この日は横浜の創造都市界隈をご案内。
Event
あいちトリエンナーレ → 横浜へ
朝一番で横浜戻りのメンバーもいたが、残りは大阪から新幹線で名古屋へ移動し、主に「あいちトリエンナーレ」を見てまわる。
愛知芸術文化センター会場、名古屋市美会場をみて、移動の途中で味噌煮込みうどんを食す。濃厚な味噌の味と固麺が特徴。
その後、納屋橋会場、長者町会場にちらばる作品群をみてまわる。ヤン・フードンなど、機材トラブルなどでいくつか見られなかった作品もあってちょっと残念。しかし、かなりの作品を効率よく見学。
会場内では、村田峰紀氏が無言でパフォーマンス中。
BankARTでお世話になっている、淺井裕介氏、木村崇人氏の作品もたっぷり堪能。
夕方、あいちトリエンナーレ・サポーターズクラブ「LOVEトリーズ」のベースステーションとなっているATカフェでN-markの武藤勇さん待ち合わせ、食事へ。
事務局をしっかり取り仕切る吉田有里さん、パフォーマンスを終えた村田峰紀さんとも合流し、夜の作品もすかさず見学して、新幹線に飛び乗り、ホーム横浜へやっと帰ってきた!!
でもまだ、続朝鮮通信使は終わらないのだ!(つづく)
大阪
船で名村造船所跡のクリエイティブセンター大阪のドックに横付け。
大阪市住之江区北加賀屋の4万平米。千島土地株式会社の方が出迎えてくれる。2004年に、新しく動き出したこのビックプロジェクトの施設と概要をアートコンプレックスのスタッフの猪股さんが案内してくれる。まだ建物全ては使用されていないが、将来にむけて可能性が広がりそうな空間群だ。今日は音楽イベントの準備をしていた。
船の旅はこれでエンド。鍵本船長、川本副船長は、涙がでそうなお別れの乾杯ラッシュを受ける。本当にわがままな航行を引き受けて下さった。感謝。
地下鉄で、大阪の生野区鶴橋のコリアンタウンヘ。藤井薫さんを中心にした水都の会の人たちが出迎えてくれる。ここは1500年も前から、朝鮮半島の方々が住まれている場所云々等、歴史的な話や朝鮮通信使に関連する話などを伺う。若いチームのリーダーからは今現在抱えているコリアンタウンの話。都市的で豊かな内容だ。ちなみに生野区の人口は14万人程度。そのうち約20%の3万人が在日だそうだ。
そのあと、商店街の人たちなど十数人が集まってくれて宴会。韓国勢の人たちは、久しぶりの韓国料理で緊張が少しほぐれたようだ。これまで中川氏が撮影してきた写真群をプロジェクターで披露。長い旅もこれで一区切りだ。今日は新大阪泊。一部が先に横浜に戻り、一部は明日愛知トリエンナーレ行きだ。
備前 室津 神戸
最初の予定では牛窓から神戸まで立ち寄る場所はなかったが、なんとか船長が時間的にいけそうだ、ということで、古代から朝鮮半島との関係が深い備前に立ち寄る。船で日生(ひなせ)につけ、電車で伊部(いんべ)に移動。備前焼の里だ。時間がないのでピンポイントで、目があったお爺さんの陶器屋さんに入る。ヒット。次から次へと面白い話をしてくれる。製造工程を順繰りに奥の部屋まで案内してくれ、最後は登り窯まで見せてくれた。英語と日本語のチャンポンで、韓国人のような顔つきのおじいさんが語る語る。おみやげにカエル。
大急ぎで、復路の電車に飛び込み日生に戻り、室津へ。漁港だ。船、あるいは旗や衣装が目立つのか、降りた瞬間、料理屋をやっているという女将が声をかけてくれる。通信使のことを話すと、詳しい人がいるからよんであげるということで、本当に詳しい方が45分間、案内をしてくれた。室津は、通信使ではとても重要な潮待ちの港。ここから播磨灘に入っていくと島がなくなる。遠浅の海岸が神戸まで続く・・・・。などと瀬戸内海のまた新しい構造がみえてくる。
江戸時代、基本的には、二階建ての住宅は許されていなかった。表側からみると一階建て+倉庫に見える建物が、実をいうと二階の奥座敷は、高い天井が確保され、豊かなつくりになっているというような建築的な話をしてくれた。派手ではないが、まちなみが自然な感じで保存されており、歩いていて心地よい。港で紹介してくれた女将の店(センター)で新鮮な魚を食する。上手い。蠣のシーズンもとてもいいそうだ。また訪れたい。
神戸。ポートタワーの真下に横付け。神戸港には船長の知り合いもいて結構すごい場所に繋留。昭和2年に建てられて旧生糸検査所へ。神戸市の本田さんが中を案内。横浜にも旧生糸検査場はあったが、それと異なってつい最近まで使用していたので、内部は綺麗に保たれている。二年後のクリエイティブセンター設立に向けて、現在アーティスト達が暫定使用している。この秋には一部着工するそうだ。総面積が16,000平米、事業費が20億円という。友人の廣中さん(神戸芸術工科大学)もゼミで活用中。キャップハウスのミーティングも行われており、藤本由紀夫さんや杉山知子さんにも偶然ミート。あと加藤義夫さんにも。前々日、小豆島のシンポジウムで同席した齋木崇人氏(神戸市統括監)たちが、迎えてくれた。
牛窓
犬島
高松から犬島へ。花崗岩(犬島みかげ)の産出で知られ、大正8年まで島の東南部で銅の精錬を行っていた。島には朽ち果てた精錬所の煙突が残っている。アーティストの柳幸典氏が十数年前から取り組んできた犬島のアートプロジェクト。現在、「精錬所」は、建築家の三分一博志氏による自然エネルギーを活用した建物と、柳さんの作品等で構成されている。
島ではいくつかの新しい家プロジェクトも進行中。犬島の家プロジェクトは、古い住宅を改修するのではなく、新しくデザインされた構築物からなっている。設計は妹島和世氏、キュレーションに長谷川祐子氏。柳さんの作品がいくつか展開されている。
小豆島(しょうどしま)へ向かう。浜辺のスー・ドーホーの作品は、遠くからみると漁業用の網にしか見えないが、近づいてみると、金銀色の小さな人型が精巧に連続して繋がって構成されており、目がまん丸。韓国の作家ということで、韓国チームで撮影。
バスをチャーターし、山中へと入る。海の景色とは一転、木々の香りと風が心地よい。明日開催のシンポジウム会場はお楽しみとして、作品鑑賞と散策しながら歩いて山をくだる。
直島
3日目は直島へ。下蒲刈島出身の福武財団の下岡さんがいろいろエスコートしてくれた。
ベネッセハウスミュージアムからLee Ufan美術館、地中美術館へとスムーズに見学。時期は異なるが、全て安藤忠雄の設計。
次は家プロジェクトが行われている地区、本村へ。インフォメーションセンターでベネッセアートサイト直島事務局長の金代さんが出迎えてくれる。この本村地区には、1998年の角屋をはじめとして、現在合計7つの家が作品化されている。
宮浦港に向かう途中、川俣正氏の向島プロジェクトを、船ならではの強みを発揮して最接近。
宮浦港では、大竹伸朗の直島銭湯「I♥湯(アイラヴユ)」を外から鑑賞、お土産品を買う。周りがいくつか新しいそれらしいやんちゃな建物がたっているのが頼もしい。フェリー発着場の建物は、妹島和世氏の名作。美しい。
豊島
芸術祭2日目は豊島(てしま)。島が少し大きいため、船を持っている強みを活かして、船で3つの港を移動することになった。まずは家浦港。偶然、今回の国際展を応援してくれているガソリンスタンドの店主が、港から離れている作品に車をだしてくれた。感謝。横尾忠則の作品は、いいも悪いもはっきりしているアプローチだ。
続いて甲生港。田園の中を歩き、元公民館を使った塩田千春さんの作品などを見る。
ぐるっとまわって唐櫃浜(からとはま)港へ。ボルタンスキーの心臓の音プロジェクトは、コンパクトだが伝わってくる作品だ。
バスで山中に入って唐櫃岡(からとおか)へ。神社横の冷たい山の水は最高。命の水だ。歩いていくと、カフェや休憩できるスペースがあり、将来プランが展示されている島キッチンが見えてくる。新しいコミュニティが出現しており、見事な配置計画だ。
高松 女木島 男木島 大島
鞆の浦から高松へ。瀬戸内国際芸術祭2010のゾーンに入る。この国際芸術祭は香川県、岡山県の7つの島々と高松港で開催されている。
まずは高松からほど近い女木島から。愛知芸大の空き屋のリノベーションプロジェクトや女木小学校を使った福武ハウスを見る。
次に男木島。平地がほとんどない島。港のすぐ前にあるおばあちゃんたちがきりもりする店で焼きそばを食べる。大きなたこが入っていておいしい。暑いのでアフターはかき氷。港近くの大岩オスカールの作品からスタート。真夏の太陽がきつい。暑くてあまり歩けないが、ゆっくりと家と家の間をくぐり抜けるように坂をのぼる。松本秋則さんの作品が、あいかわらずキューティ。
この日、最後に訪れたのは大島。国が建設したハンセン病療養所であり、言葉が悪いが隔離病棟(島)。患者はこの島につれてこられて施設に収容された。国の施設だけあって立派だ。子供をつくることが許されず、今は高齢者のみ現在約100人が暮らす。多い時では700人以上の住民がこの島で暮らしていたという。島の外へ出ることが許されずここで約2000人の人々が亡くなった。納骨堂を参拝。道で出会ったおじいさんはありがたいことに気軽に話しかけてくれた。80歳を超える。