フェスティバル全体のプログラムでひときわ異彩を放っているリサーチプロジェクトです。PARAPARAは、もちろんユーロビートでディスコを一世風靡したパラパラダンスのこと。最近はアニメソング(通称アニソン)で、コスプレのイベントで踊られているそうです。そんなパラパラダンスの「生命力」に焦点を当てて、コスプレイヤーにも集まってもらい、また、コンテンポラリーダンス振付家カワムラアツノリさんに新しいパラパラの振付にチャレンジしてもらい、さらにコミュニティダンスとしてのパラパラの現在について考えるシンポジウムを企画しました。ところが、あいにくの台風上陸。波浪警報も出される中で、お客様とスタッフの安全も考え、イベントは途中で中止せざるを得ませんでした。残念無念。シンポジウムは開催できませんでしたが、台風の中集まってくれたみなさん、本当にありがとう。いつか日をあらためて企画復活します
月: 2012年9月
大野一雄フェスティバル2012 「Dance Experience」を読み解く 笠井叡「あんまの方へ」
「あんま」は土方巽の初期の代表作です。1963年に、土方巽Dance Experience の会「あんま — 愛欲を支える劇場の話」として上演されました。その作品の与えた衝撃は半世紀を経ても、見た人の心を去らないようです。笠井さんとトークに参加される巖谷さんもそのときの観客でした。「あんまの方へ」はその「あんま」へ近づこうとする笠井叡の強い意志を感じさせる作品です。「あんま」がぐるりと演者を囲む観客の視線のなかで起き、有無を言わせず丸ごと観客をパフォーマンスに巻き込んだように、「あんまの方へ」も、2階の展示会場を満員の観客を引き連れて移動していきます。人が多くて見えないから、背伸びして、人と人の間から見える位置を探していく。笠井さんのあふれ出るような即興舞踏を、観客は「見る」のではなく自分自身の「体験」として受け止める時間でした。
大野一雄フェスティバル2012 「集まれ! ダンスアーカイヴ」トークセッション 捜真女学校における大野一雄の聖劇
大野一雄は、横浜で長い歴史をもつミッションスクール、捜真女学校で体育教員として務めていました。大野一雄がダンスを始めたきっかけの一つは、女学校の体育授業でダンスを教えなくてはならなかったからだそうです。体育だけでなく、学校のクリスマス礼拝では、聖劇の指導を行い、自らも出演し、マリアを演じていました。今すでに大野一雄の直接の指導はありませんが、この聖劇は現在の捜真女学校に受け継がれています。ダンスを意識的に継承することは、ダンスアーカイヴの重要なテーマです。どんな方法と思いで、生徒達は聖劇を受け継ごうとしているのか、現場からの生き生きとした報告を聞くことができました。また大野一雄の聖劇の映像を見ながら、学校におけるダンスも大野一雄の生活と舞踏に、密接に繋がっていることがわかる興味深いトークセッションになりました。
大野一雄フェスティバル2012 : Untitled
ヴッパタール・タンツテアター・ピナ・バウシュの中心ダンサー、エレナ・ピコンさんと瀬山亜津咲さんのデュオ公演です。ふたりが立って歩くだけで、打ちっ放しのコンクリートの倉庫空間が、いろいろな思いに満たされたように見えてきます。何気ない動きのなかに何かがある。良いダンサーとはそういうものなのかもしれません。タイトルは「Untitled」、無題です。この踊りは、ピナの振付や自分自身のピナや大野一雄への思いをコラージュしたので、題は無い方がいいと思いました、と語る瀬山さん。床のくぼみに赤ワイン注ぐ。この建物をグラスに見立てて、ピナが好きだったワインで乾杯したかった、とエレナさん。そうだったのですね。ふたりの思いが素直に伝わってくるダンスでした。
新朝鮮通信使:イ・ヨンスさん来浜
BankARTは数年前から「続・朝鮮通信使」をおこなっているが、釜山文化財団は、今年から「新朝鮮通信使」というプログラムを始めた。このプログラムは、日本国内の朝鮮通信使ゆかりの地に、釜山からアーティストを派遣し、日韓の新しい交流をはかるものだ。
この枠組みで現在9.21より、イ・ヨンスさんがレジデンスアーティストとして、来浜されている。ヨンスさんは、文学や国際交流が専門で、日本語もかなり上手だ。約1ヶ月の滞在で、横浜を中心とした創造都市やアートスペースの調査研究をしながら、詩を自作し、最終的には詩集を作成される予定。BankARTまわりで行なわれている活動には興味津々で、開催中の大野フェスの公演やスクール等のプログラムにも積極的に参加している。また自転車で、かなり遠方まで、近辺をリサーチしている。
そんなヨンスさん、みなさんにもいつか、お話を伺いにいくかもしれません。よろしくお願いします。
大野一雄フェスティバル2012 「集まれ! ダンスアーカイヴ」トークセッション 石井漠を巡って
「集まれ! ダンスアーカイヴ」展示では、舞踊家石井漠の資料を展示しています。石井漠(1986-1962)は、帝国劇場の歌劇部員として舞踊を学び、1920年代に渡欧、帰国後石井漠舞踊研究所を開きました。日本の洋舞史の原点に立つ舞踊家であり、沢山のお弟子さん達が現在も活発に活動をしています。1930年代、大野一雄もまた石井漠の弟子でした。その石井漠の歴史資料は、ときおり公開されることはありますが、まとまって見られる場所が残念ながらありません。「日本の現代舞踊のパイオニア、石井漠の足跡を辿り、保存することの意味」をめぐって、愛弟子石井かほるさんと舞踊批評家山野博大さん、立木あき子さんにお話し頂きました。貴重な資料が散逸の危機に瀕している状況や、保存運動がなかなか実を結ばない事情が、現場をよく知る人たちの言葉で熱く語られました。