこと、同時に来年度以降の活動拠点と経済構造を急ピッチで再構築しなければならない、という差し迫った状況があります。
現在のBankARTはこれまで活動を共にしてくれたアーティストやクリエイター、関係者や観客の皆様方とともにつくってきた運動体です。その蓄積を未来につなぎ、さらに自由に拡がっていくため、芸術活動やまちづくりを大切にしている多くの方々と共に活動継続していくために、初のクラウドファンディングに挑戦します。このピンチをチャンスに変えるべく、ご支援の程よろしくお願い致します。






一次目標1000万円に到達いたしました!引き続き3月31日までご支援をお願いいたします!《2025.3.1更新》


みなさまのご支援ご協力のおかげで一次目標の1000万円に到達いたしました!
これまで540名を超える支援者の方々にご賛同いただけたこともとてもありがたく、そのおひとりおひとりに感謝いたしております。そしてこれから本格的な引越し作業が始まります!未来に向けてがんばってまいります。
また、ご支援とともにいただきました「応援コメント」や活動報告で公開させていただいている「応援メッセージ」から、わたしたちがこれまでおこなってきたことの意義、これからなすべき態度、みつめるべき未来に多くの示唆をいただき、本当に励みになっています。ありがとうございます。

この間の作業や、皆様からの情報により、撤収にかかる現状復帰費用や引越しや廃棄にかかる費用、当面の荷物保管にかかる費用も大きく削減することができ、これらは1000万円以内に収まる見込みとなりました。重ねてありがとうございます。
一次目標の撤収費用にかかる1000万円は到達いたしましたが、これ以降は具体的な目標金額を設定せず、3月31日まで引き続きご支援を募りたいと思っています。この先のご支援に関しましては、主に来年度以降の活動資金、新たな場所の確保にむけての資金、その他、状況により使途が明確になった時点で、都度ご支援いただいた皆様に向けてご報告させていただきます。
引き続き、さらなるご支援ご協力をいただきたく、何卒よろしくお願いいたします。




寄付金の使い道


〈1次目標〉 1,000万円
BankART StationおよびBankART KAIKOの撤去費用の見積時点での不足金額
内訳:
荷物[什器や機材、出版物、事務資料など合計約400平米分]の保管先の家賃
搬送用トラック費および運搬作業の人件費
上記2施設の現状復旧費[自主および指定業者発注分を含む]

〈ネクストゴール〉
来年度以降の活動資金
新たな活動拠点の確保および運営費
その他、状況により使途が明確になった時点で、都度支援者に向けてご報告します

今回は様々な意味で余裕がないこともあり「寄付型クラウドファンディング」としており、現時点で返礼品などの用意はありません。ですが、ご支援いただいた方々に向けては随時進捗状況などをお知らせさせていただきます。また、次の体制が整ってきた時点で、お礼となるようなものを考えたいと思います。



その他寄付金以外で求めていること


寄付金以外にも、ご支援いただきたい内容がありますので、以下にその項目をあげました。
可能性があるかもしれない、などの情報提供でも構いません。

(1) 荷物の移動先(倉庫、空き空間など)
荷物の内容は、書籍、機材、備品、書類、材料、道具、家具など。
合計で400平米程度分の荷物があります。1つの場所で400平米でなくても、いくつかの場所に分散も可能なので、もっと狭い空間でも問題ないです。
場所は横浜近郊であるとありがたいですが、遠方でも可能です。
その空間によって何を置くかを検討します。屋外でも可能です。
費用は無償だとありがたいですが、有償の場合はこのクラウドファンディングで集まった費用で賄います。
使用期間は、最低1年はあるとありがたいです。

(2) 3月を中心とした運搬アルバイト
荷物の移動作業を手伝っていただける方を大募集します。

(3) 2025年度以降の仕事の機会
美術系、まちづくり系、建築系、どんなことでも構いません。
古い建物や未利用空間の活用、企画コーディネート、展示企画制作、屋内外でのイベント、編集デザイン、リサーチ、相談業務、講師や登壇の依頼、原稿執筆、壁や什器制作、壁面塗装など、これまでの蓄積をいかした活動機会がございましたらぜひお声がけください。
まだ具体的になっていない段階でのご相談も大歓迎です。まずはご相談ください。

(4) 本格的な活動拠点となるような空間とロケーションに恵まれた場所
これまでの活動経験から、例えばBankART Studio NYKのような、空間とロケーションに恵まれた場所での活動展開を模索しています。オルタナティブスペースとして実験的な活動ができる場所、都市のサードプレイスとして機能するような場所、周辺の環境に呼応するような活動ができる場所、常設の美術館のような良質の作品がいつでも見られる場所、そのような、その場所やその建物にあわせて、みなさまに愛される空間をつくっていきたいと思っています。

情報提供をしてくださる方は、以下のフォームよりご連絡いただけますと幸いです。

※上記の新しい動きなどは、随時更新いたします。



進捗報告

2025.2.5

2025年度に向けて少しづつ動き出しています。


横浜市の公募の不採択通知とほぼ同時期にいただいたお仕事のひとつに「瀬戸内国際芸術祭2025」の高見島のディレクションがあります。高見島の公開は秋会期(10月3日から11月9日まで)、テーマは「高見島アートトレイル」としました。先日、引っ越しの合間を縫って参加作家と現地下見に行ってきました。どんな物語を紡ぐことができるか、ぜひご期待ください。

■ 瀬戸内国際芸術祭2025
高見島プロジェクト「TAKAMIJIMA ART TRAIL 高見島アートトレイル」
ディレクション:BankART1929
会場:高見島(香川県多度津町)
会期:秋会期|2025年10月3日[金]〜 11月9日[日]
https://setouchi-artfest.jp/
2022年までは京都精華大学の教員、学生、卒業生を中心に展開されてきた「高見島プロジェクト」。今回はBankART1929が引き継ぐ形で高見島での展示をディレクションする。テーマは、浦集落の自然石を積み上げた石垣沿いに続く細道を楽しむ「TAKAMIJIMA ART TRAIL - 高見島アートトレイル」。大室佑介、中谷ミチコ、橋本雅也、保良雄、淺井裕介、谷本真理、泉桐子、BankART1929+PH STUDIOが参加を予定している。


もうひとつの展開は、もともとBankART Studio NYKのライブラリーに蓄積されていた美術、建築、まちづくり系の書籍を秋田県美郷町の「北のくらし研究所」に、本格的な雪のシーズン直前の昨年末に一旦運び込ませていただいたことから始まりました。「北のくらし研究所」の和井内京子さん、宮尾弘子さん、また彼女たちとつながる東北方面のネットワークから「旅するBankART Library」の企画が生まれつつあります。こちらも具体的な動きが固まり次第、またお知らせいたしますので、ご期待ください。
https://kitanokurashi.jp/



2025.2.5

当面の荷物の移動先がきまりました。(ただし12月まで)


クラウドファンディングでも資金とあわせて情報提供をお願いしておりましたうちのひとつ、当面の荷物の移動先が、横浜市内で確保できましたことをご報告いたします。これで3月末までに撤去しなくてはならない荷物の一旦の移動先が確保できました。ただし、使用期限は今年12月までとなっているため、一旦移動の後、荷物を整理して廃棄や譲渡などをして総量を減らし、また別の場所に移動しなくてはなりません。それでもいっときの保管場所がみつかったことは大変ありがたいです。

12月以降の保管場所については引き続き、検討中です。
本格的な活動拠点となるような場所も引き続き探しています。また拠点がない状態でも、街中展開やプロジェクトなど、BankARTのこれまでの蓄積を生かした活動の場も、引き続き求めています。


2025.1.31

アーティスト有志による、BankART Station 最後の展覧会「アライブ!展」への展示販売作品・参加者を募集します!

BankART StationおよびBankART KAIKOを今年度末で完全撤収することになったことを機に、アーティストの方たちが、BankART Stationでの最後の展覧会を企画してくださいました。 その展覧会の参加者募集のお知らせです。

申込締切: 2025年2月23日[日] 23:59まで
「アライブ!展」 開催概要
日時:2025年3月22日[土]・23日[日] 13〜19時
会場:BankART Station
主催:「アライブ!展」実行委員会
共催:BankART1929



2024.12.31

1月10日、アーティストシェアスタジオ「ExPLOT Studio」キックオフイベントを開催します!


クラファン開始早々より皆様のご支援ありがとうございます。来年度の事業のひとつにつながる重要なイベントのお知らせです。 本年度、BankARTは(株)横浜都市みらいと共同し、みなとみらい21地区の「PLOT48」においてアーティストシェアスタジオ『ExPLOT Studio』の実証実験を行なっています。事業スキームや経済的な目処をブラッシュアップしていくとともに、ここでのイベントやこの場所の認知度の向上などが実証実験の成果となり、来年度以降「ハンマーヘッドスタジオ」や「北仲BRICK & WHITE」のようなシェアスタジオを本格展開できる可能性へとつながります。 2025年1月10日(金)18時30分より、そのキックオフイベントを開催します。当日は台北市横浜市芸術家交流事業で同スタジオにて活動する鄭文豪氏のウェルカムパーティも同時開催します。皆様お誘い合わせの上、ぜひお越しください。


日程:2025 年1 月10 日(金)18:30-21:00(要申込)18時受付開始
会場:PLOT48 内シェアスタジオ「ExPLOT Studio」(横浜市西区みなとみらい4-3-1)




2024.12.27

アーティスト有志による展覧会を企画中!


日時:2025年3月22日[土]・23日[日]
BankARTのこれまでの歩みを祝うとともに、未来への希望を込めたアートイベントを開催します。本イベントは、アーティスト有志による作品の展示販売を中心に行い、売上の一部をBankARTの活動資金として寄付いたします。
作品を通じて文化を支え合う場として、これまでBankARTに関わってくださった方はもちろん、まだ訪れたことがない方、すべてのアートを愛する人々のご来場をお待ちしています。
なお、2025年1月以降に出展作家の募集を開始し、改めて展覧会の詳細をご案内いたします。

アーティスト有志実行委員会(仮)



応援メッセージ

川俣正さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.1


池田修のBankARTは、終わった。

今回の決定で、こんな早急に場所を撤収しなければならなくなったことが分からない。
20年間やってきた事を、数ヶ月で追い出す横浜市にも既に未練はない。
これからは横浜にこだわる事なく、自由に場所を変えて、いろいろな企画をしていけばいい。
そしてその後の活動は、自分たちの範囲内から行なっていく。
池田くんの残した道から大きく逸れていってもいいだろう。
何故なら既に動いてきた経験があるから。

例えば、ロンドンで活動するアートエンジェルの様に、最初に場所も資金もないところからアーティストのアートプロジェクトを立ち上げる。そこから場所や資金調達を行い、スタッフを集めてプロジェクトの実現に向けて動いていく。そんな活動の方法だってある。

村田くんがやっているBankART Schoolだって、横浜でなく、中目黒の居酒屋でやってもいいだろう。ここで池田くんは、私にBankARTの最初の構想を話してくれたわけだから。

まずは、今あるスペースの撤収に資金がいるとのこと。それで寄付を集っている。
ぜひ協力をお願いしたい。

川俣正(美術家)


川俣 正 「Expand BankART」
(BankART Studio NYK / 2012-13)

曽我部昌史さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.2


一昨年、神奈川大学では「横浜建築」という講義科目ができました。
最終回のテーマが「創造的な界隈をつくる」というものです。学生を前に話をするたびに、2005年の春、後に北仲ブリック&ホワイトと命名される暫定的な活動拠点のことを相談して下さった池田さんの姿が目に浮かびます。
創造的な界隈をつくるための、実質的なはじまりです。

このことをはじめ、BankARTの関心は固定的な居場所に縛られていませんでした。むしろ暫定利用とか場所の移動を楽しんできたと言っていいでしょう。だからこそ、これだけ多様なかたちで都市とアートを繋ぐ活動が継続されてきたのです。いま横浜にある創造的界隈の質は、こうして生み出されたものです。

BankARTの活動はこれまでの固定的な居場所から解放されることになりました。創造的な界隈ももっと広がることになるだろうし、都市とアートを繋ぐ活動も新たな挑戦に向かい合うことになるでしょう。寄付を含めて活動の継続を応援することで、BankARTの新しいフェーズに向けた気運を一緒に高めていこう。

曽我部昌史(神奈川大学教授 みかんぐみ共同主宰)


北仲BRICK & WHITE 写真:鈴木理策

開発好明さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.3


横浜の文化芸術シーンを牽引して来たBankART1929。
歴史的建造物を舞台にした多様な活動は、アーティストの育成だけでなく、街全体の活性化にも力を注いできました。
今回のファンドレイジングは、そんなBankARTがステージを変えていく大きな一歩です。
皆様の温かいご支援が、より豊かな文化づくりへと繋がります。
一緒に、BankART1929の未来を見ましょう!

開発好明(アーティスト)


「雨ニモマケズ(singing in the rain)」展
(BankART Station / 2019)

淺井裕介さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.4


ピンチをチャンスに!!BankARTは私が作家活動を始めた20代前半の最初期から関わりがあり、目まぐるしく変化を続ける都市の抜け穴を伸びやかに軽やかに(時に泥臭くも?)縫うようにして築き上げてきた膨大な功績、その姿にはいつも励まされ背中を押されていたように思います。

他に類を見ない生き物のように変化を続けるBankARTの新しい旅立ちと挑戦、さらに自由に楽しいものになりますように!応援します!!

淺井裕介(アーティスト)


BankART Stationでの制作(2023)

キム・ガウンさんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.5


BankARTを始めて知ったのは私がまだ韓国に住んでいた10年も前でした。アートに関して素人だった私でしたが、BankART Studio NYKで植物で作られた巨大なインスタレーション作品を観て胸が震えるほど感動した経験はいまだに生々しく覚えています。

2024年企業のプロジェクト依頼を受けたBankARTから連絡を頂き、神奈川公園にある68.5mの仮囲いに絵を描く光栄な機会がありました。スタッフの皆さんと一緒に仕事をしながら、これからもアーテイスト支援を通じて、地域の人に積極的にアプローチしていきたいというバンカートの意思を聞かせてもらいました。

それは20年も横浜をベースに実力を証明してきたからこそ実現可能なプロジェクトであって、これからが本番なのに活動場所と資金がいきなりなくなってしまうのはあまりにも胸が痛いことです。私はまだまだBankARTの心に刺さるプロジェクトが観たいです。

BankARTは今のスペースの撤収作業や新しい場所を見つけるのに資金が必要です。

クラウドファンディングは3月31日まで継続しますが、皆さんのご協力をお願いします。

キム・ガウン(アーティスト)


《夢を描く人たち》キム・ガウン(神奈川公園内工事仮囲い[68.5メートル]2024年から約8年間展示)

牛島達治さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.6


ご存知の方も多いことかと思いますが、横浜の芸術文化を牽引してきたBankARTの活動は、現在、大きな変革期をむかえています。

BankARTは、今まで何度となく外的要因で場所を変えることを余儀なくされながらも、新たな場所を獲得し、表現者たちの活動の場を構築してきました。また、それぞれの場所の特性を生かし、地域に対し開いてゆくという事を工夫・実践しながらアートをきっかけとして広く様々な人々との出会いを生む場としても機能してきました。
今までは、横浜市との協定のもと共に協働してきたわけでしたが、こういった後ろだてを失ったこれからの事をバンカートスタッフやアーティスト、バンカートファンはどう捉えているのか、私は気になって落選直後のある夜、BankART Stationに行ってみると、静かに賑わっていました。意外に明るく、これからの事や今までと違った可能性を口にしている人もちらほら。
実は私も客観的には、違った可能性を求めてゆくには悪くないタイミングではないかと無責任にも考えていたのでした。

そもそも、と言うか毎度毎度チャレンジしながら歩んできた池田修さんと細淵太麻紀さんらPHスタジオを核として始まったBankARTなのだから、チャレンジは普通のことに違いない。
度々訪れる不利な状況からでもわずかに残っている可能性の芽を見つけ、それをポジティブに育てて行くことから新しい可能性を開いてゆく力がBankARTにはあるのです。まるで生き物のよう。
とはいえ、今回の状況は厳しい。ここ数か月で、予定していた業務をこなしながら、引っ越し先、いや、展示什器や作品、書籍など大量の所有物を移設保管するための場所を確保し、3月末までにStationを引き払わなければならないのです。個人の住居レベルだとしても大変な事です。夢と展望は描けてもまずは越えなければならないハードルが目前です。移設移転のための公的補助金はありません。

そこで、このクラウドファンディングを始めることになったわけです。国立美術館、博物館ですらクラウドファンディングをしなければならないというご時世、この事が良いのか悪いのかは言うつもりはないですが、この国の情けなさは感じずにはいられません。
さて、BankARTではどうかというと去年の暮、募集開始後24時間ほどで250万円を超えたのをみると、野次馬のような私でも、いかに地域で必要とされ、愛されているのかを改めて感じ、とても感動しました。私も微力ながら協力いたしました。
第一目標の1千万円は、荷物の引っ越し先確保と引っ越し費用だそうです。詳しくはクラウドファンディングのステイトメントをご参照ください。
なんとかネクストゴールまで数字を伸ばして、活動拠点の確保と次のステップへの活動資金となるように応援してゆきたいと思います。

3年程前突然の池田修前代表の逝去を乗り越え立派に「池田以降」を築いてきた細淵太麻紀代表、津澤峻さんとすべてのスタッフへのリスペクトと何よりも健康を祈りつつ、出来るだけ寄りそい、お力添えさせていただくことを申して、終わりにいたします。
あっ、最後に一言、創造都市的思想から生まれた理念の継承のためにも、何卒よろしくお願い致します。

牛島達治(美術家)


「BankART LifeⅤ "観光"」
(BankART Studio NYK / 2017)

柳 幸典さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.7


この国においてはアートは手段でしかなく目的ではないのか?

アートは都市のジェントリフィケーションに有効であることをBankARTは雄弁に証明してきた。同時にその功績も無かったかのように貪欲な都市に手段として利用されるのは避けられないことなのか? 
都市に潜み続けたBankARTのジレンマであろう。過疎の離島を活動の拠点にしている私は、都市にこだわり命を削りながら活動してきた池田修氏に聞いてみたかった。

20年間大いなる成果を生み出したBankARTが、ついに新たなフロンティアを求めて旅立つ時が来たようだ。その旅立ちのはなむけに私の土玉の作品「Ground Transposition」が横浜の街を引越ししている様子をクラウドファンデイングの広報画像に選んでいただいたのは、まさしく「移動」をコンセプトとした作品を的確に語っている、と感心した。古代エジプトでは糞玉を転がすフンコロガシ(スカラベ)を再生や復活の象徴と崇拝した。あの土玉の中にはBankARTの再生と復活の胎動を宿していると私は信じている。

寄付による応援をお願いしたい。

柳 幸典(美術家)


《Icarus Cell》柳幸典 「Wandering Position」
(BankART Studio NYK / 2016)

吉田山さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.8


BankARTが引っ越しするらしい。

ちなみに私は引っ越しが一番嫌いだ、理由は大変でお金も時間もかかるゆえ。しかし引っ越しには良いところもある、荷物を整理し、断捨離することで心身ともに身軽になる。断捨離と言ってもいらなくなったものは捨てるのではなく古本屋や古着屋などのセカンドハンズや、必要そうな友人に託していく。
そのようにして自身の体にまとわりついていた脂肪のような物が公共へと帰っていく。ゆえに、私は断捨離のことを2024年からコモンズと呼ぶことにした。
家に蓄積されていたものがコモンズへと還っていくのだ。

BankARTにはさまざまにお世話になった。池田さんは存命時から人間というよりも雷や台風、真夏の太陽光のように大自然現象に近い存在であった。
ある意味では太陽や水は等しく与えられた公共であるし、公共をテーマにし休むことなく横浜を20年間、アートや建築、パフォーミングアーツの活動紹介によって光を当て大地を耕してきたBankARTが横浜からコモンズされたということで、これからが公共としての真価を発揮する時なんだろう。

吉田山(Art Amplifier)


《都市GENEの抽出・反転・流通》吉田山+西山萌+木雨家具製作所「BankART Life7」
(BankART Station / 2024)

西野 達さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.9


BankARTは20年以上前に、日本では珍しく行政が音頭をとって文化を地元に根付かせようとして始まったプログラムだ。ビエンナーレやトリエンナーレなどの大きな規模の展覧会は腐るほどあるが、それに比べて現在でも行政が関わる草の根的な文化組織は日本では少ないのではないだろうか?だからこそ可能な、その大きなスペースが魅力の一つになっていた。

行政や企業がオルタナティブスペースに関わると箱に重きを置いて内容は後回しにされ過激さは失われることが多いが、BankARTは横浜市の協力のもと既存の建物を使うことで何を見せたいかを最優先にしていた。俺にとって特に印象の残るBankART Studio NYK は元倉庫というアーティストにとっては垂涎もので、最初の「日産アートアワード」展示の時にはそのスペースと自由さに感激したものだ(駐車場の街灯を引き抜いて展示室に持ち込む、トイレの上下水道を展示室まで引き便器を展示室で使用可にする等)。

新しいBankARTは独り立ちして大きな予算の確保は難しいと思われるが、アーティストや企業が運営するのとは違う今までのBankART路線を引き継いでもらいたいと切に願う。

西野 達(アーティスト)


《ペリー艦隊》西野 達「日産アートアワード2013」
(BankART Studio NYK / 2013)

松岡未来さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.10


BankARTに初めて足を踏み入れた時から12年が経ちました。その間わたしは、アーティストの手伝いや、受付、ショップ、カフェ・パブ、本やチラシのデザイン、ウェブ作成など、さまざまな形でBankARTに関わってきました。

12年前、わたしは普通の、横浜の学生でした。たまたま大学の先生から、現代美術アーティストが学生ボランティアを探しているという話を聞き参加したのが、BankART Studio NYKで2012年に開催された「川俣正 Expand BankART 展」でした。現代美術も何も知らない私でも、NYKの建物を覆う圧倒的な作品のカッコ良さに、「こんなものがこの世にあるのか!」と心が躍りました。
その後、池田さんに声をかけていただき、BankARTでアルバイトを始めました。当時はNYKの広い1階で、受付・ショップ・カフェを1人でやりくりすることも多く、これが初めてのアルバイトだった私はたくさん怒られながらも、働くことの大変さとやりがいを教えてもらいました。そして何より、BankARTに関わるたくさんの素敵なアーティストの方々と出会い、これまでの自分になかった感性や物の見方を知りました。

BankARTでのボランティアをきっかけに、川俣さんをはじめ、いろいろなアーティストの作品施工の手伝いもするようになりました。それまで地元をほとんど出たことがなかった私が、行ったことのなかった場所へ行き、たくさんの素敵でユニークな人々に出会いました。

いま、私はデザインの仕事をしています。これもBankARTが繋げてくれた縁でした。BankARTのチラシや出版物のデザインをしている、ヤング荘の北風さんと出会ってお手伝いをするようになり、いつのまにかヤング荘のメンバーにもなりました。

アルバイトをしなくなってからも、BankARTのウェブサイトを作成させてもらったり、ときどきチラシのデザインや本の装丁なんかもさせてもらい、何者でもない私をずっと気にかけ、ずっと見守ってくれていた場所でした。

自分の生まれ育った横浜に、BankARTのような自由で流動的で気概のあるカッコイイ場所があることはとても誇りでした。ここから出ていかねばならなくなったことは本当に残念です。
BankARTの受付をしていたときに、一番大事だと言われていたことは「リレー」すること、人と人の縁を繋ぐことでした。

今度はどこに、新しい「縁」が繋がる場所ができるのか、今はとても楽しみです。

松岡未来(元アルバイト)


BankART Pub(BankART Studio NYK)

加藤 巧さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.11


BankARTは、学生時代から横浜に行くときには立ち寄る場所でした。横浜といえばBankART、といつの間にか思っていたかもしれません。
縁あって、2023年にはKAIKOでワークショップ、そしていま2025年にはStationで企画した展覧会をしています。
そうしてBankARTのみなさんとプレイヤーとして接するようになると、「横浜であることは大事であったけれど、もっと大事なのは、何かを作っていく意志を持った人たちがそこにいることなのだな」と思うようになりました。
アートはすぐに成果が出るようなことばかりではないし、「何かわからないけれど、きっと豊かになることをやろう」と思えば、「アート」と呼ばれそうなことばかりしていなくてもよいのかもしれません。どこであろうとも、やっていく、何かわからなくても、作っていく、そういう意思が引き継がれていけば、それが場になり、文化になっていくだろうと思います。

BankARTが繋いでいこうとする、前向きな意志を応援します!

加藤 巧(アーティスト)


「光を練り合わせる -絵画と科学の対話から」加藤巧×山脇竹生(BankART Station / 2025) より《One Colour Just Reflects Another》

「光を練り合わせる -絵画と科学の対話から」加藤巧×山脇竹生(BankART Station / 2025) より《Dialogue》(左右)、《To Pursue (pearls)》(中央)

山脇竹生さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.12


私にとってのBankARTは職場に近い、ふらっとアートを見に行ける場所でした。美術家の加藤さんとの協働研究の内容をより多くの人に広め、アートとサイエンスの共同のあり方を示したいと考えたとき、BankART Stationでの展示でご協力いただけることになり初めて深く関わらせていただきました。

展示のやりとりを進めていた中で、この度のコンペ結果が発表されたその日、その情報共有のメールが届きました。驚いたのとともに、メールの最後に「展示はしっかりサポートします」、ときっと自身のことだけでも頭がいっぱいなはずなのに、すぐに関係者に気を配れるしたたかな言葉が書かれていたのを覚えています。
クラウドファンディングのページでBankARTの歩みを、いまさらながらちゃんと知りました。20年にわたって時に苦難を乗り越えながら創造都市の実現に向けて活動してきた経緯を知り、その蓄積があったからこそ、あのメールの言葉がでていたのだと合点がいきました。

クラウドファンディングのページの最後に、…「この状況に対して挑戦していきたいと考えています」とあります。終わるのではなく、未来に向かって発展していこうとする、この挑戦を切に応援しています。

山脇竹生(化粧品メーカー研究員)


「光を練り合わせる -絵画と科学の対話から」加藤巧×山脇竹生(BankART Station / 2025) より

山本愛子さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.13


11年前のクリスマスの夜、学生だった私はアルバイトの面接のためにBankART Studio NYKのオフィスを訪れ、そこで池田修さんに初めてお会いしました。突如現代アートに関する質問をいくつか投げかけられるも、一つも答えることができず、池田さんからは「赤ちゃんだな」と言われましたが、それでも採用いただいたことが嬉しかったのを覚えています。それ以来、アルバイトと様々な事業を手伝ったり、作家として展示に参加するなど、BankARTとの関わりを深めていきました。BankARTと出会わなかったら、こんなにも現代アートに触れることもなかっただろうし、地元横浜をここまで好きになることはなかったと思います。

そしてなにより、今の私はBankARTが結んでくれた数多くのご縁によって作家活動を続けることができています。これはあのクリスマスの日から続く、池田さんからの終わらないプレゼントのようなものだと感じています。

20年間、アーティストや創造都市の活性化のために歩んできたBankARTが今、クラウドファンディングという形で支援を求めています。私にとってそれに応えない理由はなく、微力ながら寄付をさせていただきました。ただ、自身を含め誰もが潤沢な寄付金があるわけではありませんし、支援の形はクラウドファンディングだけではないとも思っています。

そこで、今自分に出来ることをやりたいという気持ちから、アーティストを中心とした有志でBankART Station最後の展覧会「アライブ!展」を企画しています。展覧会を通じて、作家として作品を出展すること、コレクターとして作品を購入すること、集まった人々でBankARTのこれからを語り合うこと。さまざまな形で、BankARTの未来を祝し、支える一歩になる場所が作れたならと試行錯誤中です。こちらも一人でも多くの方にご参加いただければ嬉しいです。大切な活動がこれからも続きますように。

山本愛子(美術家)


BankART Under 35 / 2021
(BankART KAIKO / 2021)

今福龍太さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.14


いくつもの記憶の場所、その華やぎの気配が想いだされる。
歴史的建造物、運河沿いの倉庫、路地のブックカフェ、駅地下の広大な空閑地……。
海へと開かれた一つの都市のあちこちに埋め込まれ、そこだけとりわけ豊かに発光していた創造空間。
場所を変えながらも、意思を持続させ、哲学を柔らかく守り、表現者と市民とを境なく結び合わせてきた精神共同体。
市場経済の原理に挑みながら、自立を指向してきたBankARTの展開の可能性は、だからこそ無限にあると信じられる。
なぜならこの創造空間=運動体には、どこにもない悦びがあったから。
より自由になること。
より晴れやかに生きること。
創ること、表現することがより開かれた、より純粋な理念に支えられたものになること……。
そうした未来を夢見るコミューン。
BankARTの新生に向けての第一歩を、そんなコミューンの一員として支えたい。
多くの同志が、自由に、晴れやかに、さまざまなかたちでこの支援と再創造の輪に加わらんことを!

今福龍太(文化人類学者・批評家)


BankART school「〈原写真〉の翳のなかへー現代における〈眼〉の冒険」(BankART Station / 2022)

福住 廉さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.15


BankART1929は、つねに、すでに、オルタナティヴな現場でした。
朝倉摂や原口典之、柳幸典といった優れた美術家たちの本格的な回顧展を、公立美術館に代わり、成し遂げただけではありません。

たとえば、わたしが長らく講師を務めたBankART Schoolの講座「アートの綴り方」は、美術についての文章を実践的に学ぶ場でした。受講生は述べ200人あまり。大学生もいましたが、彼らの多くは働きながらなお、文章を学ぶ意欲にあふれた社会人で、それぞれ仕事や家事を終えた後、馬車道や新高島の教室に足しげく通ってきたのでした。その熱意と行動力は、講座の終了後に、それぞれの専門性を提供し合いながらフリーペーパー「HAMArt!」を自主的に発行するほど、この講座の中で大きく成長したのです。

おそらく、既存の美術大学やカルチャースクールでは、このような創造的な展開は難しいでしょう。そこでは教員と学生という役割が明確に区別されているうえ、それらのカリキュラムは厳密な時間によって管理されているので、自主的な表現活動をもたらす余白が生じにくいからです。授業は終わったのに、まだ何かやってる──。そのような自由が可能になったのは、BankART1929がオルタナティヴな現場だったからにほかなりません。

行政や企業との距離感は変動するでしょうが、これからもBankART1929はオルタナティヴな現場をつくり続けるはずです。そのためにぜひ、みなさまのお力を!

福住 廉(美術評論家/秋田公立美術大学大学院准教授)


BankART school 福住廉講座「アートの綴り方」 毎回、講座終了後に受講生の有志による編集、発刊のフリーペーパー「HAMArt!」

岡﨑乾二郎さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.16


(都市が都市である理由としての)BankART 

そもそも「Bank」 の語源は イタリア語の「banca」=「ベンチ、台」 である。人が座り、事物をのせる、日本語でいえば縁側にあたる。ベンチで事物や人は、いかなる事態にも応じるべく待機している。「Bank」の語源としてゲルマン語の「benc」を考えることもできる。原意は同じく「ベンチ、台」であったが、こちらは土手、堤という意味を持つに至った。岸辺の盛り土=堤が何に対峙しているのかはいうまでもない。いずれにせよ、Bank すなわちベンチににリザーブされているのは未来である。

さて、では都市とは何か、なぜ人は都市に集まり、住むのか。そこはかつて堤や城壁に囲まれ、不測の災害や外敵から守られた場所であった。その場所では日々の営み、暮らしが保証され、未来への可能性が担保されていた。この都市と、その未来を支え、その可能性をリザーブしていたもの—それがBankであった。

Bankがないことは未来の可能性、その余地を持たないことを意味する。反対にBankがあれば、そこに都市は生まれる。生活、暮らしを支えるのはBank(=banca、ベンチ)に集う人々であり、そこから生まれる議論であり活動である。未来の計画、作戦はそこで生まれ確保される。ここが都市の起源だ。(であるから、未来の試合展開を決めるのはベンチにリザーブされているスーパーサブであるに決まっているのである)。今回、一人の選手を放出するのではなく、Bank(ベンチ)そのものが放出されることになったことはBankにとっては幸いだった。なぜならBankがあるところに優秀な選手、作家、アーティストは集まるからである。新しい都市が生まれるからである。Bankがないところには ‥‥(大丈夫だろうか?その街)。だから わたしはBankを慕い、BankARTを応援する。

岡﨑乾二郎(造形作家・批評家)


岡﨑乾二郎 「かたちの発語」展示風景
(BankART Studio NYK / 2014)

《グウグウなるのはお腹だわ。わたしたち運がいい。悪いことはいつも過ぎ去ったあと気づくというでしょ、台風一過の水たまり、不運もすっかり片づいてた。お天道様の宙返り! なんて短くても終わらない本があるそうで、私は読んでないけど一冊頼みました。 トリノツノやトビウオ、貝殻、粘土でできたタツが数珠つなぎの話になって頭の中に浮かんできました。けれどそのままぐるぐる渦巻き、口から出せなくなくなりました。 夢うつつに目の前には緑の砂地が広がっていき頭の上は深いコンペキで、まん中にまんまるとした満月がコガネイロをして浮かんでた。空になにも無いわけではない。 どこかしこからも音楽が。部屋の間、草の間、樹の上、虫たちの合奏はガヤガヤ不思議。蛇たちもシュウシュウシュウと虫たちに声を合せるではないか…そこにビシャビシャと夕立が降って、もう庭じゅうが水たまり、みな泳いで、潜り、羽ばたきしてガアガアガア。》
岡﨑乾二郎「BankART Life7」(BankART Station / 2024)

石内 都さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.17


横浜に42年間、暗室があった。
横浜は写真を始めた土地である。
そこから離れてもBankARTがあることで、横浜との縁は切れることがなかった。

しかしそのBankARTにいま危機が訪れている。
横浜からBankARTをなくしてはいけない。
BankART存続のため、皆さん協力してください。

石内 都(写真家)


《絹の夢-silk threaded memories》石内都
「BankART Life7」(みなとみらい線馬車道駅コンコース / 2024)

梶山祐実さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.18


BankARTとの関係が始まったのは、創造都市施策が正式に始まる前の、旧第一銀行と旧富士銀行活用の公募の時で、それから20数年様々な事業を一緒に行ってきたが、やはり自分にとって一番印象的な事業は、池田さんが亡くなる直前に開催した「都市デザイン展」である。これは、BankARTの中でも最大級のコーディネート事業だったのではないだろうか。自分が前に立つわけでは無く、しかしその後ろ盾が無ければ実現不可能というところまで、協力を惜しまない、THE、縁の下力持ち。コーディネートする相手の創造力を高める。これは、コーディネート事業のみならず、北仲BRICK&北仲WHITEや新港村等の事業も含めて、BankARTが創造都市で果たした特出すべき成果だったと思う。

思えばこの20年間、幾度となくピンチを迎え、それをチャンスに変えてきたBankART。今回はその中でも最大のピンチであるとは思うが、これをチャンスに変えられるのがBankARTだと思う。今私が関わる郊外住宅地の再生にも是非手を広げて、多くの人々の創造力を高めて欲しい。次の展開を期待せずにはいられない。

梶山祐実(横浜市職員)


「都市デザイン横浜展 個性と魅力あるまちをつくる」3Dアーカイブはこちら


都市デザイン 50 周年記念事業 「都市デザイン 横浜」展 (BankART KAIKO / 2022)

都市デザイン 50 周年記念事業 「都市デザイン 横浜」展 (馬車道駅 / 2022)

半田滋男さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.19


90年代に千葉大の長田謙一先生が千葉の旧市街で主催していたプロジェクトに前代表の池田修さんが助言していて、千葉市美術館に勤務していた私ものぞきにいった。その時池田さんに「美術館の人ですか?」と声をかけられ、その時以来のお付合いだと思う。主な企画は逃さず見るようにしてきたし、私が和光大学に来て以降、NYK、Station、Temporary、KAIKOとずっと毎年の卒展でお世話になってきた。NYKのカフェスペースはサロンのようだが誰でもくつろげる開放的な空間だった。ブックショップの品揃えも今流行の独立系書店のようでいつまでもいられる。スタッフの皆さんは、ただのスペース利用者として接するのではなく、学生たちを丁寧に、時には厳しく指導してくれる。これからも長くお付き合い頂くつもりでいたから、この度の報道には驚いている。

いささか急な退去期限で今はそれどころではないのだろうが、これからは活動のエリアと方法を広げていってくれることだろう。もちろん、そのつもりでいるのだろうが。会場施工から出版、企画、スクール、書店・カフェ運営まで、自前でこんなになんでもできちゃう芸術NPOは珍しい。ノウハウは十分に蓄積されているのだからBankARTの今後の機動力に期待している。あと必要なのは当座の資金とのこと。これまでの活動を知る皆さんからも今後の期待を込めて側面支援して欲しい。

半田滋男(和光大学 表現学部 芸術学科 教授)


和光大学表現学部芸術学科 卒業制作展2025『ここはかすがい』(BankART KAIKO / 2025)

北川フラムさんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.20


第6回瀬戸内国際芸術祭での高見島でのディレクションをBankART1929に依頼してすぐに、横浜から離れなくてはならなくなったと連絡をいただいた。
20年間、横浜市の創造都市構想のもとでオルタナティブスペースを運営し、その成果は世界的に知られていただけに驚きました。横浜とBankART1929は一体でしたが、その企画力とゆたかなネットワークをもって、新しく世界中を駆け回ってもらいたい。
妻有と瀬戸内もその舞台です。
私たちも応援しますが、新しい展開にみなさんも加わってワイワイとやりましょう。

北川フラム(アートフロントギャラリー代表)


2025年1月高見島での下見

BankART妻有2024 「創造的修復と交信」
(BankART妻有 桐山の家 / 2024)
写真:橋本貴雄

高橋啓祐さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.21


横浜にバンカートという場所がないのはとても寂しいので、早く新しい場所が見つかることを願ってます。これが新しいバンカートのいいきっかけになりますように。

高橋啓祐(映像作家)


《The Fictional Island》高橋啓祐「BankART LifeⅤ "観光"」(BankART Studio NYK / 2017)

秦くるみさんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.22


2009年に公的な美術館ではそれまで、なしえなかった原口典之の大規模個展を実現させた。そんなBankARTの独自性とスキルはまだまだこれからも活かされ、場所が変わったとしてもその活動が次世代にまでつながってゆく事を願っています。

微力ではありますが、原口氏が残した拠点(岩手県)で現在原口氏に関する、アーカイブや諸々活動をしておりますが、その方面から、何らかの形で今後、細淵さんと協働させていただけたらと思っています。

秦くるみ(原口典之WORKアーカイブ合同会社)


原口典之 「社会と物質」
(BankART Studio NYK / 2009)

吉本光宏さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.23


横浜市の創造都市政策のフラッグシップとして20年間、同市の歴史的建造物や遊休施設を拠点に活動してきたBankARTがかつてない転機を迎えている。3月末で現在の新高島駅地下1階スペースから撤退し、4月以降は独自に活動拠点を見出さなければならないからだ。

BankARTが旧富士銀行、旧第一銀行をアートセンターに転用して活動を立ち上げたのは2004年3月。当時は、チャールズ・ランドリーらの提唱した創造都市の概念が日本に導入されて間もない頃で、具体的なイメージを掴むのに誰もが苦慮していた。二つのアートセンターは、その解を示すものとなり、以降、彼らはNPOならではの斬新な発想と機動力で、創造的なプロジェクトを次々と展開していった。その成果は海外にも波及した。ソウル市は彼らの活動に触発されて、ソウル市創作空間という政策を立ち上げ、複数の工場や倉庫を改修してアーティストの活動拠点を創設した。

BankARTが「都市に棲むこと」を理念に掲げ、この20年間に残してきた足跡はあまりにも大きい。そこには常に創造活動への深い理解と都市へのまなざしがあった。芸術やクリエイティブな活動を支え、それらを都市空間の中に移植、培養することで、地域に新たな活力をもたらしていく。まさしく「創造都市」の根源的な取組であり、横浜ばかりか日本の創造都市の原点、象徴とも言える存在だった。

横浜市の決定で、これまでの延長線上での活動が一旦途絶えてしまうことは、かえすがえすも残念だが、今までも、何度となく拠点を移しながら活動を継続、更新させてきた。2018年にBankART Studio NYKが閉じたときに発表されたプレスリリースのタイトルはBankART is moving、そして、今回のクラウドファンディングのスローガンは、BankART is Movement!。まさしく、BankARTは拠点を移動させながら活動を続ける運動体だ。

これまでの蓄積を未来につなぎつつ、新たな展開が始まることを、心から期待したい。

吉本光宏(合同会社文化コモンズ研究所 代表)


「集まれ!アートイニシアティブ」
(BankART Studio NYK / 2008)

松本秋則さん松本倫子さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.24+25


20年間にわたり芸術活動を継続してアーティストを応援して頂きありがとうございました。
バンカートの今の状況は三国志の劉備軍の状況に似ています、魏の曹操に追い詰められ絶対絶命に有ります。そんな中で諸葛孔明は言いました、これからは上昇するしかない、天下統一に向けて動き出しましょ!
バンカートは自由を手に入れました、これからは何にも囚われず、全方位に挑戦出来るのだと思います。
これからバンカートがなにをやらかすか、楽しみです❗️

松本秋則(アーティスト)


BankART is Movement !
BankARTの活動継続にご支援ください!
の写真を最初見た時、「これから未来へ突き進んでいくぞ」という気迫を感じ、心躍りました!この写真を見るたびにわたしも勇気をもらってます!わたしも一緒に未来を創っていきたいです。

松本倫子(アーティスト)


松本秋則+松本倫子「惑星トラリス」
(BankART KAIKO / 2023)

野田邦弘さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.26


BankARTとは何か

横浜市は2004年創造都市政策をスタートさせる。そのリーディング・プロジェクト「歴史的建築物文化芸術活用実験事業」には20を超える団体が応募し、選考の結果BankARTが選ばれた。

2つの元銀行の建物におけるこのプロジェクトの目的は、「文化芸術分野で活躍する市民やNPOのアイデア、活動力、創造性を活かした文化・芸術活動に関する具体的な事業運営を行う」ための運営ソフト開発であった(募集要項)。

BankARTは、事業開始早々旧富士銀行から立ち退くことになる。その後、BankART Studio NYK、ハンマーヘッドスタジオ(新港ピア)、BankART Home、R16 studio、BankART SILK、BankART Station、BankART KAIKO、BankART Temporaryなど、場所を転々としながらアート活動を継続した。BankARTの活動は、北仲BRICK & 北仲WHITE、本町ビルシゴカイなど民間ビルの集合アトリエ化を促進した。一方で、当時横浜市が活用法を検討していた関東財務局ビルがZAIMとして整備され、横浜トリエンナーレ2005の拠点となるなど、市文化政策にも影響を与えた。

横浜市が当初期待した「歴史的建築物でアートプロジェクトを行うソフト開発」は達成され、次のフェーズとして芸術不動産の取り組みも始まっている。これまで20年間培ってきた、国内外とのネットワークを活かして、今後は、横浜市18区へ対象領域を拡大すると同時に、海外との交流といったグローバルな展開も充実させて欲しい。

野田邦弘(元文化芸術都市創造事業本部創造都市推進課担当課長)


『文化政策の展開 アーツ・マネジメントと創造都市』野田邦弘 著

片岡純也+岩竹理恵さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.27


2015年初めてBankART Studio NYKを訪れた。港のすぐそばの倉庫をリノベーションしたコンクリートと大きな柱のスタジオ。博物館にありそうな古い大きな什器と積まれたたくさんのセレクト本、波と街の景色が見える風の通るパブ、人が集いワインやビール、コーヒーを片手にそれぞれの時間を過ごしている、かっこいいっ、コーヒーは200円だった、貧乏な私たちも気ままに好きなだけ気持ちよく過ごせた。2階や3階のギャラリー、図書室や川俣ホール、バルコニーには巨大なギプスの足のようなよく分からないけど大きな存在感のある作品が置かれていて、どの場面を思い出して切り取っても、さりげなくてドカンドカンとしていて、強くて丁寧でシンプルで潔く清々しい場所がつくられていて、現代美術とかを街の界隈で活動発信して、沸いている、、、最高じゃないですかっ。こんなかっこよくておしゃれで居心地のいい、人が集まる場所があるなんて、横浜すごすぎるっと思ったのがBankARTとの出会い。

2016年の春、私たちは横浜での短期滞在を終え、行くあてもなくお金もなく途方に暮れていたとき、BankART でスタジオプログラムがあると聞き参加した。噂によると中の人は怖いらしい、1週間くらい通って制作していると怖いと噂の池田さんがにこにこ話しかけてきた、それからビールやワイン、きのうのカレー、育てたシソごはんとかをご馳走してくれて、一緒に飲みながら横浜の歴史やプロジェクトの話を聞いた。面白かった。わくわくした。予想もしなかった見たかった景色をBankARTが見せてくれた。それからBankARTが繋いでくれた縁や蒔いてくれた種で制作発表する機会に恵まれ、わたしたちは今まで美術を続けて生きてこれた。BankARTがあったから横浜の近くに住もうと思い、BankARTの活動をいつも楽しみにして、時々参加した。BankARTがあるから、希望と、これでいいのだという勇気と、出会いをたくさんもらった。そしてこれからもまだまだ絶対続けてほしい。

片岡純也+岩竹理恵(美術家)


《机上の事象》片岡純也+ 岩竹理恵「BankART AIR 2016」(BankART Studio NYK / 2016)

小泉雅生さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.28


横浜のまちとBankARTとの関わりが大きく変わろうとしている。これまでBankARTは創造都市という試みの中心にいて、強烈な求心力と遠心力を働かせる存在であった。そのBankARTのこれからが危ぶまれている。

ここではあえて「BankARTなるもの」と呼ぶが、まちには「BankARTなるもの」が必要である。そこにいけば、アートや作品に遭遇するだけでなく、レクチャーやイベントに巻き込まれ、刺激的な人々と出会い、語りあうことができる。つまり、「BankARTなるもの」とは、まちの中にあって平板な日常生活を異化するデバイスなのである。そのことに気づかさせてくれたのは他ならぬBankARTであった。

もし「BankARTなるもの」をまちに定置させられないのであれば、まちはとっても退屈なものになってしまうだろう。だからわれわれは「BankARTなるもの」をなくしてはならない。みんなの力でBankARTのこれから先を切り開いていくことができれば、創造都市は新たなるフェイズを迎えるはずだ。

小泉雅生(建築家/小泉アトリエ・東京都立大学)


《ホンノリベッド》小泉雅生「BankART Life: 24時間のホスピタリティー」(BankART1929 Yokohama / 2005)

婦木加奈子さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.29


BankART StationとKAIKOという、あの大きな施設を同時に、しかも他の事業と同時並行で、数ヶ月のうちに撤収、なんて途方もないことを・・・と衝撃を受けつつ、BankARTが変化していくところをこれから現在進行形で目撃できることが私はとても楽しみです。

初めてBankART代表の細淵さんから展覧会にお誘いいただいたとき、夢みたいで、武者震いが止まりませんでした。何者でもなかった私にもチャンスをくれるような、懐が深くて挑戦的なBankART。

この先もまだまだ活動が継続されていくことを心から願います。

私は実は引っ越しが好きで、隙あらば引っ越しを企てています。それまでいた場所から抜け出て、新しい場所でまた一つずつ生活を積み上げていくことに、いつも希望を感じます。

より身軽な存在へと変容していくBankARTの旅路に、微力ながらエールを送らせてください!

婦木加奈子(アーティスト)


《洗濯物の彫刻》婦木加奈子「BankART Life7」(BankART Station / 2024)

島袋道浩さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.30


BankARTの存続を強く希望します。
そのために何か手伝えることがあれば手伝いたいと思います。
池田さんとは28年前に出会いました。
それ以来、池田さんのアート、そしてBankARTにかける熱情を尊敬していました。
池田さんが亡くなった後を引き継いだ、細淵さん、津澤さんもその池田イズムを継承しつつ、これからのBankARTを素晴らしく継続していけるであろうことを昨年開催させてもらった個展の作業を通して知りました。
そしてその展覧会は僕の35年間のアーティスト生活の中でも忘れられないものになりました。
雨漏りをみつけて、それをそのまま作品にできる場所はなかなかないと思います。
あの作品、池田さんが見たらいつものようにうれしそうに笑ってくれたでしょう。
BankARTは実験ができる場所。挑戦ができる場所。
それはアーティストにとっても、展覧会や企画を考える人たちにとっても。
そして人々が集う場所。
横浜にこだわらなくても、BankARTを必ず続けてほしい。BankARTは必要。
みなさんのご協力、どうぞよろしくお願いします。

島袋道浩(アーティスト)


島袋道浩「音楽が聞こえてきた」
(BankART Station / 2024)

下寺孝典(TAIYA)さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.31


屋台建築家・TAIYAの下寺孝典です。大阪と福岡を拠点に活動しています。

私がBankARTと出会ったのは、2023年の福岡アジア美術館レジデンスでの成果発表展がきっかけでした。この機会に私の作品を見ていただいたことでご縁が生まれ、BankARTの展覧会にも参加させていただくことになりました。これまでには「食と現代美術Part9」や「パブリックアートテーブル2023」に展示させていただきました。

私が展示した場所は、BankART Stationです。新高島駅の中に位置するこの展示場は、ユニークで興味深い空間でした。私自身、BankARTとの関わりはここ2、3年に限られ、以前の拠点施設には伺ったことがありませんが、旧元銀行や旧日本郵船倉庫などの歴史的建造物を文化芸術に活用したお話を伺う中で、BankARTが横浜の文化芸術の中心であることを実感しました。アーティストや芸術関係者だけでなく、市民や行政とも深く関わり合い、横浜という地域に根ざした素晴らしい活動をされていることに感銘を受けています。

BankARTの長い歴史の中で展示の機会を得られたことを、大変嬉しく思っております。これまで築いてきた多くの経験や価値観が、次世代へと受け継がれていくことを願っています。何度も引越し、一時退居、増殖、遠征を繰り返してきたBankARTですが、新たな門出を応援しています。私自身も今後も関わりを持ち続けたいと考えています。

BankARTの活動を継続するためにも、ぜひご支援をよろしくお願いいたします。

下寺孝典(TAIYA)(屋台建築家)


《動く屋根の下で》下寺孝典(TAIYA)「食と現代美術 Part9」(BankART Station / 2023)

山野眞悟さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.32


BankARTを応援する

横浜における私の立場はいつも微妙で、そのため、私とBankARTとの関係もずっと微妙だったと思う。

私はBankARTと入れ替わるように黄金町にやってきた。にも関わらず、前代表の池田修とは彼のBゼミ時代からの知り合いで、その後のPHスタジオとは、何度も一緒に仕事をした。彼がBankARTを始めてすぐ、私も横浜との縁ができた。で、それから私たちはいつも二重の関係を持つようになったと思う。個人的付き合いとしては、古くからの友人関係に過ぎないが、横浜という社会的状況に置かれると、とてもそんなことを言っている場合ではなかった。そして今回の状況は、あるいは分かる人には分かるかもしれないが、私にとっても無関係な出来事ではなかった。

BankARTがあったから、結果的に今の黄金町も出来ていったと言える。両方の動きはその始まりから関連し、その関係の中で変化してきたと思う。

これからどうする、はすでに私個人には関与しようのない話かもしれないが、それぞれが分け持っていた課題については、まだ終了しているわけではないと言わざるを得ない。

今はまず、BankARTは支援を必要としている。それによって、彼らが再び、その活動のテーマについて発言し、実践する機会を得ること、黄金町も含め、私たちは複数の考える主体によって相互に影響を与え、変化していく。

そしてBankARTも、まだ活動の途中であり、おそらくこれからより大きな目標に向かって変化していくだろう。

いずれにしても、まずはその目標に対する支援を多くのみなさんにお願いしたい。

どうぞよろしく。

山野眞悟(黄金町エリアマネジメントセンター事務局長)


《山野真悟さんの紹介する古書店の魅力を堪能する馬車道、伊勢佐木町古書店ツアー》「BankART Life7」(2024)

五十嵐太郎さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.33


池田修さんから最初にBankARTスクールの講師を依頼されたとき、「バンカート」という音だけが耳に入り、?と思ったが、後からすぐにそれがBank +ARTであることを知った。

それから20年、「Bank」の建物はもう使っていないが、移転を繰り返しながら、横浜のあちこちを耕してきた。
BankARTスクールの受講者とは、今でもつながりがあり、こうした出会いにも感謝している。
場所が熟成すると、次の場所に変わっていく動きは大変だったと思うが、臨機応変に様々なプロジェクトを生みだしてきた。
アート、デザイン、建築の境界を軽々と飛び越え、間違いなく、21世紀初頭の横浜に大きな足跡を残した運動体である。

今後の活動を後押しする意味でも応援したい。

五十嵐太郎(建築評論家/東北大学大学院教授)


《建築系ラジオ》「BankART LifeⅢ 新・港村」(新港ピア / 2011)

船本由佳さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.34


BankARTに行けばニュースに会える

放送局に勤めていたわたしにとってBankARTはネタの宝庫。展覧会、企画、スクール、パブ、書籍などに繰り出される企画には「新規性」「アート文脈」「地域と都市」「長期視点」「国際性」「空間利活用」が溢れていて取材のタネだらけです。そこで知ったこと、出会った人々が、私にさまざまなことを教えてくれ、蓄積されその後の取材に発展しました。

ネタがあるだけではありません。

2009年の「集まれアートイニシアティブ」会議で100人を超える参加者と深夜まで語り合ったこと、「これからどうなるヨコハマ研究会」で定期的に議論を交わし、その後私が参加していた「水辺班」が「水辺荘」に発展したことなどから、「ニュースが生まれる前の混沌」があるというのがBankARTの特異性だと思っています。

「村だから、結婚式がやれるといいと思ってたんだ」

という池田さんの一声で、ヨコハマトリエンナーレ期間中の新・港村のアートイベントとして私たちの結婚パーティを行うことになりました。

東北で震災があった夏、2011年8月から11月に期間限定で設けられた外部の電力をなるべく使わない「クリエイターのむら」。新・港村に入居する美容室や縫製工場、ギャラリー、カフェ、デザインセンター、メディアセンターの皆さんに関わってもらい、宇徳ビルヨンカイや象の鼻テラスで企画会議を重ねながら、むらの日常風景として私的な結婚式を公開で行う「OPEN WEDDING!!」という取り組みになりました。

それは、公共(パブリック)と私(プライベート)をどう共存させるのかの実験でもありました。

BankARTが手掛ける拠点は期間限定であるところが多く、思い出の結婚式をあげた「新・港村」も今は建物が壊され、蜃気楼のように消えました。

それでも私の人生にはどうしようもなくBankARTが刻まれており、これからも共にあると信じています。

船本由佳(フリーキャスター / OPEN WEDDING!!実行委員会)


「OPEN WEDDING!~新・みなとむらの大結婚式」桂有生♡船本由佳「BankART LifeⅢ 新・港村」(新港ピア / 2011)

北島敬三さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.35


BankARTがその活動の変容を余儀なくされるという一報を受け、まさに晴天の霹靂としか言いようのない衝撃を受けた。BankARTのチームとは、 それ以前のPHスタジオ時代からお付き合いさせていただいている。あまりにも多種多様に見えるその活動はしかし、一貫して場所との関係を基本に据え、それぞれ個別のアートを発明してきたように思う。私はそうした彼らの姿勢に強く共感し、学んできた。横浜という地域が、BankARTの活動をとおして私の中で一つの飛び地となり、 彼らがさすらうように移動してきた古びた建物やささやかな場所が、さらに飛び地の中の飛び地となって増えていく。昨年と一昨年にBankARTt Stationで私の個展を開催していただいたのだが、それによって「新高島」という場所とほの暗い倉庫のような建物が、他所とはかけがえのないものだったと気づく。これまでもこれからも、BankARTは根無草だ。常に移動し続け新たな飛び地を増やしてゆく

北島敬三(写真家)


北島敬三「UNTITLED RECORDS」(BankART Station / 2022)

村田峰紀さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.36


2006年からスタジオプログラムなどから様々関わらせてもらった。
大学卒業して間もない自分の作品をDVDにしてくれた。一枚500円のドローイングを500枚売り生活した。
横浜独自の文化を作り出し場所や形態は変わりつつも様々な場所でアーティストの生きる道を示唆してくれた。
BankARTはいつでもアーティスト側に立ち、生きやすい場を作り出してくれていたと思ってるし、これからも変わらないと思う。
池田さんの意思も残りつつ新しい力も加わった新BankARTに今後も期待したい。

皆様ご寄付お願い致します。

村田峰紀(アーティスト)


池田修を偲ぶ6日間「都市に棲む―池田修の夢と仕事」(BankART Station / 2022)

「Borderlands」(BankART KAIKO / 2021)

福谷珠々佳さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.37


2023年11月に大学の募集でBankARTを知り、アルバイトとして関わるようになりました。多摩美術大学の生徒ということもあり、アーティストの方にインタビューをして記事を作成したり、イベントのお手伝いをしたり、アーティストと深く関わる貴重な経験をたくさんさせていただきました。力仕事も含めできるようになったことが増え、自分の新しい可能性にも気付けた気がします。

BankART Stationで私は卒業制作の展示をします。 私の最後の展示を、お世話になったこの場所ですることができて嬉しいです。

ここにいて大変なことも多かったですが、同じくらい楽しい時間も多かったので、こういう場所が減らないように、これからも活動が継続できるよう応援しています。

皆様ご寄付お願い致します。

福谷珠々佳(多摩美術大学メディア芸術コース4年生/ BankARTアルバイト)


BankART実験広報部 さとうくみ子さんを取材中「BankART Life7」(BankART Station / 2024)

BankART Station撤収作業(BankART Station / 2025)

多摩美術大学 情報デザイン学科メディア芸術コース 2024年度 卒業制作展 福谷珠々佳作品(BankART Station / 2025)

矢内原充志さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.38


『Dear BankART』

僕を横浜に誘ってくれてありがとうございます。

移転してきた20数年前の横浜は「Open Yokohama」「創造都市横浜」を実践していく形で、たくさんの外部を受け入れていた。そのもっとも大きな外部の一つがBankARTだった。池田修さんは、オープンとクローズが共存する不思議な人で、外部の開拓者だったはずの人は、気がつけば横浜の人になっていた。「都市に棲む」という言葉のチョイスが、独特の目線を表している。

僕は現在の横浜が「開いて受け入れる」という時に、どこか上目線を感じる。港町のアイデンティティを大事にし、もっともっと低く構え、能動的に、自己を「晒す」べきではないか。自分への戒めも込めて今はそう思っている。

都市が成熟し、隙間がなくなり、機能が集まり、効率化し、私たちが失っていくものは何か···なんて考えてもすぐには答えがでない。ただ、わかっていることは、だいたいのおもしろいものは、地下か裏路地に不意に転がっているものだということ。

とうわけで、バンカートがなくなっては困るので、ご協力くださいませ。

矢内原充志(デザイナー)


矢内原充志 「BankART Bank under 35」(BankART Studio NYK / 2008)

《うつを向いて歩こう》矢内原充志 「BankART Life7」(BankART Station / 2024)

加治屋健司さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.39


BankART1929は2004年の設立以来、ギャラリー、スタジオ、カフェ、スクール、出版など様々な仕組みを使って、21世紀の日本に新しい美術振興のあり方を提案し、精力的に活動してきました。BankART1929が新たな場所で事業を継続できるよう、ご支援をお願いできればと思います。

私が初めてBankART1929の活動に参加したのは、2008年、32の芸術運営団体が集まってその活動と運営について話し合った「集まれ!アートイニシアティブ」でした。当時関わっていた広島アートプロジェクトの執行委員として参加し、美術館の外で美術振興に取り組む同世代の担い手たちと知り合いました。このときに生まれた交流は、私のその後の活動に大きな励みと助けになりました。

2011年には、BankART1929が現代企画室と共同刊行する全12巻の『中原佑介美術批評選集』の解題執筆・編集に関わるようになり、その関係でBankART1929がクラブヒルサイドと共同主催した研究会「中原佑介を読む」にも2度登壇しました。その際、故・池田修代表とも中原の批評について意見を交わしたのをよく覚えています(『中原佑介美術批評選集』は既巻10巻で、今年に刊行が完結します)。

BankART1929が、作家の展覧会だけでなく、美術振興の専門家、キュレーター、研究者などを含めた多様な人的交流や、広い射程をもった様々な出版事業など、多方面の活動を積極的に行ってきたことは、他に類を見ない試みであり、現代日本の美術振興に不可欠だと思います。BankART1929の新たな取り組みに大いに期待すると同時に、それを行うために必要なご支援をお願いいたします。

加治屋健司(東京大学 大学院総合文化研究科 教授)


中原佑介美術批評選集(現代企画室+BankART1929出版)

磯崎道佳さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.40


今回のBankARTの横浜市による2025年度以降の活動不採用から撤去・移転は、新しい展望を見せる絶好の機会だと今は思っています。

元々PHスタジオの時から困難なプロジェクトでも前向きに進めるアーティストの姿を見せてもらっていました。彼らが母体となりBankARTを始めると聞いた時もその経験値から「絶対うまくいく」と確信していました。立ち上げの展覧会、その後の展示やプロジェクトを一緒に作り、日本でのアートセンターのスタンダードになる活動を一緒に体験させてもらいました。そこから感じたのは、BankARTほど行政と協働していたチームを知りません。拠点を失ったり幾つかの困難をむかえても逆にそれを大きな推進力に変えていく。その姿は生々しく生命力の塊のようでした。これほどキャラクターを強く感じられたアートセンターを知りません。常に実力のあるアーティストの展覧会を企画し、若いアーティストにも機会を作ることを忘れず、現在は若手スタッフも育っています。

まずは、培った経験とノウハウで移動しながら拠点を探しても良いでしょうし、ディレクターとしてプロジェクトを作っても刺激的です。可能性はいくらでもあります。

この新しい挑戦を絶やさないために、まずは皆様に撤去・移転費用確保のクラウドファンディングを行なっています。詳しくはウェブサイトをご覧ください。

ご協力を是非よろしくお願いします。

磯崎道佳(アーティスト)


【アーカイブ動画公開!】
創造都市横浜20周年記念「磯崎道佳「よこはまミーティングドーム2004-2024」
https://youtu.be/d-TEQOizXzI

日時:2024/5/25(土)10:30-19:00
会場:横浜市庁舎1階 アトリウム

参加作家:磯崎道佳
ゲストアーティスト:キム・ガウン、村田峰紀
記録映像 吉本直紀(スタジオ0033)

このイベントは、創造都市横浜20周年を記念して、横浜市の創造界隈拠点「BankART1929」、「黄金町エリアマネジメントセンター」、「象の鼻テラス」が行うイベントです。
※第8回 横浜トリエンナーレ アートもりもり!企画

岡部友彦さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.41


同じ2004年から横浜で取組を始めた存在であり、我々の取組を応援して協力してくれた存在であり、横浜にアーティストだけでなく様々なクリエイティブ人材を集めてくれた存在であり、郊外へと創造都市を展開していく上で、横浜都心でクリエイティブな人材を集積できる唯一の存在であると思っています。

1番大変な時期かと思いますが、新たなスタイルが生み出されることを信じて、陰ながら応援しております。

岡部友彦(コトラボ合同会社 代表)


《KOTOBUKI : YOKOHAMA HOSTEL VILLAGE》
「BankART Life」(BankART Studio NYK / 2005)

吉田聡子さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.42


BankARTは新米担当者の私にとっては、事業というより学校みたいなものだった。BankART schoolの講座企画を担当させてもらったということだけではない。現代アートは難解だ、だからファンが増えないし稼げないという外野からの絶え間ない声に対し、池田さんは、時に創造都市は何かを解きほぐし、時に現代アートそのものの力で世間をあっと言わせ、ファン獲得のための地道な活動にも余念がなかった。そんな池田さんを見ていると、様々な「無理難題」にも何とか行政としての落としどころをみつけようと、自然とチームで夜遅くまで奮闘する毎日だった。

横浜で大きく育った創造都市のこれから、そしてBankARTの門出が明るいものとなるよう、心からエールを送りたい。

吉田聡子(横浜市職員)


BankART school「創造都市横浜のこれまでとこれから Part2」 (BankART Studio NYK / 2013)

ハンマーヘッドスタジオ新・港区オープニングイベント(ハンマーヘッドスタジオ新・港区 / 2012)

小林晴夫さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.43


BankARTは、その場所から都市に開き、さまざまなジャンルの表現の中にも、それを受け取る方法にも備わっている、網羅的で俯瞰的な思考力を底力に、まるで元々あったインフラのように振舞って、この街に根を張ってきました。

それは時々のアーキテクチュラルな工夫がそうさせたのかもしれませんが、本当に多くの人たちが自然と集まってきてはすれ違い、また時に交錯し、雑多なソサエティーと独創的な企てが生まれた拠点でもありました。

そうして現実の街を遊んで街を生きる。都市と芸術にとっての夢のような関係を実践してきたBankARTですが、同時に、時々の政治に翻弄されながら幾度となく引越しを繰り返してきた20年でもありました。

それでも同じ街で20年も活動をしてくると、若かった人たちも老朽化して、色々綻びも生じてきて、大きな変わり目が訪れたということなのでしょうか? とうとう要になる財源と拠点を失ってしまいました。

これまでにBankARTが築いてきたものは途方もないことだったはずですが、それも水の泡となるのかと、おそろしくなります。ひとりひとりの個人が、それぞれの文化を持ち寄って集まったところに都市が生まれるのだとしたら、BankARTを捨ててしまう都市ってなんなのでしょうか?

いっそ、都市の都市たる大事なところ(?)だけを積みこんで、横浜から出港してしまったらどうだろう?

現在BankARTは、20年かけて溜まった諸々のものをとりあえず移動すべく、引っ越しのための準備をしているそうです。この引越しはとても意味があって大事な引越しです。でもお金が足りません。みなさん応援をお願いします。

私も微力ながらこれからのBankARTを応援します。

小林晴夫(アーティスト・blanClassディレクター)


blanClass+神村恵「身ひとつで生きる」 [神村 恵:裏と表を合わせてみる #1]「BankART Life7」(みなとみらい21エリア / 2024)

森田彩子さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.44


横浜の中心部、日本大通りでアートスペースを運営していると、はまっこと思われることが多い私ですが、この地とのご縁は「たまたま」が連結的に繋がり合っただけで、取り立ててこのコミュニティーに愛着はありません。

ただ一つ、このロケーションに感謝したいのは、20年あまり、常にバンカートさんがご近所であったこと。次から次へと国際的に評価される展覧会を作り上げ、美術の最先端を走り続けながらも、バンカートは地域に目を向けることを忘れていませんでした。

バンカートパブの使う食材は近所の商店から仕入れ、大晦日には誰でも参加できるイベントを企画し、こういう地道な地元とのコミットメントで、着実にこの地にサードプレイスを築き上げてきました。この場に関わった人は、少なからず現代美術のオーディエンスとなり横浜のアートフィールドを広げることになったと、私もこの渦に巻き込まれた一人として実感しています。

これからは活動の場を、横浜以外にも広げられるということ。おそらくその地でもコミュニティーから取り残された私のような人を汲み上げつつ、また新たな新規参入者を集め面白い企画を連発すると思うと、目が離せません。今後の流動的な活動を、横浜の地より応援しています。

森田彩子(GALERIE PARIS)


川俣正「Plan and Drawings for the Expand BankART」(GALERIE PARIS / 2012)

安部治子さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.45


初めて飛び込んだ美術の世界が、BankARTでした。
アルバイトとして入ったのは2009年、空いた期間はあれど、かれこれ16年です。

当時21歳の私の仕事経験は飲食業のみで、美術と縁もゆかりもありませんでしたし、美術への興味と気持ちはあれど、知識も周りほどありませんでした。

けれど、そんな私をどんな形であれ、受け入れてくれた間口の広いBankARTは貴重な場所だと思っています。もちろん、志していた作家活動のきっかけをもらえ、生き方もかわりました。

BankARTは展示だけではなく、多種多様な人が集り、アーティストが行き交い、働き方と向き合え、学べる。そんな沢山の要素が詰まった素敵で面白い場です。

今後も色々な人の好奇心や、意欲、挑戦に影響のある活動が続いて欲しいです!

安部治子(BankARTアルバイト)


BankART AIR OPEN STUDIO2016 アーカイブ作品発表:キャバ嬢を介入させたパフォーマンス作品 「彼方を立てれば此方が立たず」-えいかの制作- (BankART Studio NYK / 2016)

熊倉純子さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.46


BankARTが横浜での長い歴史に幕を降ろすことになってしまったことは大変残念ですが、新たな船出に、せめてもの思いを込めて精一杯の応援をしたいと思います。

思えばはや20年になるのでしょうか。BankARTは横浜市の創造都市政策の眼玉としてスタートしました。当時、私は市の委員会のメンバーで、現在のBankARTチームの選考にも携わらせていただきましたが、東京から有力なチームを誘致するにあたって地元横浜の中から反発が起こらないかという懸念がありました。現在の「世界に開かれた横浜」というイメージからは信じられないかもしれませんが、当時はそうした閉鎖的な雰囲気も色濃くあったのです。

BankARTは見事にそうした危惧を払拭して、新たな文化発信拠点として世界からも称賛され、横浜が気鋭の現代文化がさまざまに開花する都市へと変貌を遂げる大きな牽引力となってくれました。しっかりと横浜に根を下ろし培ってきた企画運営の財産は今後もなくなりません。ぜひ、新天地をめざして船をこぎ続ける彼らに、みなさんも応援をお願いいたします。

熊倉純子(東京藝術大学教授)


「集まれ!アートイニシアティブ」(BankART Studio NYK / 2008)

大野高輝さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.47


BankARTには、ベテラン作家から若手作家まで分け隔てなく開かれたチャンスがあり、私もその機会に恵まれた一人です。このチャンスがキャリア形成に関わるのか、新たな学びを得るためのものなのか、人とのつながりを育むためのものなのかは、人によって異なるでしょう。ただひとつ確実に言えるのは、BankARTには常にそのいずれにも応えられる対応力があり、多くの人に影響を与えてきたということです。

私は普段、友人たちと一緒に「Project Space hazi」というプライベートな文化センターを運営しながら、愛知を拠点にアートの裏方の仕事をしています。そんな私が初めてBankARTに関わったのは2023年の「Under 35」にて。宇留野圭のマネージャーとして参加しました。私はこの開かれたチャンスの中で、大きな学びの機会を得ました。
関東圏での初めての仕事、今まで出会うことのなかった同世代、この取り組みの中で、多くの人と共に時間を過ごし、新しい価値や情報を交換し合えたことは、私にはとても幸運なことでした。

一方で、こうした文化活動を支える仕組みを、私たちは100年続けることができるのか、ということを最近の自分のテーマにしています。
終わらないアートセンターについて。こうした文化を育むための「場」が、断続的に生まれては消えていく状況が、全国的に見受けられます。
このままでは退屈だ。アートを取り巻く私たちと政治の関係は常に変化していて、もう00年代のような文化政策ではないらしい。そもそもモノごとの移り変わりは常なので、これは仕方ないことなのでしょうか。

文化の場は生まれては消えていく。それが日本の文化のあり方なのかもしれません。
しかし、それを「仕方のないこと」として受け入れるには、あまりにも多くのものを失ってきた気がします。それは単なる場所の消失ではなく、そこで生まれていた実験的な試みや、コミュニティが育んできた関係性そのものです。しかし、その価値が正しく評価されることは少なく、多くの場合、静かに幕を閉じていきます。

そんなことを考えながら、haziに戻ります。
終わらないアートセンターは誰かがつくるものではなく、私たち自身が支え続けるものなのではないでしょうか。
BankARTをはじめ、これまでの多くのアートセンターで積み重ねられてきた知見を受け取った一人として、haziの仲間と共有しながら活かしていきたいと思います。

大野高輝(Project Space hazi ディレクター)


「BankART Under 35 / 2023」作家:宇留野 圭、マネージャー:大野高輝(BankART Station / 2023)

同上トークイベント

滝沢達史さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.48


美大を卒業した後に困りはて、BankARTのstudioに場所を得ました。
横浜ではその昔、申請さえすれば鳩が駆除できたという歴史を知り、山下公園で鳩を捕まえて「丁寧に飼う」という展示をしました。
すると、動物愛護団体に訴えるという方が現れたので、迷惑がかかるのも悪いと思い、池田さんに相談したところ「君は表現者として、戦うべきだ」と言っていただきました。
展示を続行すると次には警察が来たので、「法はね、無理なんだよなあ」と池田さんは笑って、「全部撮影してね」とスタッフを用意してくれました。

普通は「けしからん」と怒られるものを、「突き抜けろ」と言われたのがBankARTの体験でした。これからの若い方にも味わってほしいと思います。

滝沢達史(アーティスト)


滝沢達史「絶望の方舟」(BankART Studio NYK / 2006)

滝沢達史「絶望の方舟」パフォーマンス(BankART Studio NYK / 2006)

城戸崎和佐さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.49


2005年の北仲プロジェクトでBankARTと出会って20年。京都芸術大学でも「北仲WHITEにいた」と言うと、アーティストからちょっと信用度が増しました。さまざまなイベントに巻き込んでくれて、アートと横浜を繋いでくれて20年。とうとう昨年は台湾でパブリックアートを作るまでに。BankARTは私の21世紀を変えてくれました。大きなスペースを所有しない、ことがメリットになるような活動をこれからきっと見せてくれると期待して、応援していきたいです。

城戸崎和佐(建築家/城戸崎和佐建築設計事務所)


《テレビコヤ》城戸崎和佐+毛原大樹 BankART LifeⅡ 「rooftop paradise」(BankART Studio NYK / 2008)

台湾新竹市東區關埔國民小學・公共藝術「飄飄」2024年(©️田中央聯合建築師事務所)

伊東純子さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.50


今年1月から、BankART1929と株式会社横浜都市みらいが共同運営している、ExPLOT Studioの実証実験事業に入居アーティストの一人として参加しています。元アンパンマンミュージアム、2020年ヨコトリの会場にもなったPLOT48の建物は、外観が船のようで、高い建物が増えどんどん空が狭くなっているみなとみらいの端っこに、夢の名残りのように泊っています。ここをアーティストのシェアスタジオにしようなどという考えは、BankARTならでは。広大ながらんとしたスペースは、スタッフのマジックであっという間に居心地の良い素敵な空間になりました。

これまでもBankARTのあるスペースは、とにかく大きくて広くて、包容力のある印象深い、大好きな場所ばかりでした。アートを体験できるだけでなく、制作の過程を含めアーティストを守ってくれる、アートへの深い愛を感じられる、BankARTという大きな存在がなくなるなんて考えられません。

私は、古い着物をほどいて洋服に仕立て直す「着物服」プロジェクトを続けていますが、それぞれの家庭からいただく古い着物には、家族の歴史と生活の名残も一緒に付いて来たりします。「九十九(つくも)神」というように、モノは100年近くなるともはやモノではなくなるそうです。BankARTの20年という歳月で、アートの愛に触れられた方々が、今こうして協力できる機会につながっている訳で、どんな形であれ、BankARTはきっと存続し続けると信じて、心から応援しています。

この銀行BANKは、お金では買えない、アートの素晴らしさや優しさ、人々の想像力を、何倍にも増やしてくれることと思います。

伊東純子(デザイナー/アーティスト)


ExPLOT Studioでのスタジオの様子(2025)

un:ten「BankART KAIKO Pop-up Store Vol.1」(BankART KAIKO / 2023)

岡⽥勉さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.51


街の豊かさや愛着や誇りを感じる理由にはそれぞれの出⾃や趣味や事情があるものです。私は横浜⽣まれ横浜育ち、環境が劣悪で無駄にも思える勢いで膨張を続けるダメな故郷に育てられてきました。しかし、そんな街だからこそ、いつかこの街に私たちが育んできた現代の⽂化を根付かせられれば多少はマシな街になるんじゃないかなと考えて、現代美術の仕事を続けてきました。
横浜がデザインやクリエイティブを旗印に随分元気に⾒えた時期がありました。そんな時を経て、重厚な旧第⼀銀⾏跡に池⽥さん率いる「BankART1929」が⼊居し活動を始めるというニュースが⽿に⾶び込んできました。東京に出稼ぎに出ていた私は、これは本気なんだな、そろそろ真剣に⾥帰りを考える時かな?と漠然と思ったのを覚えています。縁あって2009年から象の⿐テラスを担うこととなり、BankART1929 とは創造都市の推進、という⼤きな使命の元、創造界隈拠点の仲間として並⾛してきました。多様な⽂化の薫る界隈の形成やクリエーターによる⽣態系の形成など⼀定量の成果は挙げられたと考えています。

現在の課題は、こうした経験を経て得られたノウハウを資産に変えて次世代に受け渡すことだと考えています。故に、膨⼤な活動を⾏なってきたBankART1929 の知⾒は横浜の未来を豊穣なものとする上で必須と考えます。
もう横浜はいいや、という声も聞こえてきますが、そう⾔わずに、これからが⼤切なんだと思います。やりっぱなしはいけません。
これからも⼀緒に頑張っていきましょう。
そして、皆様⽅の応援をどうぞよろしくお願いします。

岡⽥勉(象の⿐テラス アートディレクター)


久保寛子 「ハイヌウェレの彫像」ワークショップ+パブリック・アートテーブル 象の鼻パーク大集合プロジェクト(象の鼻パーク / 2024)

坪内あつしさんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.52


日本のアートシーンを牽引してきた横浜のBankARTを存続させましょう!
20年に渡って横浜市と連携して都市とアートをテーマに様々な偉業を残してきたBankARTが、市からの援助が無くなり、新たな展開を起こす必要に迫られています。

池田修前代表のときにはグループSUNDRUMで横浜滞在制作や台湾への渡航、韓国アーティストとのコラボレーションなど、国内外で数々のプロジェクトを共にしました。現在の場所でも去年秋に4日間のイベントを共催していただき、また続編をやりましょう、と細淵代表とお話したところでした。都市にありながら常識を超えたことでも快く受け入れてくれる、そんなアートと自由を体現している場所は私の知る限り日本にはBankARTしかありません。

創造都市横浜と、そこに集う国際的なアーティストが制作、発表を重ねて高めてきた磁場を、ここで終わらせる訳にはいきません。どういう形になるかわからないけど、例えばこれを機に地方や海外へ活動展開を進めるなど、BankARTはこれからもピンチをチャンスに変えて更に面白い新たな形を作っていくでしょう。しかしそれは皆様の協力があってこそ実現可能という状況です。

まずは現在の場所からの撤収費用のクラウドファンディングです。ご支援をよろしくお願い致します。

坪内あつし(SUNDRUM)


SUNDRUM SUNDREAMING LIFE in BankART「BankART LifeⅣ」(BankART Studio NYK / 2014)

坪内あつし パーカッション6時間即興×4日間『進化』(BankART Station / 2024)

岩室晶子さんとミニシティ・プラスの子どもたちから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.53


日本のアートシーンを牽引してきた横浜のBankARTを存続させましょう!
20年に渡って横浜市と連携して都市とアートをテーマに様々な偉業を残してきたBankARTが、市からの援助が無くなり、新たな展開を起こす必要に迫られています。

池田修前代表のときにはグループSUNDRUMで横浜滞在制作や台湾への渡航、韓国アーティストとのコラボレーションなど、国内外で数々のプロジェクトを共にしました。現在の場所でも去年秋に4日間のイベントを共催していただき、また続編をやりましょう、と細淵代表とお話したところでした。都市にありながら常識を超えたことでも快く受け入れてくれる、そんなアートと自由を体現している場所は私の知る限り日本にはBankARTしかありません。

創造都市横浜と、そこに集う国際的なアーティストが制作、発表を重ねて高めてきた磁場を、ここで終わらせる訳にはいきません。どういう形になるかわからないけど、例えばこれを機に地方や海外へ活動展開を進めるなど、BankARTはこれからもピンチをチャンスに変えて更に面白い新たな形を作っていくでしょう。しかしそれは皆様の協力があってこそ実現可能という状況です。

まずは現在の場所からの撤収費用のクラウドファンディングです。ご支援をよろしくお願い致します。

岩室晶子(NPO法人ミニシティ・プラス&音楽家)とミニシティ・プラスの子どもたち


ミニシティ・プラスの子どもたちからの応援メッセージ

「ミニヨコハマシティ」ミニヨコ市長せんきょのようす(BankART Station / 2024)

特命子ども地域アクター成果発表会(BankART Studio NYK / 2015)

井原宏蕗さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.54


私は3.11のときにBankART で有志の卒業制作展に参加していました。横浜でも震度5以上の震れを観測した大地震を展示会場で経験し、公共交通機関がストップし、停電した国道1号線を歩いて、8時間以上かけて家へと帰ったことを覚えています。

そんな衝撃的な瞬間を共有したBankARTとの関係ですが、その展示がきっかけで池田さんが作品を気に入って下さり、それからご縁が始まりました。東京を拠点に活動する私にとって、常にべったりというわけではないですが、それでもいつも気にかけてくれて、忘れたころにまた呼んでくれる活動の原点のような場所だと思っています。

今回、急な決定によりBankARTが変化を余儀なくされたことに、大きな驚きを感じています。それでもBankARTは今までのように変化をしながら、愛されていくでしょう。これからどうなっていくのかを楽しみにしながら、引き続き活動をご一緒できたら嬉しいです。

井原宏蕗(彫刻家)


「BankART Under35/2021」(BankART KAIKO / 2021)

鷲見和紀郎さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.55


「継続される現在形の場」

BankARTは世界に向けて開かれた場でした。
人が立ち止まり、通り抜け、思考し、飲んで食べ、ダンスを踊り、振り返り・・・
それらの出来事を過去形で話すだけにはしていけないと強く思います。
そしてその世界に向けて開かれた場は美術家にとっても掛け替えのない自由で冒険的な空間でした。コマーシャルギャラリーや公立美術館では実現しないであろう企画やインスタレーションプランを「できますよ」と受け入れるリアルな空間こそがBankARTだったのです。いけない、また過去形で話してしまいました。

とにかくBankARTを継続させましょう。場所やスタイルは変ろうとも現在形のリアルな表現の場を皆で持ち続けましょう。
寄付行為に慣れていない人こそ寄付する意味のある場所、それがBankARTです。
タイムリミットは迫っています。

鷲見和紀郎(美術家)


鷲見和紀郎 「brilliant corners」 (BankART KAIKO / 2022)

日沼禎子さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.56


BankARTがオープンした2004年。その頃の私は、国際芸術センター青森で、アーティスト・イン・レジデンス(以下「AIR」)のキュレーターとして、新たな創造的プラットフォームの環境を作るための仕事をしていた。横浜におけるBankARTを中心としたアートシーンの活況ぶりは、クリエイターを中心に据えたオルタナティブ、アートイニシアティブの場を都市の中に醸成しようとするもので、クリエイターたちが、そこでのフィールドワークを重ね、ジャンルを横断する実験的な表現に取り組むことで、横浜市の都市としてのポテンシャルを引き出されていく様に心が躍った。地方都市で孤軍奮闘せざるを得なかった私たちに(きっと他の地域での活動をしていた多くの方々にも)、どれだけの勇気と力を与えてくれたことだろう。

その後、BankART Studio NYKを会場として実施された「TPAM」(現YPAM)において、プロデューサーを務めていたウェールズのコレオグラファーSioned Huwsによる青森と岩手でのクリエーション作品を2011年、2018年と2度にわたり発表させていただく機会を得た。会場が放つ独特の空気感と観客のエネルギーによって、ダンサーたちのパフォーマンスが最大限に引き出された公演は、生涯忘れえぬ素晴らしい体験として、今も記憶に鮮明に残っている。

海外、特に東アジアのアートシーンのAIRやオルタナティヴスペースに携わるアーティスト、ディレクター、プロデューサーたちの口からは、BankARTの名を聞かないことはない。これからもBankARTの存在は、拠点という実在を超えた運動体として、国・地域の内外を問わず、そして表現の領域を超えて、さまざまなクリエイターたちに多様な表現の場を与え続けることだろう。これからも無限に拡張するクリエーションの場としての可能性に、大きく期待を寄せている。

日沼禎子(キュレーター、女子美術大学教授)


Sioend Huws “Odori Dawns Dance” TPAM 2018(BankART Studio NYK / 2018)

近澤義昭さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.57


私は、1901年創業の近沢レース店3代目として、店の発展のみならず商店街全体の発展も2代目父の跡を引き継ぎ、尽くしてきました。

こうした中、他の商業施設、会社、行政の方々とも交流の機会が増え、横浜市全体(特に中心市街地)の発展には、仕事以外にもアート・デザインの充実は欠かせないものと思うようになりました。

横浜市はアジア地域の中で最初にアート・デザインによるクリエィティブシティに名乗りを上げ、台湾、上海、シンガポール等が後に続きました。

こうした流れを後押ししてきたのがBankARTです。これが今回、横浜市の創造界隈拠点から落選してしまい存亡の危機になっています。

横浜の未来、後につづく若者達に貴重な財産としてBankARTが存続していく事を願ってやみません。

近澤義昭(横浜市芸術文化振興財団 理事)


『ヨコハマ創造都市を巡るリレーレクチャー』(シルクセンター / 2019)

塚本由晴さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.58


BankARTは、いち早く脱成長の社会を見据え、人々による芸術活動の場を構想し、実践してきました。それは施設として整備されてきた美術館や学校を、批判的に見直していく脱美術館であり脱学校でもありました。その精神が横浜市の行政にも共有され、経済的な支援を受けて運営されてきましたが、ついに自立自存の道を模索するときが来ました。このプロセス自体が社会アートとなるよう私も協力します。

塚本由晴(東京科学大学大学院教授/小さな地球共同代表/アトリエ・ワン)


アトリエ・ワン《ホワイトリムジン屋台》(BankART Studio NYK / 2005.3-2018.3)

《里山再生床机》アトリエ・ワン+東京工業大学塚本研究室「パブリック・アートテーブル2023」(美術の広場 / 2023)

蓮沼昌宏さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.59


アーティストはもちろん、専門的にアートに関わろうとする人たちにとって、アートを鑑賞する人たちにとって、都市がつまらないと思っている人たちにとってBankARTは重要な役割を果たし続けた運動体のようなもの…もしくは仮設構造物と私はとらえています。動き続け、組み立てをくりかえし、ひらいたりとじたりして、アートをド直球で投げ込むような。

これまで培ってきた姿勢と技術は、これから先どこで誰とどんな応答をするのか、非常に興味があります。ただ、まずは撤収です。大撤収。大変な時期です。こんなときだからこそ応援のしがいがあります。ここを乗り越えて、多くの人たちと次の展開に立ち会えますように!

蓮沼昌宏(美術家)


「BankART Over 35 / 2023」 走馬灯とプレイルーム、ワークショップ展 作家:蓮沼昌宏、マネージャー:蓮沼菜穂子(BankART KAIKO / 2023)

中原浩大さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.60


BankARTがこれまで担ってきたことの大切さや果たしてきた実績の大きさ、他界された池田さんをはじめとする人々がそそいだ情熱、今後も期待されている特異なオルタナティブ・エンジンとしての意義や未来については改めて語る必要もないでしょう。そうしたこと以前の個人的な認識を言えば、展示作業で訪れようが、ニュースレターに目を通すだけの日々だろうが、場所が変わろうが、バンクはそこに「在る」ものだと思ってきました。そして、これからも。

クラウドファンディングによる支援の募集期限まで残り1ヶ月。遅ればせながらここにメッセージを寄せることが、この期を好機に変えパワフルに乗り越えていこうとするBankARTへのささやかな応援となることを願っています。

中原浩大(美術家)


田中信太郎 岡﨑乾二郎 中原浩大 「かたちの発語」 中原浩大作品展示風景
(BankART Studio NYK / 2014)

佐々木龍郎さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.61


昨日、ExPLOTで、シェアスタジオの話=芸術不動産の話をした。

「大きな看板つくって、片っ端から芸術不動産にしたい建物の前に持っていって、写真を撮ればいいんだよ」という池田さんの話を間に受けて笑、巨大な箱看板をつくり、転がしていたのが2007年。それから20年近くが経ち、関内には相当数のアトリエ・スタジオが立地し、まさに創造界隈と呼ぶに相応しい日常が展開している。

そんな話をして、地元に帰って、軽く呑んで、寝落ちして、朝起きたら、目標の1000万円を達成していた!「今夜、最後の一押しをする」と言ってExPLOTを後にしたのに、面目ない。

芸術不動産の傍には、常にBankARTという運動体があった。
その運動体が続くために、資金は少しでも多い方が良い。
皆さん、引き続き応援していきましょう。

佐々木龍郎(佐々木設計事務所)


「芸術不動産」
(BankART 1929 Yokohama / 2007)

津山勇さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.62


2004年、BankART1929のスタートから関わらせて頂き、当初はその手作りでバタバタな現場を目の当たりにし戸惑っていたのが懐かしい。

BankART1929の活動は施設運営という事だと思うが、場所が主役ではなく、そこで何ができるかという挑戦であると思う。運営そのものがアートプロジェクトであり、「BankART1929」という名の作品なんだろうと思う。

2025年、未知のプロジェクトに向かって動き出そうとしている、新作「BankART1929」に会える日を楽しみに待っています。

津山勇(ヤング荘)


ヤング荘 @BankART Pub (BankART1929 馬車道 / 2004)

和井内京子さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.63


私の実家は横浜に2つあった。一つは鶴見にあった出窓の洋館付き平屋。一つはBankART Studio NYK。生まれた家と再び歩き始めた場所。途中長く海外生活があったのでこの2つの場は私のライフライン。

そして鶴見の生家は両親が長かった人生を終えて共に終了。
BankART Studio NYKは場所は変われどBankARTとして存在した。

2023年から秋田県美郷町で北のくらし研究所というものを始めている。何を隠そうこの建物を見つけた時にあのStudio NYKになればいいじゃないの?と軽ーく思いついてしまったから。斜に構えてしか話してくれなさそうな池田氏に早速相談しようとしていたその矢先、最悪な知らせが届く。……ちょっと話が違うじゃないの?池田さん。

そして今もBankARTは私のHOMEとして存在している。それは私だけじゃない。関わってきたたくさんの作家、アーティストが心に秘めていることなのだと。

ノマド生活のまま人生を終えるのもありだと思ってたのにカッコいいと思われる不動産を見つけるとワクワクとイメージしてしまう悪い癖がついてしまった。そんなわけで長く住んでいた英国から美郷町に移住してしまった。

そして肝心のHOMEの一大事。マジか。
BankART という形態は〈HOME〉立ち返ることのできる場所として存在していくこと。シェアする仲間が宝でありBankARTの歴史として存在する作家たちの殿堂として。

そしてより良い未来のために力と知恵の輪を繋いでいくことをし続けるためにどこに存在してもいいBankART と共にこれからも生きていこうとしています。

和井内京子(デザイナー)


「INTERVALLO 幕間展」(BankART Studio NYK / 2009)

宮尾弘子さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.64


12月の雪の降る日、BankART の皆様が沢山の本を抱え、私達の文化活動拠点である秋田県美郷町「北のくらし研究所」(通称キタクラ)に訪れました。
それらの書籍は BankART Studio NYKのライブラリーに蓄積されていた美術、建築、まちづくり系の貴重な代物。数量はなんと154箱にものぼります。

横浜から秋田県美郷町まで8時間に及ぶ大移動の旅を経て、BankARTの本たちは現在キタクラにて羽を休めています。

その中の一部であるBankART booksを1階アートスペース横にて閲覧が出来るように致しました。これらの本は早速キタクラを訪れた美大の学生たちや、地域の方々の目に触れ、手にとられ新たなコミュニケーションの糸口になっています。
そんなはじまりの動き方もBankARTらしさのように感じる今日この頃です。

クラウドファンディングの第一目標が達成され、次はいよいよ今後の活動準備に入るフェーズ。

BankARTの持ち味であるノマドなスタイルを表現出来る企画として、キタクラをスタート地点とする「旅するBankART library」についても今年の中頃に実装出来るよう会話を始めています。
また、こちらの活動報告にて共有ができると幸いです。

「北のくらし研究所」
秋田県美郷町を拠点とするアートスペース
クリエイターインレジデンス

宮尾弘子(北のくらし研究所 広報)


「北のくらし研究所」秋田県美郷町を拠点とするアートスペースクリエイターインレジデンス(2024-)

北のくらし研究所1階アートスペース横にてBankART 出版の本を閲覧できるようになっています(2025.2-)

丸岡ひろみさんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.65


2011年に横浜に移って14年。TPAM、YPAMはBankARTがあったからこそ継続できたと言っても過言ではありません。特にパンデミックが始まった2020年春は誰もがそうであったように皆途方に暮れていたと思います。我々もそうでした。そんな時に声をかけていただき旧YCC(当時はBankART Temporaryと名付けられていました)、に誘っていただき窮地を救っていただきました。今、新生BankARTがこれをピンチとせずにむしろチャンスとして動いています。そのためには資金も必要でしょう。BankARTの未来を応援することは私たちも含めて自分達自身を応援することだと思います。その応援は具体的にあるべきで、その機会を作ってくれたBankARTに感謝します。

丸岡ひろみ(YPAM – 横浜国際舞台芸術ミーティング ディレクター)


ユニ・ホン・シャープ『ENCORE – violet』
(YPAM2024、BankART KAIKO、撮影:松本和幸 )

オル太『ニッポン・イデオロギー 第2章 Gestellの解放』(YPAM2023、BankART Station、撮影:前澤秀登)

TPAM2018レセプション(BankART Studio NYK 2F、撮影:前澤秀登)

丸山純子さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.66


海外の学生上がりで身寄りのない私が、BankART を紹介してもらって以来、北仲Brick and White、食と現代美術、LandMark Project、観光、など様々な展覧会、イベントなどに参加させてもらった。現在も横浜近辺で制作、生活している。

私だけでなく、BankARTはここ20年、多くの人を巻き込み続けてきたことは、よく知られていること。BankARTのメーリングリストは2万件に及ぶと聞いた覚えがある。

昔、落ち込んでいた時、「動くと、運が良くなるよ」とある方が教えてくれた。

BankARTが運動体であることを思い出す。

大きな問題を抱えた今でも、凄まじいスピードで陰日向動き続けているBankARTの姿勢を目の当たりにし、

とてつもなく良い運でBankARTが成り立っている
未来の光景しか目に浮かばない。

これからも、アメーバのように形を変えながらも
運動が続きます様に。

今後の活動を楽しみにしています。

丸山純子(美術家)


《無音花畑》丸山純子「Landmark Project 2」
(BankART Studio NYK / 2007)

丸山純子、淺井裕介、松本秋則「BankART LifeⅡ Open!パブリックスペース」 (横浜市庁舎 / 2008)

関和明さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.67


横浜にはBankARTがある。

YOKOHAMAという都市を説明するとき、このフレーズが必ず出てくる。

北仲WHITEの半地下、BankART Studio NYKのminiや屋上、ハンマーヘッドスタジオ、そしてBankART Stationにおいて、レジデンス、展示、ワークショップを行った。

池田さん、細淵さん、津澤さんをはじめ、多くのスタッフのみなさんには、感謝しかない。

拠点の場所・空間が変化し、移動することは、BankARTの宿命(?)であると同時に、創造力の源泉でもある。

わたし自身、AIRでの活動成果である、北海道に建設した拠点と行き来しながら、新しい活動をスタートした。

20年という時間の蓄積を載せた船が、新しい場所(例えば、横浜市認定歴史的建造物である「旧根岸競馬場一等馬見所」[1929年、J.H.モーガン設計]の活用とか)を探す航海に出港することを祝福し、応援したい。

関和明(建築史家・建築家/関東学院大学名誉教授)


『きたのもりのまなびや』ブックレット表紙(2022)

北海道東川町に建設した「ふみのくら・ひがしかわ:Book Barn Higashikawa」(2024.12竣工)

加藤種男さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.68


市民自治、これが横浜の都市創造において最重要の柱だった。

2002年秋に、当時横浜市参与でもあった北沢猛さんから、歴史的建造物の活用方法を提案せよという依頼を受けたのが、横浜に関わるきっかけだった。北沢さんとは、東京駅が今のように改修される前のステーションホテルのバーで初めて会った。

北沢さんはぼくを説得するのに、地元横浜には創造性ある市民が多数いる。そうした人々と共に都市デザインをさらに豊かなものにしたい。自分は都市デザインというソフト重視の観点から都市のハード設計を担当してきた。君は各地のアートプロジェクトの、特にその拠点づくりを応援しているというではないか。そのノウハウを横浜にも提供してほしい。だから協力してはどうかというのである。

旧第一銀行を活用するにあたって、市民自治を推進するため、「創造と市民」を柱として、市の直営でもなく、外郭団体による運営でもなく、市民の力を結集できる方法として、文化創造を担うNPOによる運営を提案した。

しかし、NPOが運営すれば市民自治がただちに実現するわけでもない。地元の方々と共に、吉本光宏氏や熊倉純子氏などが委員として加わって、自治の推進を図る応援をしていただいた。行政側も川口本部長と仲原課長などを中心に理想的なスタッフで取り組んでいただいた。こうしてBankARTが誕生し、これを中心に、創造都市は、20を超える拠点開発、関内関外の「創造カイワイ」の展開と黄金町の創造的展開、さらには各区すべてでアートプロジェクト展開を目指す目標に向かって、多様な展開を開始した。これが、2002年から2010年頃の展開だった。

BankARTの働きもあって、創造都市は相当のレベルで実現した。しかし、市民自治の方はどうか。実現した部分もあるが、課題も残した。それは、BankART自体の運営手法にもよるところもあった。市民の意見を幅広く聞き、連携も図ったが、一方で、池田修さんの辣腕によって可能になった面が少なくない。

池田修さんはなくなり、今また場所も移転せざるを得ないという。新たな展開では、ぜひ市民自治の実現に取り組まれることを期待して、応援メッセージとしたい。

加藤種男(Active Archipelago 共同代表)


BankART school 加藤種男「創造列島 Creative Archipelago」(2015)

恵良隆二さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.69


1987年に始まる故北沢猛さんとの交流の先に創造都市横浜と池田さん&BanKARTとの出会いがありました。最初の出会いから20年余、BanKARTは新たな旅立ちです。常に「今」は積重ね続けられるもの。そこに命の継続と未知との出会いがあり、アートが生まれるのでしょう。大きな時代の変革期にある現在、BanKARTのこれからに期待を持って応援したいと思います。自然への圧力と生命圏の縮減、人新世が引き起こす人間圏の拡大、惑星限界と地球圏のポテンシャル低下。3つの不可分の圏域と直面している我々には、グローバル資本主義の非人間性も加わって人生の条件を保つうえでは好奇心旺盛な精神は力となるでしょう。きっとアートは大きな力となります。BanKARTのこれからの活動が、横浜から日本、そして地球のどこかとつながって人間が場所・地域の意味を再発見する道を拓くのかもしれません。

「船、山にのぼる」、再び、新たな風景を。

これからのBanKARTを応援しましょう。

恵良隆二(公益財団法人横浜市芸術文化振興財団勤務)


BankART school 「ヨコハマみなとみらい物語」最終回ゲスト恵良隆二(2019.12.24🎄)

綾門優季さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.70


BankART Stationで過ごしたアーティストインレジデンスの期間は、いままで過ごしたどの時とも異なる、かけがえのないものでした。同じ空間で、いっしょに作品を創り続けているアーティストが、常に目の前にいること。どれほどの心の助けとなったでしょうか。偶発的な交流の場がひらかれること。作品が息をし始める過程で、想像以上にポジティブな影響を与える場であり続けたように思います。

2024年度は特に、お世話になった様々な劇場の閉館を見届けました。歴史が終わることによる、耐え難いダメージを、噛み締める日々です。BankARTに、未来があり続けますように。そこに暖かい息が吹き込まれますように。集えますように。

綾門優季(劇作家)


キュイ『蹂躙を蹂躙』(アトリエ春風舎 / 2023)撮影 三浦雨林

葉栗翠さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.71


私とBankARTの最初の出会いがいつだったのか、正直なところよく覚えていない。
美術に興味を持ち始めた頃、横浜周辺で面白そうな美術の活動を探していた私が、知らず知らずのうちにBankARTと関わっていたことに気づいたのは、ずっと後のこと。それも、実際にBankARTで働くようになってからでした。
私にとってBankARTは、美術を愛する根っこを育ててくれた大切な場所。美術って、こんなにも楽しくて、ずっと続いてほしいものなんだと実感できたのは、間違いなく彼らの存在があったからこそだと思います。
私は2019年からBankARTで断続的ながら働いています。働きながら展覧会に誘ってもらったり、いろんな形でサポートしてもらいました。今、彼らの大きな転換点に、内部の人間として立ち会っていることは、私の美術家としての人生にとっても、意味があると感じています。

今回のBankARTと横浜市との決別は、確かに大きな出来事です。でも、見方を変えれば、これまでの行政の枠組みから解放され、新たな未来への一歩を踏み出すタイミングでもあるのかもしれません。
「これからも頑張ってほしい」と簡単に言うことはできません。
でも、この難しい状況も、BankARTらしくてなんだか面白い。彼らも新しい道を模索し、私もまた新たな道を模索します。応援してるよ!応援してね!なんだかんだ、やっぱり大好きだよ!

葉栗翠(美術家)


BankART AIR 2021 SPRING オープンスタジオ(BankART Station / 2021)

BankART Artist in Residence OPEN STUDIO 2013「佐藤未来+葉栗翠」(BankART Studio NYK / 2013)

多田昌悟さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.72


私がBankARTを訪れるようになり10年程経ちます。クリーニング業者として展覧会の準備中に訪問する事も多くありました。展示に向けて取り組むアーティストの方々と、アートが創られて行く風景が印象に残っています。

私自身は芸術とは縁遠い者ですが、当店で長年に渡り洗濯させてもらったBankART Pubのシャツとエプロンがアートになって展示された時、使い古された制服が芸術に昇華される一助になれたのではと思いました。

これからも表現を創造するBankARTが続いて行く事を願っています。

多田昌悟(多田クリーニング商会)


矢内原充志《パブの時間は水へ帰る》「食と現代美術 Part9」(BankART Station / 2023)2006年矢内原さんにパブの制服デザインを依頼し、17年間クリーニングを重ね、着用し続けたダメージを作品として展示

村田達彦さん弘子さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.73


2022年「池田修の夢十夜」の後、Bank ART Stationに伺った折には、細淵太麻紀さんとスタッフの皆さんが、頑張って活動を継続されておられ安心いたしましたが、昨年暮の「Bank ART is Movement!」のその知らせには、たいへん驚かされました。

世界に開かれた港町・横浜、創造都市で、これまで培われてきた個性的で豊かな活動の発信元、BankARTのベースがどうなるかと……。

しかし、1929、NYK、北仲、そして新・横浜ハンマーヘッド・スタジオなど、多くのスペースを力強く運営されてきた実績があり、この先も港町・横浜をベースに、創造界隈プロジェクトのパイオニア的な存在として、この地に必須のBankART活動の継続と発展をお祈りしています。

遊工房は、BankART1929 での「アートイニシアティブ・リレーする構造」への参加をはじめとして、2006年頃からイベントやトークなどに幾度かお招き頂きました。アーティスト主導の私設アーティスト・イン・レジデンスに、ご興味を示して頂き光栄な事です。2011年のヨコトリにつづき、2012年からは、ハンマーヘッドスタジオ(新・港区)で、アーティスト仲間と共に、2年間のスタジオ活動もさせて頂きました。2010年の「続・朝鮮通信使」の船旅には(部分的ではありましたが)お誘いいただき参加させて頂きました。池田さんと細淵さん他、大勢の皆さんと瀬戸内海を巡ることができたことは、楽しい想い出です。

村田達彦・弘子(遊工房アートスペース・東京)


「Border Curtain -38curtain no.2」by Sumi Kanazawa 「BankART LifeⅢ 新港村」(新港ピア / 2011) ©金沢寿美

遊工房アートスペース&アーティストグループ・Studio Jeanと共同入居 「ハンマーヘッドカレッジ」、ワークショックなど活動 (ハンマーヘッドスタジオ「新・港区」/ 2012-3)

渡邊映理子さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.74


想いは いくどとなく 重なって

”おお えり。横浜に良いところがあるんだよ。目の前にな、川が流れていて
赤レンガ倉庫の近くなんだ。
そこ、Bゼミの池田君がやってるんだけど、
そこの喫茶店のグリーンカレー!これがうまいんだよ。
近くにあるお店に作ってもらってるらしんだけど、なかなかなんだ!
あとは、つまみがあってな、皿にパテがのってるんだ。
それとコーヒーでもう最高よ!
今度連れてくよ”

何度も同じ話を父に聞かされていた。

今はなき、BankART Studio NYK
初めて父に連れられ、足を踏み入れた。
そこはまさに好み極まりない場所だった。

なんとなく、ちょっと緊張する美術館のチケットブースが正面に。
左右に分かれた館内。
ここは? 海外を思わせるような足元から天井にまで広がる
美しい窓から、柔らかな光がそこここを照らし
心が躍ってしまうように、無造作に置かれている美術本の数々。
そしてその奥には、気取りのないカフェが。

あの日、父と食べた、グリーンカレーやパテと、並んでいる本の記憶が
今も鮮明に残っている。

BankARTは、BankART schoolに通う父の姿と、
ちょっと怖いなぁと(今は、違いますよ!)思いながら、お会いしていた池田さん、
あの展覧会の時のマリアの部屋.....

一つの幕を閉じ、BankART Stationが。
そしてその先へ! 新たな旅立ち!

想いが重なり合うように BankARTヒストリーは、積み重なっていくのです。
この先も、その先も・・・・
物語の仲間入りをしませんか!

渡邊映理子(田中信太郎アトリエ)


《マリアの部屋》田中信太郎ー田中信太郎 岡崎乾二郎 中原浩大「かたちの発語」(BankART Studio NYK / 2014)

阿部静さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.75


BankARTと出逢ったのは美大を卒業してすぐのこと。作家活動していくことを決意したものの、食いぶちがないと生きていけないので2008年のBankART LifeⅡでのアルバイトをきっかけに、20代にかけて、どっぷりとお世話になった。
あるときは受付スタッフとして、またあるときはBankARTパブのスタッフとして。展覧会ごとにドロドロに疲れ果てながら施工作業もしたし、BankARTスクールでは田中信太郎さんや原口典之さん、牛島達治さん、飯沢耕太郎さんなど、あらゆる人から学ばせてもらい、あらゆることを培った。アーティストインレジデンスやハンマーヘッドスタジオでは制作活動の拠点にさせてもらい、発表もさせてもらった。
さまざまな立場で関わりながらBankARTのあらゆる面を見てきた。思うことはBankARTというチームは池田さんを筆頭につねにパワフルで挑戦的。外的要因で幾度となく拠点を移してきたけれど、それを困難と思わずに新たな発想や思考へと転換して突き進む。横浜界隈はもちろん、BankART妻有や朝鮮通信使など、地域を問わずひとつの場所に留まらず、多方面へと展開するパワーこそBankARTらしさだろう。

今回は公募から落選し、横浜の活動拠点と助成金を失うということだが、きっと池田さんなら、それもものともせず、ピンチをチャンスと捉えて次に向かって動きだすんじゃなかろうか。
池田さん亡きいまも、そのパッションはBankART自体に生き続けていると感じるし、今回もまた、その動きがだんだんと垣間見えてきた。もはや次の活動にさえ期待してしまう。

まずはクラウドファンディング1000万円到達おめでとうございます。
これからもBankARTらしい活動に期待しながらも、いちファンとして陰ながら応援しています。

阿部静(編集者・ライター)


『雪の家』阿部静(クリーク・アンド・リバー社/ 2017)

B25スタジオ 阿部静+岩永かおる(ハンマーヘッドスタジオ「新・港区」/2012-3)

Hammer-Head Kitchen(ハンマーヘッドスタジオ「新・港区」/ 2012-3)

竹見正一さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.76


一個人として、是が非でもBankARTの灯を絶やすまいと想う日々。または企業人として、BankARTの意義を考える日々。

私は横浜のアート界隈にご縁をいただいてすでに20年、しつらえ担当として、いろいろな仕事を重ねてきました。その道程にはいつもBankARTのセンセーショナルな試みがありました。私みたいな凡人でも、アートや学会に少なからず触れることができるのだと知り、緩んだ脳が再生していく気持ちになったことを昨日のことのように思い出します。そして今、サステナブルな要求が深まる中で、企業にとって最も重要なのは社会課題への取り組みです。

企業がBankARTを支援することは、文化支援という枠などはとうに超えて、ブランド価値の向上、地域経済の活性化、持続可能な都市づくり、イノベーションの促進、ステークホルダーとの関係強化といった多くのメリットをもたらします。 アートとビジネスが共存することで、横浜の文化的資産を守りながらも企業の社会的責任と成長戦略を同時に実現できるのです。

さあ、応援しましょう!

竹見正一(株式会社ココラボ)


石内都[大型写真プリントパネル貼り作業]「BankART Life7」(2024)

ウー・チェンイー[横浜シンフォステージのグランモールデッキガラス部分への三層プリント作品設置]「BankART Life7」(2024)

ナカバヤシアリサさんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.77


BankARTとの出会いは、レジデンスに参加し、発表の場をいただいたことが始まりでした。
周囲の作家と交流する中で、この場がどれほど多くの作家に愛され、大切にされているかを実感しました。
その後、「池田さんをギャフンと言わせたい」との想いからUnder35に応募。キャリアも経験も浅い私の作品を真剣に見ていただき、採択されたことは大きな励みとなりました。

関わる中で感じたのは、作家の「やりたいこと」や「良い作品」のために、BankARTは必ず最善を尽くし、実行してくれるということ。
その実行力と技術に何度も助けられ、作家として大きく成長させてもらいました。
当初は周辺作家に愛される場だと思っていましたが、今では国内外から注目され、日本の芸術の発展に不可欠な存在となっていることを強く感じます。
キャリアに関係なく作品について考え、挑戦する機会を与えてくれる場所。その存在は、作家にとって大きな勇気となります。
いつも支えてもらってばかりの私に、何かできることはないかと考えながらこの文章を書きました。
どのような形になっても、BankARTの活動が続いていくことを心から願っています。

ナカバヤシアリサ(ペインター)


ナカバヤシアリサ個展「BankART Under 35 / 2022」 (BankART KAIKO / 2022)

ナカバヤシアリサ「Days to come」(Start Gallery 2+4 / 2024)

伊藤康⽂さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.78


BankARTと私達、泰有社が出会ったのは2012年の事
当時、僕等はその存在を知らず池⽥さん、細淵さんを紹介してもらったことを覚えています。

その後、BankARTのレジデンス兼、事務所機能として泰⽣ビルの1部屋を賃貸してもらい更に、同ビル1F の元洋⾷屋だった店舗をBankART HOME として、カフェや書籍をはじめ街の中でアートの基軸が感じられる場所としてオープンしていきました。

僕たちは横浜で3回の不動産売買で物件取得を⾏い、⺠間企業として築古物件を延べ100 団体以上のアーティスト、クリエイターに物件を提供し、14 年程、経過し今⽇に⾄っていますが、このような取り組みは、BankART という実践的な先駆者がいたことにより、それを、準えることで現在の継続が可能となっています。
今までは僕等が応援してもらってきたと思っています。

時代のスピード感や変化に驚くことが多々ありますが、おそらくBankARTはその時代時代を咀嚼しながら⾒極め継続されていく事だと思っています、また期待をさせてください。

伊藤康⽂(泰有社)


BankART Home (2018.5〜2020.11)

泰生ビル+泰生ポーチ+トキワビル/シンコービル入居者の集合写真(泰生ビル屋上 / 2018)

大越晴子さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.79


わたしがBankARTを知ったのは大学生の頃です。大学の特別授業で池田さんがいらっしゃり、BankART構想のお話を伺い、その後、整備したばかりのBankART Studio NYKの空間を案内してくださったことが最初でした。同時期に開催された旧第一銀行での創造都市のトークイベントも聞きに行き、アートと都市の掛け合わせへの興味がわたしの中で膨らんでいきました。その後もBankARTの活動に注目し、展示やイベントがあるたびに通いました。機会があって、創造都市の活動に携わる現職場で働くようになり、最近ではBankARTの皆さんとも目線を合わせ、20周年を迎えた先これからの創造都市について話し合う場に参加できたことは財産です。
都市とは、人々の営みが集積し、それが表象的に滲み出てきた姿だと考えています。BankARTさんは、その営みをアートとして表現し、街をアグレッシブに、小さな空間までも読み解いて使い倒し、横浜の都市の寛容さを開拓してこられたなと、感じます。そんな姿は学ぶことが大きく、いつもわくわくさせられていました。
わたしにとってBankARTは、魅力的な都市をつくる希望の存在、です。いま逆境にありながらいろんな取り組みや挑戦をし続ける様子に、このチームならまた何か新しい展開を生み出すのでは!と確信します。

これからの活躍を応援し続けます。

大越晴子(象の鼻テラス 施設長)


創造都市横浜20周年記念<よこはまミーティングドーム 2004-2024> 磯崎道佳(横浜市役所 アトリウム/2024)BankART1929+黄金町エリアマネジメントセンター+象の鼻テラス若手スタッフによる共同企画

創造都市20周年記念「横浜クリエイターズ・ナイト」(BankART KAIKO / 2024) BankART1929+黄金町エリアマネジメントセンター+象の鼻テラス若手スタッフによる共同企画

村田 真さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.80


よく20年も続いたなあ、というのが「落選」の知らせを聞いての正直な感想だ。もちろん残念という思いもあるけれど、行政の考える芸術文化の活性化事業なんてせいぜい5、6年か、持って10年くらいのところが多いからだ。その点さすが横浜市、20年の長きにわたってかなり自由に冒険させてくれたのだから感謝しなければならない。もっともそれはBankARTの創意と努力の賜物であり、とりわけ前代表の池田修氏の剛腕なくしてありえなかったことだが、逆にその過剰なエネルギー注入が祟って寿命を縮めたといえなくもない(BankARTも、本人も)。もっと大人しく、無難にやり過ごしていたらずっと長く続いたかもしれないが、それじゃやってる意味がねーだろって話だ。

オルタナティブとは「代案」「別の選択肢」といった意味だが、美術でオルタナティブスペースというと、評価の定まった作品しか扱わない権威主義的な美術館でもなければ、売れる作家しか相手にしない商業主義的な画廊でもなく、新たな可能性を秘めたアーティストに制作と発表の場を提供するアートスペースといった意味で使われる。ところが横浜市は人口370万人を抱える巨大都市であるにもかかわらず、肝心の美術館がひとつしかないし、画廊に至っては壊滅的だ(国際的アートフェアが開かれる都市なのに、そこに出店する画廊が1軒もないってどういうことだ?)。要するにオルタナティブが対抗すべき仮想敵に乏しいのだ。思い出すのは2009年、BankARTが美術館でまともに紹介されてこなかった原口典之(当時63歳)の回顧展を開いたとき、横浜美術館はデビューまもない金氏徹平(当時31歳)の個展を開催していたこと。これって逆じゃねえか?

美術館が50年、100年先まで見越して美的価値を普遍化していくものだとすれば、それに対抗すべきオルタナティブは時代によって変わっていかなければならない宿命にある。オルタナティブが50年も100年も続けば、それはもはや「代案」ではなく権威そのものになってしまうからだ。これがオルタナティブの持続不可能性である。なこというとだれも寄付してくれなくなるから、こう言い換えよう。オルタナティブは常に生まれ変わらなければならないのだと。BankARTはすでに何度も変転を重ねてきたが、ようやく本格的に生まれ変わるときが来たようだ(池田氏は生まれ変わらなくてもいいです)。みなさま、ご支援、ご協力をよろしくお願いします。

村田 真(美術ジャーナリスト、画家、BankARTスクール校長)


《自画像》村田 真(2023)

《ごきげんな池田くん》村田 真(2022)

岩渕潤子さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.81


もう何年前になるだろうか? 池田修さんと村田真さんからある夜、「ちょっと来て」と最初のBankARTに呼び出された時のことを鮮明に覚えている。ドラマのロケなどでもよく利用された、あのアイコニックな銀行建築のビルヂングだった。お二人は、これから始めるであろうプロジェクトのあれこれについて、とりとめのない感じで、でも嬉しそうに語っておられ、私も「何か一緒にやらない?」と笑顔で声をかけてくださったのだ。その時のワクワクした気持ち、二人のお兄さんたちの期待に満ちた顔の輝き、村田さんの真ん丸な顔、池田さんのちょっと神経質そうなデリケートな顔立ちなど、あの建物の陰影を生みがちな照明の下、とても印象的な会談となった。

あれから何回のイベント、記念すべきトリエンナーレ、映画の上映会やパフォーマンスなど、忘れられない体験をBankARTでは重ねてきた。そこにはいつも池田さんがおられた。BankARTはいつもARTの現場だったけれど、その空間は建築としてのディテールに心が行き届いていて、それが池田さんらしさとなっていたような気がする。BankARTの主のような存在であった池田さんがいなくなってしまって、ついには横浜から施設としてのBankARTが無くなってしまうなんて、とても信じられない。願わくばそのスピリットだけでも、私たちの心の中で希望の燈として燃やし続けて行きたいと思う。

私の記憶に一番残っているのは2006年の企画展「食と現代美術 part2」でのイベント。現代美術家・岡﨑乾二郎さんの作品「甲羅ホテル」を能舞台に見立てて、能楽師の梅若猶彦さんに新作能を演じていただいた。そういう縦横無尽なことができるのはBankARTならではだった。

池田さん、BankART、そして関係者の皆様、どうも有難うございました!BankARTの次の1ページに何が待っているのか、またワクワクしながら楽しみにしている。池田さん、アートの神さま、これからもずっと見守っていて下さい!

岩渕潤子(アグロスパシア株式会社取締役/編集長、美術館運営・管理研究者)


梅若猶彦新作公演「一泊二食付き」BankART1929+慶應義塾大学DMC機構 「食と現代美術 part2」(BankART 1929 Yokohama / 2006)

逢坂惠理子さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.82


公立美術館とは異なる機動力で、独自の視点による展覧会とともに若手のアーティストの支援にもいち早く取り組んできたBankARTの存在は、アートシーンを活性化させてきました。BankART Studio NYK、 1929 Yokohama、KAIKO、Station の思い出はキリがありません。

2011年、初めて横浜美術館が主会場となった第4回の横浜トリエンナーレでは、BankART と黄金町バザールとの協働が実現。公立美術館とNPOがタグを組んだことは、貴重かつ意義深いことでした。BankARTの20年間の活動が、新たなステップへとつながるよう、応援します。

BankARTを支える多くの思いが集約され、良い流れができるように、皆さんの更なるご協力をお願いいたします。

逢坂惠理子(国立新美術館館長)


特別対談 逢坂恵理子×村田真「BankART LifeⅢ 新港村」(新港ピア / 2011)

溝端俊夫さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.83


北仲地区の歴史的建造物を芸術文化に活用して地域振興することをテーマのひとつに、横浜市の創造都市プロジェクト企画コンペが立ち上がったのが2003年秋。これがいわば「バンカートの素」だ。当時の募集要項は今見てもなかなかspicyな味付けだった。このコンペを取ったグループが始めたBankART1929がスタートしたのが2004。21年前のこと。この間随分と起伏に富んだプロジェクトだったが、そのときどきにバンカートが燃焼する熱量は、運営する施設の面積をパラメーターにするとわかりやすい。とすると、バンカート事業のピークは帝蚕倉庫跡を活用した北仲プロジェクトの2005年頃、そして客船ターミナルの新・港村を運営した2011年頃、また桜木町の廃線高架下を使ったR16スタジオの2018年頃になろうか。「芸術不動産」は横浜で進行している別事業の名称だが、バンカートは所有はしないものの、池田さんには「芸術不動産王」の称号が贈られておかしくないくらいだ。しかしまた振り返ってみると、このとき同時に、北仲地区の歴史的建造物はひとつまたひとつと姿を消し、またあるものは変容を遂げてきた事実にも気づかされる。帝蚕しかり、関東財務しかり、日本郵船倉庫しかり、他にもいろいろあるだろう。要は、土台となる「素」が希薄になってしまったのだから、今バンカートが最終的に場所を失い、活動リソースであったものすら処分対象となっていることも驚くにあたらない。複雑な気持ちは拭えないが、膨大な物の山を片付けなければならない。また未来に向けて一歩を踏み出さねばならないのだからお金が要る。「バンカートの素」がいつか再びspicyに輝くことを願い、応援したい。

溝端俊夫(NPO法人ダンスアーカイヴ構想)


大野一雄フェスティバルオープニング(北仲第二工区 / 2008)

国吉直行さんから応援メッセージをいただきました!

応援メッセージ Vol.84


ヨコハマ創造都市の牽引者BankART1929 次の展開に期待し、応援します。

横浜市の都市デザイン活動は、横浜市の六大事業展開などに連動し、1970年代から運動的に活動を開始した。都心部関内地区や山手地区などで、広場やプロムナードの連なる、歩いて楽しい街、開港以来の歴史伝統の生きづくまちなみなど、「個性ある都市空間づくり」として連続的に成果を挙げ、1980年代後半からは、さらに活動領域を都心周辺区や、みなとみらい21地区へも拡げていった。これらの成果は、のちにグッドデザイン賞金賞、建築学会賞業績賞、土木学会デザイン賞特別賞などを受賞する大きな評価を受けている。

こういった中で、都市デザイン室は、「個性的な各地区の魅力空間づくり」の次の展開を模索、一定程度整備された個性的都市空間の中で芸術文化デザインなどが実験的に展開される「創造実験都市」を次の運動目標に掲げた。そして、1990年の「バルセロナ・ヨコハマ・シティクリエーション90」“BAY90”や「芸術は都市をひらく展」などを開催した。この運動を主導したのは、都市デザインチームの岩崎駿介、国吉直行などスタート期からの活動に少し遅れて参加した北澤猛であった。

残念ながら、このBAY90など「創造実験都市」の試みは、いったん、終息してしまうのであるが、2004年に、横浜市では、新たな「創造都市ヨコハマ」が提唱される。これを主導したのが、横浜市都市デザイン室を離れ、東大教員となっていた北澤猛であった。

ヨコハマ創造都市の担い手誕生

2002年、当時の中田宏市長に、北澤は大学教員の立場から、「創造都市」政策を提言する。そして、最初の実験的事業となったのが、2004年の二つの歴史的建造物「旧第1銀行」と「旧富士銀行」を活用した、「創造都市活動」の民間の担い手募集であり、選ばれたのが池田修さんをリーダーとする「BankART1929」チームであった。

その後のBankART1929の八面六臂な実験的活動と展開ぶりは、多くの方々がご承知のとおり、横浜に新たな息吹を吹き込み刺激を与えた。そして、彼らの活動の中で特質すべき点は、「創造都市活動」として、横浜で芸術文化・デザインの若手活動家のコミュニティを育てるといったことなどのほかに、都市ヨコハマの未来を新しい人々を交えて議論する場を持ち続けたことであった。こういった、「コレカラノ横浜」への議論は出版物としても多く出されている。これらの活動の仕掛けは、池田修(芸術文化の都市展開)と北澤猛(次の都市デザイン開拓)の二人の狙いの融合したものであった。

今後への期待

BankART1929はすでに横浜以外でも活動成果を挙げているが、今後も横浜をベースに、細渕太麻紀代表、秋元康幸副代表のリードで、池田・北澤コンビのような芸術文化振興と都市デザインの融合した、新時代の創造的展開が生まれることを期待しています。

なお、2022年3~4月に都市デザイン50周年を記念する「都市デザイン横浜 展」のBankART KAIKOでの開催については、BankART1929の皆様には、多大な協力とご支援をいただいたことを感謝いたします。

国吉直行(都市デザイナー、横浜市立大学客員教授)


都市デザイン 50周年記念事業「都市デザイン 横浜」展(BankART KAIKO / 2022)



2025年3月20日更新



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