【アートラーニング・インタビュー #21】BankART Life7 参加アーティスト・島袋道浩 by BankART実験広報部

こんにちは。BankART実験広報部のトウです。今回は、「宇宙人とは接触しないほうがいい」という看板の作品をつくられた島袋道浩さんにインタビューさせていただきました。

___「宇宙人とは接触しないほうがいい」という作品について教えてください。

島袋: 現代美術って、一般的に新しいことが良いとされていますよね。現代美術だけじゃなく、今、世界中が宇宙開発とか、新しい何かを作ることに取り組んでいて、それが良いことだと考えられています。でも、もっと手前にもたくさん楽しいこと、やるべきことがあると思うんです。今回、この看板作品を展示させてもらった喫茶店では、バルコニーの下を流れる運河にエイ(魚)が見えるんです。びっくりしないですか?宇宙に行く前に、まずエイを見に行くのも良いんじゃないですか?

___ いいですね!宇宙よりももっと身近なものを再発見するという感じですね。

島袋: そうです。ここにも「宇宙」があるということです。

___ 昔作られた看板の作品「人間性回復のチャンス」とは、今回の作品に何か関係がありますか?

島袋: あの作品はおよそ30年前に神戸の地震を体験した時に感じたことが元になっているのですが、どんどんデジタル化が進んで、人々のリアルなコミュニケーションが希薄になっていく中で、大切なことを忘れてしまうのが問題だと思っています。電車の中でお年寄りがいたら、さっと声をかけて席を譲るとか、そういうことに代表されるような人として基本的なことです。他の人たちがあまりにも忘れてしまっているから、僕が言わないと、という役割を感じています。

___さっき、後ろの倉庫で壺のようなものが見えましたが、あれは何ですか?

島袋: あれはタコを捕るための壺です。僕が育った神戸や明石の伝統的な漁法で餌を入れなくても、沈めておくだけでタコが勝手に入るんです。小さい蛸壺には小さいタコが、大きい蛸壺には大きいタコが入ります。だから、カラフルな蛸壺を使ったらカラフルなタコが捕れるかな、と思ったんです。また、タコはカラスのようにいろんなものを集めたりする習性があって、色や形にも好みがあるようです。タコはどんな色が好きか?という作品で、あの壺を実際に海に持って行ってタコ壺漁をします。

___ BankARTでもうすぐ始まる個展について教えていただけますか?

島袋: いろいろな作品をつくってきましたが、今回は特に音や音楽に焦点を当てた展示を予定しています。日本ではこれまで見せたことのない特別な作品もあわせて10点ぐらい展示するつもりです。

島袋さんのBankARTでの個展は7月4日から始まります。面白い作品がたくさん展示されると思いますので、楽しみにしています!

島袋さん、インタビューありがとうございました!

【アートラーニング・インタビュー #20】BankART Life7 参加アーティスト・佐藤邦彦 by BankART実験広報部

こんにちは、BankART実験広報部のとうです。今回は、「Retouch」というモニュメントをモチーフにした写真作品を制作された佐藤邦彦さんにインタビューをさせていただきました。

– 今回の作品について教えていただけますか?

佐藤: 横浜にあるさまざまな発祥の地を示すモニュメントを撮影した写真シリーズです。「Retouch」というタイトルなのですが、写真を撮影した後に、そのモニュメントに書かれている碑文をフォトショップで削除しています。

– 主にどの辺りで撮影を行ったのですか?

佐藤: 横浜の関内エリアにあるモニュメントを中心に撮影しております。

– この作品のコンセプトについて教えてください。

佐藤: モニュメントの碑文をレタッチして消しましたということなんですけど、言葉があると人って安心できるというか、モニュメントを見て、言葉が目に留まって、なんとなく意味を認識する。ただそれ以上に興味を持つことなくそこで終わってしまう。けれども モニュメントから文字を消してしまうと、急に落ち着きがなくなって不安な感じがしてくる。意味のある対象がただの物になる。そうすることで、初めてそこで示されている言葉の意味や、物体としての造形に目を向けるようになるのではないかと考えました。

– なぜ文字を消すことにこだわったのですか?

佐藤: 写真でもアートでも、キャプションを見て何となく「理解した」ような気になってそれ以上見ないという経験があると思います。モニュメントの碑文は、ある意味で「歴史のキャプション」のようなものだと考えていて、それを消すことで観る人が歴史を考えるきっかけになるかなと思いました。

– つまり、観客に「想像に任せる」ということですね?

佐藤:  そうですね。たとえば展示作品の中には新聞の発祥の地が2つ、公園の発祥の地が2つあります。どちらかが嘘だということではなく、表現を変えることでそれぞれ確かに発祥の地を示している。それらを見比べると、発祥とは一体何なんだろうという疑問が浮かんできます。他にも海水浴発祥地と言われる場所があるけれど、縄文人も海で泳いだだろうし、何を持って発祥なのかなど、そういったことを考えるきっかけになればいいなと思っています。

– 発祥や発明について考えると、定義するのが難しいですね。

佐藤: そうですね、電話の発明はエジソンなのかベルなのかなど、特に発明などは同時多発的に起こったケースが多いと思います。このようなオリジナルを主張する際に、歴史の編集的な側面があらわれると感じています。言葉を少し変えるだけで、どこでも「発祥の地」を主張できる。横浜だけでなく神戸や長崎にも「日本発祥の地」があり、世界を見渡すとどこかに「世界発祥の地」がある。言葉で説明されていることを深く考えてみると、いろいろなことが見えてきますね。

– 「Retouch」というタイトルも意味深いですね。

佐藤: 文字をレタッチして消しましたというだけでなく、私なりの美意識で写真が魅力的になるようにレタッチを施しています。世の中に流通する写真は何らかの形でよりよく見えるようにレタッチされているはずです。写真以外のものはレタッチされていないのだろうか?言葉は?歴史は?そのようなことを考えていました。

佐藤さん、ありがとうございました。

このインタビューを通じて、「Retouch」の背後にある考えが少しでも伝わると嬉しいです。

【アートラーニング・インタビュー #19】BankART Life7 参加アーティスト・矢内原充志 by BankART実験広報部

こんにちは!

BankART実験広報部の福谷です。

今回は「うつを向いて歩こう」という作品をつくられた矢内原充志さんにインタビューさせてもらいました🎤

矢内原さんの作品はなんとお洋服です👕展示形態の違うお洋服や布には一体どんな意味があるんでしょうか!

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___矢内原さんについて

矢内原:SUTUDIO NIBROLLという、企画・デザインの会社をやっています。渋谷の桑沢デザイン研究所っていうところに行ってる時にいわゆるストリートブランドを立ち上げて、それがキャリアのスタートですね。そこから2〜30代はほぼアパレルの世界にいました。30代半ばぐらいに横浜に移ってきて、福祉から文化財からリゾート施設から病院、いろんなところでブランディングの仕事をやるようになりました。そういう経歴なので服は縫えます。今着ている服は自分でつくったものです。

___作品「うつを向いて歩こう」について

矢内原:この作品も全部自分で縫ってます。これはある2、3ヶ月の考えたことを形にしたもので、何かを目指してまとめたものっていうふうにはあんまり考えてなくて。これをつくっている時ちょうど友達が亡くなったぐらいのタイミングでテンションがうつむきだったので、通勤エリアの途中で下を向いて写真を撮って、同スケールで生地にして服にしました。技術としては写真を繰り返し配置したときに違和感がないようにだけはしています。

___パターンの写真について

矢内原:写真はスマホで撮っています。うつむいて色々撮ってるうちにここちょっと前まで海だったのかもとか、もっと昔は土とか砂利だったかなとか色々想像するようになって、昔のなにかとアスファルトで舗装されるもっと前の記憶みたいなもので何かできないかなと思って、パッと思いついたのが2種類のパターンがてれこ(※入れ違い)になるみたいな構成で、それって脳漿族のパターンでもあるなと思い、2枚の要素をてれこに並べるテキスタイルっていうのを服にしてみた。これとか普通に桜木町の駅ですね。

___展示の仕方の違いはどういう違いですか?

矢内原:全部うつむいて撮ってるものがネタではあるんですけど、それにさっきのてれこにするとかの要素を入れてみたやつと、それにさらにグラフィックを入れてみたものがこっちのTシャツです。

___Tシャツの作品について

矢内原:これは服をつくってる人はわかるかもしれないんですけど、脇線がないんです。どういう構造かというと、開いたらこの形、型紙1枚だけです。主に2工程でつくれるから誰でもつくれる。そうやって工程を簡単にしていくことで専門的な技術がなくてもつくれるみたいな、裾をちょっとあげるぐらいの感覚で誰でもつくれるような構造を考えてみたものです。

___型紙を公開する予定とかありますか?

矢内原:型紙のライセンスを開放したり、就労支援施設とかに指導に行ったりとか、そういうのは考えてますね。

___端切れとシャツの作品について

矢内原:今回、服をつくり始めるにあたって一番最初に考えたことは、服をつくるテンションが下がってきた10年だったってことだったんだよね。東京からこっちに引っ越して一段落して、なんかもうこれ以上新しい服いらないんじゃないか病みたいになって、皆つくってるし、ゴミいっぱい出るしとか、そういう気持ちになっちゃったなと思って。また動き出すために何しようかなってもののトライアルがこれ。これはシュレッダーリングって言って、シュレッダーかけるみたいに過去俺がつくった倉庫に余ってた端切れを全部この同じ大きさの長方形に切っていくっていうのをやったんですよ。その切ったやつを量産台に乗せてこの版で同じプリントを全部にした。ちゃんと乗ったり乗らなかったり色々あるんですけど、そのうちの11ピースを使ってこの服ができてるんです。

___壁に展示されている端切れはまた別のものですか?

矢内原:これはまた別のトライアル。これ(シャツの下に展示されている端切れ)はなんでこの形なのかわかる?ヒントは僕が今治市出身ってこと。そうフェイスタオル。今治で最も効率よくプリントできる形。値段も1プリント何十円の世界でできる。こっち(壁の端切れ)は横浜でやってみたやつなんだけど、これは頼んだTシャツ屋さんのMAXサイズの32cm×40cmのシルクスクリーン。こっちはね、いわゆる顔料ってやつ。あっちは染料。ちょっと生地に馴染むような染めと一緒で、こっちはTシャツと一緒で顔料。薄くしか乗らないやつとか色々ある。

___使われている生地に意味とかありますか?

矢内原:柄に意味はなくてその都度つくったやつ。何かいいと思うシャツ地を糸からつくったり、かつて2次加工したもの。オリジナリティがある自分が書いたペインティングの柄とかいっぱいあったんだけど、そういうのは案外過去のBankARTのインスタレーションで使いきってたりしてあんまり余ってなくて、何でもないデニム生地とかが割と余ってる。捨てちゃえばいいんだけいいんだろうけどね、性分だね。なかなか捨てきれないので、その都度想い出があるので。それを使っています。

___この端切れはこの後どうなるんですか?

矢内原:この後はもう頑張って、服になるかバッグになるかわからないけど、なってもらわないと困るよね(笑)。

___今回のテーマが都市なんですけど、矢内原さんにとっての都市について聞かせてください。

矢内原:漠然としてるなあ、なんだろう。都市って横浜のこと?…. 都市的な風をした田舎って感じかな。イメージとしては、東京と俺の生まれ育った今治で比べたら横浜は今治寄り。つまり田舎。東京に近くて栄えてるし人口も多いんだけど、結局横浜っていう街は今治みたいだと思うことが多い。あそこで何かやりたいってなったら、「ああ、そこの土地持ってるの同級生の親戚だからこの誰々ちゃんに連絡すれば使わせてくれるよ。」とか、港で何かやりたいって言うと「港の管轄してる人は誰々さんのいとこだから連絡して許可取ったらいいよ。」とか、そういう狭い繋がりの中で何かを実現できるのが田舎だと思っていて、横浜はそれに近い。だから僕は横浜という都市がどんなとこかって言われたら、自分が暮らしてる都市風の田舎。だから暮らせてるんだと思う。東京は住んだことがあるけど繋がりがつくれなかった。スタンスが違うんだと思う。

___今後の宣伝等あれば!

矢内原:STUDIO NIBROLLのサイトでご相談いつでも待ってます。

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洋服に詳しくない私にも丁寧に説明してくださってとてもわかりやすかったです!

矢内原さん、ありがとうございました!

矢内原さんの作品はこちらから↓

@mitsushi_yanaihara

STUDIO NIBROLLのサイトはこちら↓

https://www.nibroll.jp

【アートラーニング・インタビュー #18】BankART Life7 参加アーティスト・村田真 by BankART実験広報部

こんにちは!

BankART実験広報部の福谷です。

今回は村田真さんにインタビューさせてもらいました!

村田さんの作品「上の空」は、ポートサイド地区にあるガトーよこはまというお店の店内に展示されています。

村田さんの絵画について、詳しく聞いていきます🎤

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Q.お名前、作家名を教えてください!

村田:村田真です。よろしくお願いします。

Q.今回の作品のコンセプトや狙いはなんですか?

村田:そもそもあれは5、6年前に描いた旧作なんですけど、タイトルが「上の空」というもので、西洋のいわゆる近世近代絵画で結構空はみんな広く描かれているということが気になっていて、特にフェルメールのデルフトの眺望という風景画なんですけども、画面の3分の2か4分の3ぐらいは空だけで覆われていて街の風景は下の方の4分の1ぐらいしか描かれていなくて、現代的な視線で見るとなんでこんなに空が必要なのかなという思いがあって。他の絵を見てもモチーフは戦争だったり略奪している場面だったり、激しいドラマチックな絵でもやたら空が描かれていて、ずいぶんアンバランスだなというふうに思いまして、じゃあ空の方だけに注目してみようかなと思ったのがきっかけです。「デルフトの眺望」というのは実はもう20年ぐらい前に一度空だけ描いたことがあって、本当に上半分だけ切り取るともう空だけしかない。馬鹿馬鹿しいといえば馬鹿馬鹿しいんだけどこれは何か面白いなと思って。で、5、6年前にそれだけを集中して描いたというのがそのシリーズですね。

Q.すごい上の方に飾ってあるのは何か意味があるんでしょうか?

村田:あれは、タイトルを何にしようかと思って、半分が空だから「上の空」がいいかなって冗談みたいなタイトルにしたんだけど、下半分で何か争いごととかやっていながら上半分は悠久の時が流れているっていう、永遠を表わしているのかなと。空から見れば地上でやってることなんて上の空だみたいな、そんな仕組みもあってそういうタイトルにしたんだけど、上の空だからなるべく上の方に展示した方がいいかなという思いもあって。あの会場は元から風景画が展示されていて、上の方が空いてたからじゃあ逆に下の絵を全部取り払って、なるべく上の方に展示してみるかと。来た人も上の方に目線が行くようにしてみようかなということで、上に展示しました。

Q.普段から絵を描かれているんですか?

村田:はいそうです。カタログがあればわかりやすいんだけど、普段は絵を描いてるっていうか、上の空もそうなんだけど、元々前からあるいわゆる名画みたいなものをモチーフにしてそこに何か描き加えたり、ある部分だけ切り取って拡大して描いたりとか、自分で何か絵を描くというよりも描かれた絵をアレンジするっていうようなことをずっとやっていまして。だから絵を描くというよりも、「絵」を描く、というふうな、ちょっと絵を一旦括弧に入れてそれを相対的に見てみるっていうふうな方法ですかね。

Q.それをすることによって伝えたいこととかあるんですか?

村田:絵画の面白さですね。絵画というものが不思議なものであるとか、何でこんなものを何万年も前から人間は延々と描き続けてるのかっていうそういう不思議さとか奇妙さみたいなものを伝えたいなというのはありますね。

Q.村田さんにとって、今回のテーマである都市、横浜について教えてください。

村田:僕は東京生まれで今も東京にいるんで、横浜っていうのは他の都市なんですね。東京っていうのはもう都市というより一つの小さな国家みたいな、都市国家みたいな感じがあるので、横浜はその意味では本当に典型的な都市のようにも見えますね。中心部と郊外があって、どんどん開発されて、っていうふうに見ると横浜は捉えやすい都市だね。アートと絡ませて言うと、もっともっと美術的な要素があっていいと思うし、横浜って380万人ぐらい人口がいるんだけど、美術館ってまともなのは横浜美術館くらいしかない。同じくらいの人口でいうとロサンゼルスがそうなんだけど、横浜美術館クラスのものが7、8館あるんですよ。横浜美術館よりもすごいやつもいくつもあるし、それに比べれば横浜は本当に少ない。400万近い都市としては美大が2つ3つあってもいいし、美術館も2つ3つあるべきだし、ギャラリーももっとあるべきだなと思いますね。逆に東京にはもう美術館がそれこそ何十も何百もあって、美大も5つも6つもあるから、やっぱりそっち(東京)に行ってしまうから横浜に必要ないのかもしれないんだけど、横浜を一つの都市として、独立した都市として考えればやっぱり少ないなというのが実感ですね。

Q.横浜ってパブリックアートがたくさんあると思うんですけど、何か決まりがあるんですか?

村田:建物を建てるとパブリックアートをつくるっていう決まりがあったのはみなとみらいだけなんですよ。あそこが街づくりの基本として最初に、建物を建てたら何か芸術的な要素を加味するっていうことを決めたらしくて、それが条件になっていると大体みんなパブリックアートをつくってくれるって言うことですね。あと90年代ぐらいにパブリックアートのブームがあったので、その頃ってちょうどバブルの頃で再開発も多くて、横浜でも上大岡とかポートサイドとか何ヶ所かの再開発が進んでいたので、どこの開発地区でもパブリックアートを積極的に導入したっていうのはありますね。

Q.何か今後の宣伝とかあれば!

村田:最近BankARTから刊行した書籍「横浜パブリックアート大全」はほぼそのパブリックアートを全部網羅してるんで、ぜひ買ってほしいです。ハンディーなサイズで小さくてポケットに入ってどこでも持ち歩けるような形なので、1人1冊、皆さんお買い求めいただければ街歩きが楽しくなりますということで、よろしくお願いします。

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村田さんの作品が展示されているガトーよこはまさんのケーキはとても美味しいので、ケーキを食べながら村田さんの作品を見るのがおすすめです🍽️

村田さんの作品はこちらから見れます↓

村田真 makotomurata – Biography

村田さんありがとうございました!

【アートラーニング・インタビュー #17】BankART Life7 参加アーティスト・片岡純也 by BankART実験広報部

こんにちは。BankART実験広報部の傳田です。

今回は岩竹理恵さんに引き続き、片岡純也さんにインタビューをさせていただきました。

片岡さんは、基本的にモーターなどを使って動く物を制作しています。

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___どのように作品を作っているんですか?

片岡:使ってない工具を片付けしていて、これを作品の動力に使えないかと思い、その形や仕組みの特徴を別の事象を起こす装置に転用しました。円盤の中でボールがコトコト落ちてくる作品(バンドソーによる球の運動)は、バンドソーのノコギリが通るローラーを利用してベルトを通し、力を伝えています。バンドソーの角度の延長線上に自然と円盤の位置は決まっていきます。

 

___このやじろべえのような作品はどうやって動いているか不思議です。ペンと木はくっついてるのですか?

片岡:くっついてないです。指先で探った木の枝の重心をペン先にのせています。ヤジロベエと同じ原理で、ペンをグラグラ動かしても木の枝はゆらゆらするだけで落ちません。

___どうして思いついたのですか?

帰り道にふと様子のよい枝を見つけて、指先にのせてバランスをとって歩いていたんです。それが面白いと思って。まずペンにのせてみて、次にちょっと離れたとこから見たいと思ってペンをコップに立てかけてみたら、いよいよ様子がよくてこれは作品になるなと思いました。

日々のささやかな発見から作品にしています。昔から人の話を聞いているときとかに手が無意識に動いてしまうことがよくあって、 紙をクシャクシャにしてみたり、ペンのバランスをとってみたり。そういう手遊びってその感覚が自分にとって心地よいことなんだと気づいてから、無意識にやっていることをあらためて気付いてみようとしています。

___この布団の作品も、動かしてみてできたのですか?

寝床を整えるため、シーツを両手で勢いよく広げたときシーツに空気がくるまって膨らむのが心地よくて、何度も繰り返していたときに、まさに無意識にやっていることに気がつきました。

__岩竹さんは、これが海の波みたいに見えるともおっしゃっていました。

片岡:身の回りのものごとや日々の所作から、スケールの違う物理、数式に表せそうな摂理のようなものが見えてくるのが面白いなと思っています。

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片岡純也さん、岩竹理恵さん、インタビューありがとうございました!!

片岡さんの作品は普段の生活の動きから着想を得ているということが非常に興味深いと思いました。岩竹さんとの制作スタイルの相違点についても知ることができました。

お二人は来年、神奈川県立近代美術館で展示をするそうです。そちらも見に行きたいです。

片岡純也+岩竹理恵

https://kataoka-iwatake.tank.jp

【アートラーニング・インタビュー #16】BankART Life7 参加アーティスト・柳 幸典 by BankART実験広報部

こんにちは!
BankART実験広報部の福谷です。

今回はBankART Life7の表紙を飾る、あの大きな土玉を作られた柳幸典さんにインタビューさせていただきました!
駅を通る人々に大人気の土玉について、詳しく聞いていきます🎤

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Q.今回の作品のコンセプトはなんですか?

柳:ほら、子供の頃泥団子って作らない?そのまんまなんだけど、でっかいの作ってみようかなって。ちょうど作家活動を始める出発点に何をやろうかと思った時、一番シンプルで出発点に相応しいこととして子供の頃やってたようなことを繰り返そうと思ってね。その頃は移動をテーマにしていて、移動するときにどうしても車に乗ったりとか自転車に乗ったりとかいろいろするんだけど、球体っていうのは移動ができる一番ミニマムな表現なんじゃないかって。しかも本来動かないはずの地面の土が動く。そんな感じ。

Q.ガイドブックによると被災地の土とか沖縄の辺野古の砂を実際に使っているとか。何か理由がありますか?

柳:別のところにあるものを全く別のところに持ってくるということで考えさせる。例えば福島の震災地から電気を東京に持ってきていたわけだよね。でも目に見えない。それを人が立って歩く地面が東京に来ることで、そういったことを考えさせるみたいな感じです。

Q.めっちゃ大きいじゃないですか。あの大きさに意味とかありますか?

柳:移動の話に戻るんだけど、フンコロガシって昆虫がいるじゃない?要するにフンを玉にすることで移動ができる。そのサイズの人間が転がせそうなギリギリの大きさです。

Q.今回は中が空洞ですが、実際に全部土で作ったものとかあるんですか?

柳:砂浜の砂と漂流物だけで作ったやつとかあって、原子力発電所があるすぐ近くの砂浜なんだけど。砂浜だから大きくて重くなると動かせないことあるけどね(笑)。あとアメリカで牧草地の牧草をどんどん剥いで丸めていったりとか、大きな風船に表面に土貼ってヘリウムガスで浮かせるやつとか。浮くっていうより無重力になるような状態でさ、時々降りてきたりとか空中に止まってる。そういうのも作りました。

Q.普段はどんな活動をされてるんですか?

柳:要するにさっき言った子供の頃やってたようなことを大人になってもやってます。子供の頃は無自覚なことが、大人になってやることでいろんな社会問題を思うわけだけど、例えば蟻をひたすら追いかけて地図を作ったりとか、砂絵を作って蟻に国旗を解体させたりとか、そういった子供のままやってるみたいな感じです。

Q .今回のテーマが都市なんですけど、柳さんにとっての都市や作品と都市の関係を教えてほしいです。

柳:僕は都市が苦手で。東京もいたしニューヨークも10年ぐらいいたりずっと都市にいたんだけど、その反動で今は橋のない島に住んでいて(笑)。まあ極端なんだけどさ、ある程度の年齢になると都市にちょっと距離を置いといた方がいいなって。人間って野生に放り投げられるとすごく弱いんだけどさ、都市にすることで自分にとって都合のいい世界を作ってる。虚構の世界。それはそれでいいんだけど、たまに来るぐらいでいいかな。このコンクリートを剥ぐとリアルな野生の世界が出てきちゃうわけじゃん。土玉はそれを逆転させてるみたいなものだよ。

Q.今後の活動の情報があったらお願いします!

柳:ひとつはね、来年の春にミラノのハンガービコッカっていう巨大な美術館で個展があるのと、おそらく同時期になるんじゃないかな、今韓国に、自分の作品を納めるための美術館を設計していて、まあ美術館というほどの大きさじゃないけど湖面に本当に浮いている美術館、それも完成すると思います。

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柳さんの美術館とても楽しみです。

ぜひ行きたいですね!

柳さんの作品についてはこちら👉Yanagi Yukinori

美術館のプロジェクトの詳細はこちらから見ることができます👉YANAGI+ARTBASE

柳さん、ありがとうございました✨

【アートラーニング・インタビュー #15】BankART Life7 参加アーティスト・野老朝雄 by BankART実験広報部

こんにちは!
BankART実験広報部の福谷です。

今回はStationから飛び出して都内某所、野老朝雄さんのスタジオTOKOLOCOMへ!🚃💨

野老さんは今回のBankART Life7ではパブリックアートテーブル「PPP TABLE」を展示されています。他にも野老さんといえば東京2020オリンピック・パラリンピックエンブレム!

どこの辺も繋がる不思議な紋様のことから野老さんが今の活動を始めるまでのルーツまで、たくさんお話を聞いてきました。

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___野老さんのことを知らない人に向けて自己紹介をお願いします

野老:立場的には美術家って書いてあるんだけど、デザインと設計っていうものがベースにあります。元々父が建築、母がインテリアをやっていたので建築の延長でもあると思うし、でも全部がロジカルなわけでもないから僕は繋げるっていうことを軸にし始めたんです。繋げるということをなんでやるようになったかというと、2001年のアメリカの同時多発テロを見て、人間ってずっと大きな勢力が戦いあったりとか正義対正義っていう話になると正義とは一体何なんだろうとか、わかんないことだらけなんですよね。なので僕は単純に繋がるっていうことの可能性というのを諦めたくないんです。

___今回の作品「PPP TABLE」について

野老:今回はそのテーブルでお世話になってると思うんだけど、あれは100個ぐらいつくりたいですね。デジタルアプリケーションみたいなのを使うことでアメリカにもアフリカにも持っていけると思うし、僕がつくらなくてもあっちでつくってもらえるという意味ではThe・設計だと思ってます。あと久々にPPPって言葉を持ち出したんだけど、proliferation(増殖)とか何かが生まれて多くなってくるpropagation(伝播)とかもPだなってなるし、単純にpatternとかpiecingとか。最初はPiecing・Pieces・Patternとかって言ってたんだけど、今回はPublicのPでもありますね。今は増えたらいいなとか勝手に伸びていったらいいなって思いもあります。

___「PPP TABLE」の紋様について

野老:このテーブルの紋様は完全にコンピュータでつくっています。BankARTにお世話になっていた時にはもうやってたと思うし、その時からつくり続けてますね。これ名刺なんですけど、微妙に変化していて、20年前くらいにお渡ししたときと共通してることは「単位」。普通名刺って55×91とか黄金比にあわせたものなんだけど、これはとにかく50mmを死守していて、分割が1つ5mmなんですね。名刺の柄も更新しているんだけど、俺はこの昔バージョンを持ってるってずっと昔に名刺交換した人から威張られる時がある。俺なんてこれとこれ持ってるぜみたいな。俺がつくったんだけどな(笑)。

___紋様の描き方について

野老:これオリンピックのときに散々言って全然伝わらなかったんだけど、コンピュータで出したものをまた写して描いてって、行ったり来たりしてるんです。こんな補助線いらないんだけど、ここ繋がってんだって描いたあとから思うみたいな。原画がA4なんですよ。だからもうズレるに決まってて。もうこれはしょうがないなと思う。誇りですね。普通はでかく描いてちっちゃくするのがセオリーなんだけど、でも人間がいるぞと。こればっかりはもう人に手伝ってもらいようがないから。

___紋様のほとんどに使われている青色について

野老:オリンピックの時から使い始めたんですけど、侍ジャパンブルーっていうのが昔からサッカーにあって、サッカーの色でサムライブルーというのをつくり始めたんですよ。それでスポーツのときにブルー使う傾向があって、traverse24って本があってそこのインタビューに詳しく書いてあるんだけど、(印刷の)黄色と赤って退色するんですよ。オリンピックのFiveRings(五輪)って黄色と赤が一番右上にあるんだけど、まず最初に黄色がなくなる。最後に残るのはもちろん黒なんだけど、2番目に残るのは青なんですよ。強い色をつくりたかったっていうのはありますね。あと藍染に憧れてて。藍地もしくは紺地に金っていうものがあって、これが一番残るんですって。藍ってのは虫がつかないよね。侍さんは大体藍染、というかほとんどのものが藍染だったわけですよ。一番コストパフォーマンスが良い。その時代の日本橋とか見ると半分以上は藍ですよね、一番安かったしかっこいい色だし。たまに赤いお召し物をしてる人はもうめっちゃ金持ちか土染の茶色。そういう目で見ると日本の色って言ってもいいんじゃないかなと思う。

___スタジオの猫ちゃんについて

野老:その子ロシア猫なんです、サイベリアンっていう種類。実は妹がいて、飽くなき戦争してるんですよ。本当に猫パンチってするんだなみたいな。作品破壊されちゃいそうで。だからだんだんうちの作品強くなってきたんですよ。猫に壊されるようじゃ駄目だ!って。テスターです(笑)。

___紋様への考え方について

野老:多分パターンっていうのがないカルチャーってないと思うんですよ。イスラムだったらモザイクパターンだったり、なんちゃっての企画じゃない構造を伴ってるわけで、もう先輩方がいっぱいいるわけですよね。俺はこの辺の生まれだからおばあちゃんが持ってる江戸小紋とか、そういうとこが先輩で。コンパスと定規でできるパターンみたいなのが各地にあるわけですね。そういうとこから勉強してるのかな。僕はよくグラフィックの話で、パクリとか何とかの話ってすごく悲しいと思ってて。先輩、経緯だと思うので僕の場合は。全然僕はオリジナリティなんか主張してないし、こういうパターンは1000年前にあったかもしれないし、そういうのが発掘される可能性もありますよね。歴史のことを既存と言わないでしょ。それはもう敬意あるもので、既存っていうともうやられちゃったものみたいな印象があるけど、そうじゃないと思う。文化文明っていうのは繋がっていくものだと思うし、紋様をやることによって世界って繋がっているんだなと思うし。死ぬまでに戦争が解決されると思ってないけど、もがいてたおっさんがいたっていうのは伝えたいんですよね。繋がるってことを言いたい。

___今後の活動について

野老:今はCCBT(シビック・ クリエイティブ・ ベース東京)でやってます(5/13時点)。その後は、アートワークを中国の安徽省っていう上海から奥に行ったところで、ボリューム的には最大になるのかな、そこで階段的段階もしくは段階的階段、グラジュアルステップスっていうシリーズの作品をつくる計画を進めています。

___横浜への想い

野老:横浜にはすごくお世話になっていて、自分の作品をつくっていく過程においても忘れられない場所で、一番最初の個展が横浜美術館の中の小さなギャラリーであったりとか、その後BankARTに受け入れていただいたりとか、本当に感謝しています。まだきちんとした大きな展覧会をやれていないので、いつか横浜でできればと思っています。

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台湾ビールを瓶ごとくれたり、福谷なので福の字のステッカーをお土産にくれたりとても気さくな方で、本当にたくさん(二時間超え)お話してくださってインタビューを短くまとめるのに苦労しました😂

とても楽しかったです!野老さんありがとうございました✨

野老さんの最新情報はこちらから!
@tokolocom

【アートラーニング・インタビュー #14】BankART Life7 参加アーティスト・三田村光土里 by BankART実験広報部

こんにちは、BankART実験広報部の中村です!
今回はLife7に作品を展示されている三田村光土里さんにインタビューさせていただきました。

簡素な木枠にかかっている横浜の景色がプリントされた大きな布は、どれも素敵な色味とイラストで斬新なデザインが施されています。三田村さんが今回の作品を制作するに至った経緯や、普段の制作時に大切にされていることについて聞いてみましょう!

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__今回のコンセプトや狙いについてお伺いしてもいいですか?

三田村:今回はnäkö(ナコ)という新しいファブリックブランドを作りました。私なりにデザインした横浜の景色をファブリックにプリントして、さらにそれを来場者の人が買って帰れるというものです。今回この布地はバッグにもなっているんですけど、旅の景色を持ち帰れるというコンセプトで、ファブリックブランドとしての作品を制作して展示しています。


__今回のための、新しいファブリックブランドなんですね!なにかきっかけなどはありますか?

三田村:きっかけとなったのが、2022年に開催された瀬戸内国際芸術祭です。女木島というところで小さなお店プロジェクト(現:女木島名店街)という芸術祭のプロジェクトで、私は女木島に因んで MEGIFabというブランドを立ち上げたんです。
私は元々アパレルデザイナーでもあって、アートよりももっと前から布などの身につけられる物や手に取れる物の生産に携わってきたんです。今は写真を基点に制作を行なっているんですけど、今やっているアートとこれまで過去に携わってきた布製品というのが自分の中で自然に融合したんです。この風光明媚な場所である女木島の景色を買って帰れる。私の視点と来場者の視点が一致するような、そういうプロジェクトを始めたので、それが女木島だけでなくいろんな場所で展開していきたいなと思ったんです。今回横浜でnäköというブランドを作ったのが、その第1弾です。


__näköという言葉は、フィンランド語なんですよね?

三田村:そうですね。フィンランドは2005年に1年間写真を使ったインスタレーションの巡回個展を行なったこともあって、自分にとって馴染みのある場所なんです。それに、näköって文字の響きも見た目も可愛くって。それがとても気に入っています。


__näköの意味は視界やヴィジョンとのことですが、どのような想いを込められているのでしょうか?

三田村:通常旅に出ると写真を撮るじゃないですか。スマホやデータとか、昔ながらの形だと絵葉書とか、そういう形にして持って帰る。でもその写真が日常の中で使える布製品になっていたらなんか楽しいんじゃないかと思ったんです。
日常使いすることでいつでも思い出せるようにということ以外にも、心から欲しいと思ってもらえるようなデザイン性を意識してつくっています。


__芸術の中に日常を含ませる、芸術を持って帰って日常で共有する、という感じでしょうか。今回に限らず、普段の作品を通して伝えたいのはどんなことですか?

三田村:私の作品のつくり方っていうのは、世界と私自身の間にある繋がっている部分を通して世の中を見ていきたいというか。日常的な気づきとか人との関わりとか、経験とか。そういった視点を作品の中に反映していきたいという思いでつくっています。


__タイトルが詩的だったり、文章だったりすることが多いですよね。そのおかげか伝えたい想いや意味などが自分の中にスッと入ってくるものが多いんですけど、タイトルにも反映させていますか?

三田村:私の作品のキャッチフレーズが「人が足を踏み入れられるドラマ」という言葉なんですけど、それぞれの日常がドラマのような、一人一人にとって私小説的なものであるような。そういう彩りみたいなのを作品の中にもタイトルにも反映できたらいいなと思っています。


__そうなんですね!今回も実際に作品の中に入って見に行けるような構造になっていますよね。今回のこの形は道をイメージしているのでしょうか?

三田村:道というよりも部屋ですね。この木のフレームは私のインスタレーション作品の中でたびたび登場するんですけれども、空間の中にもうひとつまた空間をつくるというイメージなんです。なので私の作品の中に共通しているのは、常に部屋であったり家であったり、何かそういったイメージを感じられるような空間になっているんじゃないかなと思います。


__今回の作品に使われているものは、写真であったり布であったり、どれも日常的に目にしたり手に取ったりするものが多いですよね。さらにそれらが部屋の中にある。要素全てが日常にあるものなのに、どこか非日常を感じるのですが、それは何故なのでしょうか?

三田村:するどいですね。日常的なんだけど何故かちょっと違う、この非日常感を感じさせるという表現の仕方が好きなんですね。子供の頃にシュルレアリスムの絵に影響を受けたというのもあるんですけど、一見普通なんだけどちょっとなんか表情が違うとか、ちょっと何かズレている、そういう表現の仕方が好きです。


__子供の頃から絵などに触れる機会が多かったんですね。初めはアパレルデザイナーとして仕事されていたとのことですが、アーティストとして活動され始めたのはいつからですか?

三田村:1993年の終わりから制作し始めてます。本格的な個展をやったのは1996年からです。突然始めたんですよ(笑)。子供の頃に絵を見たというのも、家にあった本を繰り返し見ていたというだけで。実は学生の時から趣味で写真をやっていたんです、廃墟を撮るのが好きで。デザイナーとして社会人になった後も、その傍らで写真スクールに通ってプリントとか現像を学んで、尚且つ同時に現代アートの作家たちと交流を持つようになって、そこを入り口にアートに触れ始めました。


__だから今回も写真を撮る、思い出として形に残す、ということがテーマの中で大切にされているんですね。今回のものも写真は三田村さんが撮影されたとのことですが、今回販売しているバッグもご自分で縫われたのですか?

三田村:私は撮影とデザインだけで、縫わないんです。瀬戸内国際芸術祭の時に女木島のMEGIFabを高松の地元の方に縫っていただいて、今回もその延長で同じ方に縫っていただきました。



__三田村さんにとって都市とはどういうものでしょう?

三田村:文化の中心でもあるし、文化の入り口でもあるのでしょうか。人が集まるところで、古くは文明が栄えるところ。水があるところ。川や海が、そういうのがあるところに都市ができるのかな、と思います。例えば海外のいろいろな都市に仕事で行ってアートセンターとか美術館に行くと、水辺があって川や運河や海があるんですよ。なので私の中で都市は水がある場所、というイメージですね。


__横浜にも海がありますね!今回や普段の展示、作品などで水に影響を受けているなと感じることはありますか?

三田村:そうですね、地方であってもやっぱり水辺には都市があるなというのを最近よく感じます。
今回の作品には直接的な影響はないですが、旅先で写真を撮る際には水辺で人を撮影することが多いです。水をテーマにした写真展をしたことがあるくらい、私にとって水は写真に撮りやすいものですね。ただ、水の写真を撮っているわけではなくて、水辺に人がいる光景を撮りやすいのかもしれないです。そこに人がいる、ということが大事なのかな。
今回も海の写真はもちろん色々な横浜の街の風景の写真がありますけど、その構図の中に人を入れる、というのが私の中での横浜の表現です。


__今回の撮影にはどれくらいの時間をかけたのでしょうか?

三田村:生活をする、ということの中から発想して制作をしてというのを重ねているので、この横浜の風景も丸4日間、毎日横浜を歩き続けて撮影しました。自分自身が街に入り込んで何度も何度も同じところを行き来して、そうして自分にとって景色が自然になったタイミングで徐々に見えてくるものを撮っているので、割と時間はかかっています。


__じゃあこの写真に写っている方々は、この撮影のために用意されたモデルさんとかではないのですか?

三田村:そうですね、その日たまたまその場にいた人なんです。
不思議なんですけど、何故か今回の写真も以前のものも、なんとなくレトロな雰囲気にできあがっちゃうんですよ。この女の子も今年(2024年)の1月に撮影しているのに、場所といい女の子といい、昭和の私自身が子供の頃のイメージをこの中にキャッチしようとしているのかなと。この氷川丸もそうですけど、全体的に私の中でどこかそういう昭和の自分が幼少期だった時の何か空気感を見出してしまうことがあります。だからみんなによく「これは今年の写真です」と伝えているんです(笑)。


__白黒の影響もあるのかもしれないですけど、日常がギュッとその瞬間に止まってしまったかのように見えますね。ちょっとこれがカラーになったところを想像してみると、パアッと今にも動き出しそうな雰囲気があると感じます。

三田村:そうかもしれないですね。……この人たちは今、どうしているんでしょうね。


 ――

 
お話を伺っているその瞬間も、三田村さんの日常の一部にお邪魔させていただいているような、そんな記憶の中に残しておきたい特別な時間になりました。
本展覧会では、三田村さんがお話ししてくださったように展示しているファブリックやバッグを実際にショップコーナーで販売しています。興味のある方はぜひお手に取ってみてください!✨

BankART Life7は6月9日までBankART Station(+他周辺各所)にて開催中です。
本展覧会のチケットはパスポート制となっていますので、ブログを見て「このインタビューを踏まえてもう一度作品が見たい!」と感じた際にはぜひまたお越しください👣

また、三田村さんは今年の秋ごろにも作品展を予定されているとのことです!三田村光土里さん、ありがとうございました。

【アートラーニング・インタビュー #13】BankART Life7 参加アーティスト・鷹野隆大 by BankART実験広報部

こんにちは、BankART実験広報部のJUNGです!

今回はLife7の会期中、みなとみらいに展示されている鷹野隆大さんにインタビューさせていただきました!
触れそうにも触れない、生命力を持っているようにも見える影の存在に気づき始め、集められた「影」のシリーズの話を中心にお話しをうかがっています!

Q. 簡単な自己紹介からお願いします。

鷹野:こんにちは、鷹野隆大と申します。写真をメインに作品を制作しています。

Q. 普段どのような写真を­撮っていますか?

鷹野:普段からカメラを持ち歩いて、用事で出かけた先で何か気になったものを撮るというスタイルです。何を撮るのかを特に決めないことを決めています。

Q. 今回の作品のコンセプトは何ですか?

鷹野:今回は「影」をメインに、日常の中で撮ってきたものの中から影が写っているものを集めて展示した作品になります。

Q. 今回の作品を通じて観客に伝えたいことがありますか?

鷹野:影って変なものだなーと常に思っているので、そのあたりを感じてもらえたら良いかなと思っています。基本的に影って何かに付随しているものなので、普通はその実体の方を中心に眺めると思います。しかし、影だけを見ているとそれが独立した生き物に見えることがあって、非常に不思議な存在だったりするので、そういうところに気付いてもらえたらいいなと思っています。

Q.「影」のシリーズを撮った場所はどこですか?

鷹野:いずれも東京国立近代美術館に行く途中の竹橋駅を出る直前あたり、パレスサイドビルというところの階段です。

Q. あの場所で撮ろうとした理由がありますか?

鷹野:撮ろうとしたというか、そこで影が動いているのを見て、面白いなと思って撮ったという順序です。

Q. 人の影を撮る魅力はなんでしょうか。

鷹野:先ほど言ったように、影の不思議さです。影が落ちるとそこに空間が生まれるというのが私の認識で、例えばここにも影が落ちていますけど(テーブルの上の手の影)、影を見るとき、人間の眼の焦点はこのテーブルに合っています。ところが影の存在を意識したとき、頭の中でイメージしている距離は、眼の焦点が合っているテーブルではなく、もっと遠くの、別の距離です。つまり、眼が機能的に見ているものと脳がイメージしているものとはズレている、二重構造になっているのです。そこがすごく面白い現象で、しかもこれは自然現象で常にいろんなところで起きています。つまり、影ができている限り、空間は常に二重性を持っていて、その、我々は一体何を見ているのだろうっていう奇妙さみたいなものを面白がれたらいいなと思っています。

Q. 写真の色が白黒に見えますが、意図的に撮ったんですか?

鷹野:場所がそもそも色味の乏しいところでもありますが、たしかに白黒に近いなと思っています。ただ、本当に白黒にしちゃうと何かちょっと違う物になるかなーっていうところもあって、微妙に色があるというところがポイントかなと思います。

Q. 過去の作品は人物を被写体として撮ってきて、今回は人の影になったのにはどんな理由がありますか?

鷹野:わたしは基本的に「見る」という行為は制度化されてしまっていると思っています。それは様々な社会的教育の結果として制度の中に落とし込まれていると考えているわけですが、その制度について問いかけるのを制作の基本にしています。なので、人を撮るっていうことだけを考えているわけではなくて、街を撮る時には街というものの位置付けみたいなものを問いかけています。人ももちろんこれから色々撮っていきますけど、大事なのは「視点の在り方」みたいなことなので、様々な角度からそのことについて問いかけていかないと自分の思っていることを上手く伝えられないなという風には考えています。そのため、様々なことにこれからも取り組んで行きたいと思っています。

Q. 次の展覧会の情報や今後の撮影の計画があったら教えてください。

鷹野:次は来年の2月下旬から、東京都写真美術館で個展を予定しています。決まった撮影の計画はないですね。普通に生活していく中で出会ったものを撮っていく。そこから何かを見つけ、考えていけたら良いなって考えています。

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テキスト:JUNG
写真:JUNG + BankART1929

【アートラーニング・インタビュー #12】BankART Life7 参加アーティスト・葭村太一 by BankART実験広報部

こんにちは実験広報部の傳田です。

「北緯35度27分43秒 東経139度37分38秒」の作者である葭村太一さんにインタビューさせていただきました。
今回展示されているのは、都市に描かれた落書き(グラフィティ)を木で彫った作品のシリーズです。GoogleMapのストリートビューで実際落書きのあった場所を見ることができ、時間と場所を行き来するような感覚になります。
永続的に残ることはないグラフィティに対する葭村さんの考えや、制作過程についてお聞きしました。

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_______木を使おうと思った理由はありますか?

葭村:僕は大学時代は建築寄りのデザインの勉強をしてたんです。それでそのままデザイン会社に就職していくんですよ。だから美術作家になろうという気持ちはその時は無くて。で、大学の時何してたんやろって考えた時に、、、デザインの課題もするんですけど、よく木工室で木で何かつくったりしてたんですよ。だからデザインの授業も受けながら、自主制作みたいな感じで木を触ってたっていうのがあって。その木を触ってた理由も特にまあ、扱いやすい材料やからとか、多分最初はそれぐらいの理由でしかなかったです。
それで、自分が美術を始めるっていう手前で彫刻っていうものを見たときに、すごいこう、なんかグッときたものがあって。そこも、深い理由はないんですけど、、、、
昔ちょっと木を触ってたっていうのがあったから、木の彫刻だったら自分でもできるな、という安易な発想から使い始めたマテリアルがたまたま木やったって感じですかね。
一応、木以外の素材も色々扱ったんですけど、また木に戻ってきたみたいな。結局この材料に落ち着きました。今は木というマテリアルが作品の重要な役割になっています。

_______タイトルの「北緯35度27分43秒 東経139度37分38秒」はどこかの場所を表しているのでしょうか。

葭村:タイトルの場所はいつも展覧会の行われる場所の座標の緯度と経度にしてます。だから今回のタイトルはこのBankART Stationのある場所なんですよ。
僕はいろんな国の壁の落書きとかをモチーフに引用してて、、、、”その場所に描かれていた”という、一種の建物とか場所の記憶みたいなものを彫刻化していくみたいな。
世界各地からGoogleMapのストリートビューを通してモチーフを探して、見つけたモチーフを木彫にして、展覧会場に集合させる、みたいなことなので、このシリーズでやる時のタイトルはいつも展覧会場の場所にしています。

_______グラフィティは犯罪ですが、この世から無くなってしまったら寂しいですか?私は見るのが好きなのでちょっと寂しいかもしれないです。

葭村:僕はちっちゃい頃は学校の机とかにちょっと落書き描くとか、まあそういうのはしてましたけど、街に書いたりはしてないんですよ。犯罪行為なんで。やりたいかやりたくないかでいうと、特にやりたい気持ちもなくて。

_______え~!そうなんですね。

葭村:グラフィティのカルチャーが好きかって言われたら全然詳しくないんですよ。まあ、こういう作品をつくり始めてから色々調べたりすることも増えたから、最低限の知識はあるんですけど、かと言って別に街に描いて自分のタグを残したいとか、そういうのは一切なくて。
だからよく、「あ、グラフィティ好きなんですね。」って言われるんですけど、作品を制作するための興味というか研究材料みたいな感じです。
たまたまこの作品シリーズのモチーフがグラフィティなだけで、グラフィティの在り方と か、人がなぜ街にそういうキャラクターや文字を残していくのか、みたいなことは興味があります。そのグラフィティを描いている側は、消えることは想定内でやってると思うんですよ。
言ったら、残したいんやったらキャンバスに描くし、スケッチブックに描くし。でも彼らは、建物とか公共の場所にそういうのを残していくっていう、、、
落書きが描かれた場所や建物も、永久に残るわけじゃないじゃないですか。
だから自分が書いた場所が壊されることもあるし、それで別に彼らは怒ったりしないし。
だけど僕はそういう一種の行為がたまたま残されたとか、一定期間しか見られへんかったものとか、そういうののちょっとエモい部分みたいなものを感じてて。永久的に残されないものだし、ああもうちょっとしたら消えちゃうんかな、とか。なんかそれを彫刻で保存していくっていう感覚に近いのかもしれないです。

_______QRコードを読んだらGoogleMapでその場所を見ることができますが、いくつか落書きが見つからないものがありました。もう消されてしまったりして無いということなのでしょうか?

葭村:QRコード読み込んだら、位置情報だけでるやつもあるんですよ。僕はいつもGoogleMapのストリートビューを使うんですけど、横浜のやつも作ろうと思って、横浜市内をストリートビューで見たんです。
そしたら何個か見つかって、実際に行ける距離なので見に行ったんですよ。いつもだったら見に行かないんですけど。
そのときにあの横断禁止の看板は自分の足で見つけたんです。だからあのモチーフは、Googleのカメラがとらえてないものなので、位置情報だけが表示されます。
これとかも(上書きされたモチーフ)、歩いて見つけた物なんですよ。おそらく、最近描かれた物で、Googleのカメラがまだ、撮影に入っていなくて、もしかしたら何ヶ月か後に撮影してアップされるかもしれないですし、Googleのカメラが来るまでに消されるかもしれないです。位置情報が出るので、今現地に行けばもしかしたらまだあるかもしれないです。
今回のためにつくった横浜の新作の一部は、自分で行けるな、と思って動いたんですけど、いつもはGoogleMapで見つけて、自分が行くことなくつくっています。

_______この彫刻が乗っている箱はなんでしょうか? マークがあって運送用の箱みたいですね。

葭村:そうですそうです。これは輸送するための梱包箱なんですよね。だからこれに入れて、運送屋さんが運ぶ、みたいな。

_______え!実際にこれで運んでいるのですね。

葭村:そうです。これが実際に輸送するものなので、海外に、輸出する時もこれに入れて送ったりするっていう。梱包箱、クレートっていうんですけど、、、、
なんか僕がやってるのって、Googleマップのデジタル上でモチーフを探して、それを遠隔でつくって、それをこの中に入れて運んだりするんですよね。で、この箱に印字されたQRコードを読むと、iPhoneとかの端末がモチーフの場所に飛ばしてくれてストリートビューの画像が見れるっていう。
言ったら、デジタル上での移動とフィジカル上での移動っていうのをこの一個の箱と彫刻で表現できないかなと思って。
だから、僕は動かずに遠隔でつくって、それを発送して、「この上において展示してください」って指示だけすれば、作品が移動して勝手に展示されるっていうことができるので、展示台とセットの作品というかんじなんです。そんな感覚でやっています。

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葭村さん、ありがとうございました!!
グラフィティのあった場所と今展示されている場所、それを自分が見ているということについて考えさせられます。
Life7の後は7月のART OSAKA Expanded Section、8月の神戸六甲ミーツ・アートで展示するそうなのでそちらも要チェックです!

葭村太一さんのホームページはこちら