下蒲刈島

下蒲刈島に昼の3時30分に到着。このあたりから、瀬戸内という感じで、実際に海上保安庁の区分けとしても、この辺りから内海なのだそうだ。島の姿が急に多くなる。
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宿の松寿苑につく。元病院を改装した広い建物。
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すぐに朝鮮通信使の資料がきちんと展示してある松濤園を見学。これまで本でみてきたものを実際に見ることができて結構リアリティ。
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その後、美術館の財団の方が、車で高台まで連れて行ってくださり、下蒲刈のパノラマを楽しみながら、朝鮮通信使がかつて到着した場所や村上水軍の説明をしてもらう。少し早い夕食後、東京農大の進士五十八さんが行ったランドスケープを散策。進士五十八さんはBankARTスクールでお世話になった方だ。美術館関係にしろ、ランドスケープにしろ、島の大きさと人口の割にはスケールが大きい。
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上関

ホテルを早朝4時30分に出発。
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上関到着9時30分。小さな船行程は少々きつい。長かった。
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ほとんどどこを見学するのかも決めないで上関にはいったが、港におりてすぐに、おもしろい人物と出会う。上関のみどりちゃんだ。明治時代に建てられた木造建築四階楼を建物を見学していると、やたらハイトーンで説明されている案内人に遭遇。我々が朝鮮通信使のプロジェクトできていることを知って急展開。すぐに事務局長を呼んでくださり、御茶屋跡、番所などを案内してもらう。
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それにしても、ご飯を食べるところがない。土産物屋のような場所で、とにかくすぐ食べれるものを購入して船に乗り込む。スケジュールが詰まっていて、焦り気味だ。12時発。真夏の瀬戸内の照り返しは強く、船内のクーラーはあまりきかない。長い船旅にみんなぐったりだ。船長たちはもっと大変なのだろうけど。
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下関から宇部

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下関を朝出発。水門のシステムを初体験。小さなスエズ運河だ。

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途中 当時の御座船のような船に遭遇する。イベントのために来航しているそうだ。

宇部港に到着。ここは朝鮮通信使とはあまり縁がないのだが、別件でBankARTに視察にこられた方々との関係もあって上陸。

船着き場に、山口大学の内田先生(元象設計集団)と市役所の冨田さん、古い友人のやはり山口大学の中野さんが迎えにきてくれる。宇部といえば、建築界では村野藤吾の建築群で、アート界では、野外彫刻で有名な場所だ。

最初に村野さんの設計した建物をリノベーションし、文化施設に展開する新プロジェクトを見学。
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そのあと休館日だった渡辺翁記念会館を特別に見学させてもらう。この建物は1937年の村野さんの有名な出世作。
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その後、野外彫刻などを展示してあるときわミュージアムへ。50年前に始まった最も古い彫刻コンペの集積を観ることができた。学芸員の山本さんがでてきてくれて説明を受ける。
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夜は近くの居酒屋で飲み会。内田先生、焼酎をよく飲む。
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対馬から下関へ

台風も通り過ごし、早朝6時45分のジェットフェリーで博多へ。本来なら多くの友人がいる博多に滞在したかったが、遅れた時間を取り戻すため、予定を変更して下関に。
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下関では博物館と長府の毛利邸などを見学。長州藩が西日本の最大の藩であったことを示す資料に何度か出くわす。特に川御座船図は、長州藩の支藩、長府藩の役割で、大阪から京都まで重要な海路を担う。
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その後、下関のリトル釜山と呼ばれる通りにある焼き肉屋で夕食。お盆のせいもあって元気があまりない。といってももうすぐ300人規模の朝鮮通信使のパレードがあるそうだ。
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台風が対馬を直撃

8月11日深夜、台風4号が、九州北部すなわち我々が滞在している対馬を直撃。
激しい雨風の中、朝出航予定の壱岐行き船は欠航。まるで絵に描いたような、当時を彷彿させる潮待ち、風待ち。
8月11日16時現在、台風一過でなんとか12日の早朝のフェリーは出航できそうだ。待てば海路の日和あり。

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対馬の朝鮮通信使をちょっぴり

対馬歴史民俗資料館へ館長阿比留さんを訪ねる。
建物の隣では昨日のアリラン祭りの衣装を洗濯中。
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対馬藩主宗氏の菩堤寺万松院へ。
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123段の階段をのぼり、大きな杉の木が鬱蒼と散立するなか、宗家代々のお墓がひっそりと佇んでいる。宗家19代宗義智は文禄慶長の役や関ヶ原役に出陣、またその後は逆に幕府と朝鮮との中に入って国交回復にも尽力した人物。偽国書の話は有名だ。

雨森芳州のお墓がある長寿院へ。芳州は対馬藩に仕え、江戸中期の朝鮮外交を担当した人物。儒教はもとより、漢詩文にも朝鮮語にも通じていたので、通信使一行にとって最も頼りになる日本人だった。
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お船江へ。当時の対馬藩の船着き場。当時の石垣が美しい。
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写真家の仁井さんの推薦で、通信使のキーパーソンである橘さん宅を訪ねる。市役所の本石さんも訪ねる。
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台風が近づいてきた。雨がぽつりぽつり、あやしい。

ジェットフェリーで釜山港から対馬へ

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国境をこえる瞬間。

対馬厳原(いづはら)へ到着。朝鮮通信使はこの厳原を経て、藩主宗家の先導で江戸に向かった。鎖国時代の日本における海外の窓口は長崎だといわれているが、当時対馬は朝鮮と大陸とを結ぶ重要な窓口として栄えていた場所だった。

朝鮮通信使の宿でもあった西山寺に宿泊。とても風とおりの良い気持ちいい建物。西山寺は、室町時代からも深く朝鮮と関係しており、豊臣秀吉の出兵によって悪化していた日朝関係を修復し、平等な友好関係を維持する役割を、この寺の僧が果たしていたらしい。
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アリラン祭

8日、対馬で開催された厳原港まつり「アリラン祭」にBankARTの別メンバーが取材。地元の方や韓国の学生らおよそ300人が参加。華やかな音楽や旗、舞踊、衣装。一回の朝鮮通信使の当時の規模は、500人の朝鮮通信使、日本人の4,000人の警護団、接客チーム、300日の往来、800億円といわれる予算。その片鱗を少しばかり感じることができた。

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釜山の2日目

釜山の2日目は、朝鮮通信使の歴史が展示されている釜山博物館へ。
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通信使の重要な研究者、辛 基秀氏が収集した資料も展示されていた。日本語が堪能な学芸員の柳 純女さんにご案内いただく。
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当時の王室の衣装を実際に着させてもらえた。

今回のプロジェクトにも関わってくれるアートスペースBandeeに向かう。代表のKim South Younさんからお話を伺う。
これまた今回参加してくれるやはり釜山に拠点があるアートスペースBaeのKim Dae hongさんたちと合流。
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朝鮮通信使が日本に向けて旅立つときに航海の安全のために海神祭を行なった永嘉台へ。
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次に、倭館があったといわれる龍頭山公園へ。倭館は当時10万坪を誇った日本人の居留地。対馬藩の人達(男性)などが約500人、交易や朝鮮通信使の接待の為に住んでいたそうだ。現在は、石碑があるだけで何も残っていない。公園として緑豊かな敷地となっている。
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そのあと釜山の巨大な市場を見学。&食事。本当にこれぞアジア。
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ソウル日本文化センター(国際交流基金)で、所長の本田氏とミート。釜山の友人たちと

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ソウルアートファンデーションのOh jinny氏 他、さらなる参加メンバーとも合流。

KTXでソウルから釜山へ。2時間50分で到着。釜山のアートスペースBaeという組織が主催している、釜山駅近くの病院跡を使ってのイベントのオープニングに参加。日韓の多くの知り合いが参加しており、飲み会へ突入。

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