[Yokohama Re:Portside Project Vol.2]6月のリサーチツアー「ヨコハマポートサイドが生まれるまで」

2026年6月21日

先日、「ヨコハマ・リ・ポートサイド・プロジェクト」のリサーチツアー「ヨコハマポートサイドが生まれるまで」を行いました。第1回目となる今回は、横浜市役所で38年間都市づくりに携わってこられたBankART副代表の秋元康幸さんのガイドで、江戸時代から現在にいたる横浜とポートサイドの歴史を学びながら、実際に街を歩くツアーです。私は予備知識があまりないままの参加でしたが、たくさん質問をさせていただきながら、とても新鮮な気持ちで自分の生まれ育った横浜の歴史に触れることができました。

ツアーを通じて改めて知ったのは、横浜の始まりは常に外からの力によって作られてきたということです。江戸幕府が江戸のために作った「港」、明治政府が東京のために作った「工場」、そして東京へ通勤する人々のための「住宅」。つまり初期の横浜は、東京のための横浜という側面が大きかったのです。そこへ天災や人災が重なり街が焼けたことも、外圧に晒され続けた歴史と言えます。そんな横浜が主体性を持ち、横浜のための横浜へと歩み始めたのは、太平洋戦争後の復興として1964年に始まった「横浜市六大事業」からでした。

ちなみに私の祖父母も、1970年代に東京の家が取り壊されたことを機に横浜へ移り住んできました。東京も横浜も都市全体がうごめいていた時代の活気と混沌を想像します。そうした大きな流れの中で、ポートサイドは今から30年前に「アート&デザインの街」を掲げて作られました。行政のまちづくりが建物などのハード面で終わりがちだった時代に、日本でもいち早く文化などのソフト面に意識を向けた先駆的な街であり、それが今日のアートプロジェクトに直結していることが秋元さんの解説でよく分かりました。

秋元さんのレクチャーの後は街歩き。私は草木染めをすることを想像しながら植物をみて歩いていましたが、特徴的な植物は中々見当たりません。でも、その特徴のなさこそが埋立地であることを象徴していて面白いとも感じました。開港から外来の力が土台になってきた横浜は、植物たちも外来からやってきたものたちが根を張っています。

もうすぐ川の拡張でなくなるという手付かずの荒地や、道路用地であるが故に建物が取り壊された跡地の緑も印象的でした。一本の大きなビワの木が実をたわわに実らせていて、あの木も切られてしまうんだ、と思うと、染料として残して作品を作ってみたいという思いが浮かびました。失われゆく風景に惹かれるのは本能なのでしょうか。ここポートサイド地区で1987年に作られたPHスタジオの「ネガアーキテクチャープロジェクト NO.2」も、失われる風景を最後に作品にしたものでした。その姿勢に時代を超えて共鳴します。「なくなっていくことの構築性」。

今日も荒地では植物たちが呼吸をし、光合成をしています。草木染めの原料は植物の色素です。さらに紐解けば、その色素の原料は光であり、水であり、風であり、環境であるといえます。荒地はどんな色を染めるのでしょうか。染色を通して都市の余白を見つめてみると、何が見えて来るのでしょうか。

少し作品のテーマがみえてきそうな気配がしました。けれど、まだまだ毎月のリサーチツアーは始まったばかりです。焦って着地点を決めすぎず、余白を残しておきたいところです。1年をかけて取り組むプロジェクトなので、視野を広げてこのプロセス自体をじっくり楽しもうと思います。

山本愛子

Photo by Tatsuhiko Nakagawa