【アートラーニング・インタビュー #10】BankART Life7 参加アーティスト・志田塗装+酒井一吉 by BankART実験広報部


こんにちは。BankART実験広報部の石丸です!
今回は、志田塗装+酒井一吉「Anno Bomb」の作者である、酒井一吉さんにインタビューをさせていただきました!


この作品は絵画のように飾られた外壁の塗膜が不思議な魅力を放っています。どこから来たのか…何かの絵に見えるような…?そんな作品について詳しく教えていただきました!

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Q.今回出展されている作品の事について教えて下さい。

酒井: 今回は、志田塗装+酒井一吉という名義で参加していて、街の中の建物の外壁の塗膜を採取し、それをBankARTStationの壁面に構成している作品になります。

Q.塗膜を剥がす際はどのようにされたのですか?

酒井: 剥離剤という液体を塗装面に塗ると、塗膜の結合が弱くなって壁から浮いてくるので、ヘラのような物で刮ぎとっています。

Q.今回作品にキャンバス地が使われていますが、どのような意味がありますか?

酒井: 技術的な面で言うと、塗膜の厚みによって裏打ちだけで済むものと、キャンバスやパネルといった支持体に定着させないと塗膜が弱く壊れてしまうものがあるので、採取した塗膜の強度によるところが大きいです。

それ以外には、塗装を絵画として提示することによって、塗装工が建物の外壁の色を塗っている=街の中を彩る画家という見方が出来るのではないか、と考えています。
この発想には、横浜が近代塗装発祥の地と言われている歴史と日本洋画の父といわれる高橋由一の存在が大きく関係しています。近代塗装発祥の歴史については諸説ありますが、1854年にペリーが日本に再来航した際にペンキが持ち込まれ、日米和親条約の締結の場となった横浜応接所の外壁を日本人(町田辰五郎)が初めてペンキ塗装したというものや、1856年に神奈川宿の本覚寺がアメリカ領事館として使われた際に、建物をペンキで塗装されてしまったことなどに由来しています。そして、日本の美術史においても横浜は重要な土地で、高橋由一がイギリスからの特派記者として来日していたワーグマンに横浜で西洋画を学んだということは有名な話ですが、当時高橋由一らが西洋画を学んだ目的は、現代の「表現としての絵画」とは異なり、画学局に入局していたことからも物事を正確に記録するための技術、つまり殖産興業に役立つ技術の習得として始まったものでした。英語で表記すると、「絵を描く」も「塗装する」も「painting」と表記されますが、この2つの「oil painting」はもともと日本においては殖産興業という共通の目的を持って始まっています。現在では全く異なる分野として発展し、交わることがないようにみえる「塗装」と「絵画」が、再び交わる地点として志田塗装(の行為)を見ることが出来るのではないかと考えています。

もっと深掘りすると、この作品は「北亜墨利加人本牧鼻ニ切附タル文字ヲ写」という瓦版がモチーフになっています。この瓦版は、ペリーが横浜に滞在していた際に、東京湾を測量していたペリーの船員が本牧の岩壁にペンキで落書きしたという事件を伝えるものです。この作品はいろいろな場所から採取した塗膜(グラフィティの断片)をコラージュして、瓦版に描かれている岩壁の落書きを模して描いています。
その岩壁の落書きを日本におけるグラフィティの最も古い記録と捉えてみると面白い世界線が見えてくるんじゃないかと考えていて、そこから横浜を塗装・絵画・グラフィティの3つの爆心地と捉えタイトルを「Anno Bomb」にしました。

Q.この作品における、塗装とグラフィティの繋がりについて聞かせてください。

酒井: 志田塗装は、街中の塗膜を「剥がす」という行為をしていて、剥がした作品と対になる「塗膜を剥がされた壁」が街中に存在します。グラフィティにはオーバー(ゴーイング・オーバー)という考え方があり、ある基準を満たせば人が書いたものに上書き出来るというストリート独自のルールがあります。志田塗装の行為は、「剥がす」という壁面上では物質的にマイナスにする行為ですが、図としては一番上のレイヤーに見えてくるという反転が起きていて、街中にある「塗膜を剥がされた壁」が志田塗装のオーバーになっているとも言えます。
また、グラフィティの語源は、イタリア語の「graffio」や「graffito」からきていると言われていて、「引っかく、引っかれたもの」「壁や石板に刻み込まれた」などの意味があります。このことから、志田塗装の「剥がす」という行為がグラフィティの語源により近い行為なのではないかとも思っています。

Q.酒井さんは普段からグラフィティを扱った作品が多いのでしょうか?

酒井: 僕は普段、自分自身の生と繋がっている歴史や場所について考え制作しています。日々何が生まれ何が失われていているのか、場が生まれることも含め何かを残すということはどういうことなのかをメディアに縛られる事なく考えていきたいと思っています。志田塗装の作品は、日々オーバーされ変化していく都市の皮膜をアーカイブする試みとして塗装やグラフィティを扱っています。また、会場のBankART Stationは、名前の通り地下鉄の新高島駅に直結していますが、1970年代にグラフィティが流行したその舞台がNYの地下鉄である事にも重なり、会場であるBankART Stationの壁面にBomb(グラフィティを書く)して見えるように構成しています。



Q.最後に「志田塗装」という塗装会社について教えてください。

酒井: 志田塗装は、伊勢佐木町にある伊勢佐木町センタービルという築70年くらいの雑居ビルの3階に事務所があります。創業1874年の老舗の塗装屋ということになっていますが、真相について説明するのも面白くないので、Webサイト等もありますので是非皆さんの方で調べてみてください。どこからが事実でどこからが作品なのか、そのことも含めて鑑賞体験だと思っています。

志田塗装ウェブサイト https://shida-toso.com

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会期中の毎週土日は、関内地区にある伊勢佐木町センタービルでも志田塗装+酒井一吉「hallucination」の展示が行われています。あわせて是非ご観覧ください。

会場:志田塗装(横浜市中区長者町7-112 伊勢佐木町センタービル3F) 時間:14:00-18:00