ヨコハマ創造界隈アーティストトーク 開発好明 2018年5月19日

BankART Studio NYKに長期間、アトリエを構え、数多くの発表を続けて
こられた開発氏。今日も、氏らしく、これまで行った仕事の全容を誠実に語ってくれた。氏の作品紹介のかわりに、活動をまとめた小冊子「ひとり民主主義」からの文章を引用する。

開発好明は、ひとり民主主義者である。ひとりで行なうということと、民主主義という言葉は相反するように思えるが、開発はこの間ずっと、この相反するテーマに正面から取り組んできたといえよう。みんなを巻き込むような作品をつくりながらも基本的には淡々とひとりで作業を進め、決して運動体としての作品にはしない。あくまでも個人のささやかな営みとして、正義に対してアプローチし、規制に対してレジスタンスする。開発の最近のプロジェクト全てに、こういった「思想」が底流しているといえよう。

例えば、一年後に送られてくる郵便システムを構築した、「未来郵便局」は、未来への自分、友達との約束のプログラムだ。一年後、今の自分や友達とどういう信頼関係が結ばれているか。同じ気持ちで関わることができるかどうか、そうあって欲しいという気持ちが一年後まで封印される、極めてデリケートな約束(=民主主義)のプログラムだ。『あなたの思い出を一年後のあなたに届けます。あなたの気持ちを一年後の友達に届けます。手紙は一年後にポストに投函され、未来のあなたや友達に届きます。配達員 開発好明 2011』

福島原発20キロ地点に掘建小屋をたて、宿泊の招待状を衆参議員700名に送った「政治家の家」。『誰も住む事が出来なくなった場所が日本に存在している事が本当に悲しかった』と語る開発が、極めてストレートにアクションしたこのプロジェクトは、民主国家の代表者に対して、リアリティ(=民主主義)を奮い起こさせる静かで孤独なプログラムだ。実際に宿泊したものはいなかったが、週刊ビックコミックスピリッツ『美味しんぼ』というメジャーなマンガで大きく取り上げられ、話題になった。

トラックにアート作品(様々な作家の作品)を詰め込み、西日本から東日本へ移動しながら行う展覧会「デイリリーアートサーカス」。4年間で都合150日も開催した奇跡の美術館だ。地域で募金活動を行い、収益金は全て東日本大震災の被災地に寄付。この継続性(=民主主義)は誰もが真似できるものではない。ここでも開発のひとり民主主義が貫かれている。

「誰もが先生、誰もが生徒」を合言葉に、東京都の離島三宅島で行なわれた「100人先生」プロジェクト。先生と生徒、教える側と教えられる側の反転。選ばれた人間が選んだ人間を支配するだけの構造は民主主義ではない。いつでも政権は交換(=民主主義)される。この本質がこのアノニマスなプログラムの中には埋め込まれている。

空き地を畑へと転換させ、その中央に地下スタジオを作り、会期中モグラの格好をした作家が、地域や展覧会関係者を招き、連日生放送(ustream配信)を行なった「モグラTV」も極めて民主主義的なプログラムだ。放送局というパブリックな空間をモグラという動物の姿をかり、ユーモアとボトムアップ性を全面的に打ち出すことで、メディアのもつ権威性をはぎ取り、原点の姿に引き戻す作業を行なっているともいえよう。ユーモアとボトムアップ(=民主主義)は開発さんの作品に共通する財産だ。

詩人、吉本隆明が戦前、軍部の台頭の中、戦争に巻き込まれていく人たちに対して、放った言葉(詩)は、今でも個人と民主主義の関係を痛いほど考えさせてくれる。

『ひとりっきりで耐えられないから 
たくさんのひとと手をつなぐというのは嘘だから
ひとりっきりで抗争できないから
たくさんのひとと手をつなぐというのは卑怯だから       
ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる
もたれあうことをきらった反抗がたおれる』

            『転位のための十篇』から       

民主主義とは、皆で手をつなぐことで生まれる運動体ではなく、たったひとりの具体的なアクション(作品)が、具体的に他人を動かし、連鎖反応を引き起こしていく現象だ。そういった意味において、開発好明のひとり民主主義は民主主義の本質を往くプロジェクトだといえよう。

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