BankARTスクールの校長による村田氏によるゼミが、妻有で開催された。
テーマは、僕はなぜ絵を描くのか。
からはじまって、
ヒトはなぜまだ絵を描くのか。(中略)
われにかえって、絵を描いてみよう
そこらへんにあるもので、そこらへんに描いてみよう。
という講座をみっちり4日間。
こうして、ゼミ後半には、ゼミ生による作品もBankART妻有に刻印された。
また、村田氏がここ数年少しずつ続けている「村田部屋」にも名作が加わった。
BankART妻有の目指すところは「普通の家」だ。
もちろん私たちがこの家を購入させていただく前も普通の「農家」だった。
主が私たちに移って、「大地の芸術祭の出品作の一点」になったときに、私たちの考えたことは、常に見られるという特殊な家になることは否めないけど、「家」の形式はキープしようということだった。
冬は実際に私たちでは住めないし、その他のシーズンもほとんど住んでいるわけではない。でも、会期中だけでも、スタッフが寝泊まりし、作品とともに暮らし、他人を招き入れながら、「家」をキープしようと。
その結果、様々な人たちが泊まりにくるようになった。原則、泊まりは関係者に限っているが、それでも多いときは20名ぐらいが一度に泊まることがある。とはいえ、今はお風呂もひとつしかないし、大人数がくると、食事もお風呂もパンクしてしまうので、大半はすぐ近くの「芝峠温泉」にお世話になっているのが現状だ。
まっくらな集落のなかで、ここだけが、遅く迄灯りがともり、笑い声の絶えない時間が続く。
その他もたくさん………
楢橋朝子さんによる写真の講座、全8回の最終日。2回に1回はゲストの方々をお招きしてお話を伺いつつ、受講生は毎回写真作品を講評してもらっていた。
楢橋さんは、それぞれの写真に真摯に対峙し、受講生と対話を続けてこられた。
最終回のゲストは石内都さん。過去に石内さんと楢橋さんと2人で「main(マン)」という雑誌をつくっていたときのこと、写真を始めたきっかけ、暗室作業のこと、「ひろしま」の遺品の撮影やフリーダ・カーロの遺品の撮影の時のことなどをお話いただいた。
楢橋さんも石内さんも、彼女達の作品にも現れている、その強さとしなやかさが、彼女らの発する言葉にもにじみでていて、受講生を魅了してやまなかった。
先々週はクルーズを行なった佐藤澄子ゼミ。
先週は特別ゲストに佐藤先生の知人であり、広告関係の仕事をしているリチャード氏を招いてのゼミ。
はじめて横浜を訪れるというリチャード氏に横浜をどう伝えるか、またどう伝わるか。
発表する受講生も聴く受講生にも緊張感が漂った。講評のあと、評価されてほっとする表情をみせる人もいれば、次回迄になんとしなければというプレッシャーを感じた人もいた。
そして
「横浜にはステキなものが沢山あるが、誰かを来させるまでにはどう横浜を語ればよいのだろう」
ということから始まった「横浜を友達にすすめよう」も今日が最終回。
今後これまでに蓄積した議論からどういったことが生まれていくだろうか?
本日も快晴。
オープン前に、桐山区長の小山さんが畑から採りたての枝豆を差し入れに持って来てくださった。小山さんは
この家を譲って下さった小山さんの親戚で、BankART妻有の立ち上げからお世話になっている。
その小山さんの弟さんは横浜の伝説のチーズケーキで有名な会社の経営者。また「つま正」という卸青果の会社の社長さんでもある。つま正のつまは、もちろん妻有のつま。
(もちろんこういった関係があることは家を購入して、しばらくしてからわかったことであるけども)
このあたりは、いろんな小山さんが住まれており、いろいろ差し入れを持って来て下さり、僕たちをサポートしてくれている。今日も冷たい麦茶を用意して皆さんをお待ちしております。茹でたての枝豆も食べられるかも。