ヨコハマ創造界隈アーティストトーク 柳澤 潤(コンテンポラリーズ/建築家) 2018年11月17日

柳澤氏は、現在、関内駅北口の駅舎と広場の設計、横浜市立上菅田小学校の建て替えの設計受託候補者に選ばれ、まさしく公共建築を中心に横浜のまちづくりに関わっている。代表作を例にお話いただく中で、特に開かれた建築とは、公共についての考えについて聞くことができた。
今年5月オープンした『日野こもれび納骨堂』は、緑豊かな公園墓地と傾斜地に建つ住宅地のちょうど中間に位置している。異なる傾斜の屋根が集合してできた建築群のような建築は、新しいランドスケープを生み出している。各棟の壁を閉じず、屋根を点で支える軽快なプロポーション、広がりを持つ空間になっている。
伊東豊雄氏とTポイント・ジャパンによる東日本大震災被災地支援「みんなの遊び場プロジェクト」のひとつとして設計した『みんなの遊び場/南相馬/2016年5月』の外観は、サーカス小屋のような可愛らしいかたちをしたインドアの砂場の遊び場。小学校と幼稚園の間に位置することで、今でも子供や保護者の憩いの場になっている。

3.11を直面し、建築の屋根のあり方について深く考えるようになったそうだ。屋根が強いと壁の量を減らしても強度を保つことができるし、また屋根は公共空間としての一体感を生み出し、ランドマークとしての発信力を持つ。開かれた建築を考える上で重要であると強調。

「建築はある意味、秩序をつくるのだけれども、使う市民、運営する行政、設計する建築家、施工する人がイーブンで自由な発言と発想が許される。使う人地域によりそう。それが人々の活動の自由度を妨げないようにしたい。」と氏が述べるように、誰もがハード、ソフトについて考えることこそが公共建築にとって重要なことであるかもしれない。横浜の現市庁舎について、「市民にとって、村野藤吾が作ったとかは重要ではないかもしれないけど、ただ壊すだけでなく、どう使うかを一市民も考える風な街になってほしい。」と最後に言及された。

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日野こもれび納骨堂

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みんなの遊び場/南相馬/2016年5月

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関内駅北口駅前広場 2020年竣工予定

R16 ~国道16号線スタジオOPEN STUDIO 2018.11.16

「R16~国道16号線スタジオ」の初めてのオープンスタジオが、開催された。
高架下の各部屋のコンディションは、内というよりも「半分以上外」といった具合の空間だ。雨風、虫、車の騒音、根岸線の電車の通過する音、そんな悪条件の中でも皆さん、結構淡々と作業をオープンの当日迄続けてこられた。ここを使用することに手をあげた人たちなので、当然といえば当然だが、実際に台風等の大変さを一度経験すると萎縮してしまいそう空間だ。まあとにかく、みんなこの空間と戦った。なぜこんなところで、無理してこんなことするの?ここを見た人はそう思うかもしれない。
でもアーティストって、新しい空間が生成することをとびきり興味をもつ人たちなので、都市の中で忘れられ、眠っていた場所が、開き、共有されることに何よりも喜びを感じるのだ。
地域の人、行政マン、一般人、アーティスト、関係者など、レセプションには約250名、3日間で800人に近い人たちがこの場所を訪れてくれた。
これからどうなっていくかは????????

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ヨコハマ創造都市を巡る リレーレクチャー 岡部友彦+河本一満 2018年11月9日

「日本三大ドヤ街」の一つと知られる寿町で活動するお二人を招いてのトーク。
コトラボ合同代表の岡部友彦氏は、利用者の高齢化により空室率の高まったドヤ(簡易宿泊所)を資源と捉え、バックパッカーなどのゲストハウス「ヨコハマホステルビレッジ」や大学と連携し学生達がキャンパス外活動を行える場など、環境づくり・運営を行なっている。生活保護受給者の増加や空き部屋の増加、高齢化といった現実に直面している寿の現状を福祉で立ち向かうのではなく、外部の人も入りやすいまちづくりをアクションすることで、地域住民達も感化され、若い人たちとの交流を楽しむ人も増えてきているとのこと。

横浜市文化観光局の職員でもある河本一満氏は、寿の現状をアートで打開できないかということで、2008年に寿オルタナティブ・ネットワークを有志で結成。アーティストが滞在して作品制作を行う「寿合宿」をはじめ、住民との交流を大切にしながら、アートプロジェクトを企画・運営している。作家達は、熱心に活動を続け、コミュニケーションが積み上がって行くことで、作家自身の意識も変わったケースが多く、滞在制作後も寿を訪れて活動してくれる作家が多いとのこと。
生活保護者たちは、通常の街では受け入れてもらうことが難しく、結果、寿に集まっているのであり、この現状は日本全体の問題であり、誰もが自身の問題として考えなければいけない。寿は、そういう人たちを受け入れる、また支える人たちが集まるあったかい街だということを知ってほしいと河本氏は強調した。

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作家矢内原充志氏より、現在、寿で活動をしているプロジェクトの説明をしていただいた。

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ヨコハマ創造界隈アーティストトーク 櫻井 淳・悦子・心平  2018年10月27日

櫻井家は、関内に事務所を構え、ともに横浜の都市計画に大きく関わってきている。
櫻井淳氏は、本町シゴカイ(2006~)からだが、その前から、市街地基本計画の調査(2000〜2003)等を行ってきた。創造都市構想には北沢猛氏とその立ち上げから関わり、創造都市事業のコンペ応募案を作成したり、黄金町エリアマネジメントセンターの設立を支援するなど、関内地区の街づくりを多く手掛けてきている。
ちなみに、横浜南協会の牧師さんでもある。

夫人の悦子氏は、長きにわたる、東京でのまちづくりコンサルタントとして活動ののち、横浜にはいってからは、夫ともに地区計画や建築協定などのルールづくり、景観形成、福祉のまちづくり、防災、緑化など様々な分野で、地域の住民のニーズを踏まえたまちづくりに携わっている。

息子である心平氏は、2003年から櫻井計画工房に入社し、建築の特に数値に関わる仕事を担当しており、例えば、横浜市の居住率とバスや鉄道などの交通カバー率、高齢化率などをメッシュ統計で、数値データ化等を行なっている。

櫻井淳氏いわく。「コミュニティ、共同体に興味を持っている」と。
学生運動を経験したこともあり、まともな建築をやるのは嫌だと思い、修論も広場で人がどういった行動をするかなどを調査し、人がどのように街をつくるかについて、ハード作りより、ソフトに可能性をおいて研究したそうだ。
横浜は行政だけでなく民間も活発に活動し、たくさんのクリエイターの住む街になった。この財産と可能性をこれからも大事にしていくべきだとお話いただいた。

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トキワビルの交流会の様子(写真:福島健士)

ヨコハマ創造都市を巡るリレーレクチャー 神部 浩 2018年10月26日

横浜トリエンナーレを長きにわたって推進してきた、文化観光局文化プログラム推進部長の神部浩氏に、トリエンナーレの歴史をスライドをみながら解説していただいた。国際展の歴史の浅い日本にとって、2001年に始まり計6回開催したヨコトリは、日本の中では先輩格とも思えるが、歩んだ軌跡は決して平坦ではなく試行錯誤の連続だったとのこと。

国際交流基金の旗ふりのもとスタートした国際展だが、横浜市は最初から狭い領域のアートプログラムにとどまるのではなく、横浜の街づくりを強く意識したプロジェクトにしたいと考えていた。1回目は竣工したばかりの横浜パシフィコの展示ホールと大改修を施した赤レンガ倉庫、2回目は山下埠頭3、4号上屋、3回目は新港ピア+日本郵船海岸通倉庫等。これらの場所は現在横浜の象徴的な場所として位置づけられており、大規模開発の最中でもある。会場の決定の段階で未来への予感(計画)をしたためていたことは確かだ。一方開発途上の場所を攻撃的に先行使用するということは、不安定要素も含まれ、その場所そのものが使えなくなるというようなアクシデントが何度もおこった。

継続についての困難さもあった。それは、動員数だけが一人歩きして、内容からのあるいは専門家からの評価が、土俵にのってこないことである。議会等から、「中止」の声がささやかれるなか、「街にひろがる」というキャッチフレーズを武器に、なんとか、市民を巻き込み、経済的にも自立し、動員をはかることで、市民権をえるプログラムに変換すべき継続した努力を続けている。

会場からの質疑応答で故北沢猛(元横浜市参与、アーバンデザイナー)氏の言葉、「ヨコトリは、創造都市のショーケース、都市の総合力が問われている」というキーワードが挙げられた。常に都市政策との関係で試行錯誤を繰り返し、チャレンジを続けていったヨコハマトリエンナーレは、今後も新しい街づくりの指標になるべく、継続されていくだろう。

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第一回の様子

ヨコハマ創造界隈アーティストトーク 川口ひろ子 2018年10月6日

横浜アパートメント、藤棚アパートメントのオーナーの川口ひろ子氏は、横浜市元参与の北沢猛氏、元副市長の小松崎隆氏とともに創造都市を作った中心メンバーの一人、文化芸術都市創造事業本部の本部長川口良一氏の奥様である。川口氏は、出版社で主に女性関係の記事、書評を行うライターとして活動している頃は、現代アート、創造都市とは無縁であったが、あるとき夫から、クリエイターの活動する施設を作るから手伝ってくれと相談を受けたのがアートと関わるきっかけとのこと。夫がなくなった現在でも、1階が共有スペースで、2階には住戸数が4部屋の「横浜アパートメント」のオーナーとして展覧会を企画・開催し続きている。また2016年には、アパートの近隣に小規模な藤棚アパートメントを構築し、地域のコミュニティ形成に寄与している。一住民として自分の好きなことを行いながら、レベルの高い活動を継続されていることには頭が下がる。

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藤棚アパートメント

ヨコハマ創造都市を巡るリレーレクチャー 岡田 勉 2018年10月5日

東京青山の文化施設「スパイラル」シニアキュレーターの岡田氏のお話を、彼らが9年運営している「象の鼻テラス」で伺った。ご存知の通り、スパイラルは下着メーカーワコールが推進する文化事業の本拠地。この「象の鼻テラス」は開港150周年記念事業として、当時横浜市が企画推進し、運営者を公募したものだが、スパイラルが、継続して運営を続けている。東京で培ってきたノウハウとセンスを駆使しながら、横浜市という公的なチームとがっぷり四つになり、確実な成果をあげてきている。メイン建物はもちろんのこと、公園や河岸を活用しながら、パブリックスペースの新しい姿を提案構築してきている。スマートイルミネーション、パラリンピックなど、館外に滲みでた評価の高いプログラムも多い。

今日の話は、岡田氏の横浜時代(小中高)から大学時代、ワコールに入社するまでのモチベーションなど、プライベートな話にも触れながらの楽しい話だったが、もともと建築家志望だったのには、少し驚いた。でもよく仕事の内容をみてみると岡田氏の仕事の廻りには、優秀な建築家の固有名詞が散らばっている。スパイラル(槇文彦設計)、バルセロナ博(隈健吾コーディネート)、アーバンリング(クールハウス、北沢猛)、アルヴァーアルトー(フィンランド)などの建築系の勇士があたり前のように顔を連ねている。

会場からは、パブリックとプライベート問題や、頑張っているけど知られていないなど、必ずといっていいほどでる辛口の質問や意見がでたが、企業人であり、行政と長くやってこられているので、さすがにさらりと交わしながら、でも本音もちくりとお話されて対応されていたのが印象的だった。

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象の鼻テラス

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青山スパイラル

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ヨコハマ創造界隈アーティストトーク 西田 司 2018年9月29日

西田氏は、ヨコハマ創造界隈でも、群を抜いて成長している建築事務所、「オンデザイン」を牽引しているリーダーだ。最近は、都市に関わる大きな仕事も手がけており、建築家というよりもコーディネーターとしての役割が増えている。都市を開くというキーワードのもと、都市の中でコミュニティの形成や共有の新しい仕方を様々な建築的な手法で実験し、切り開こうとしている。10年前に計画したアパートメントが、そうした氏の代表作として位置づけられているが、現在は大学の寮のような大規模物件まで手がけるように展開してきている。さらに、最近は大手の企業とリンクし、都市再開発に関わる実験事業も手がけており、その勢いはとまらない。数人でスタートしたオフィスは、現在は数十人を要する大所帯。大きくなるとハードルも高くなるとは思うが、ここしばらくは地域のクリエイターとのコラボレーションも含めて、ヨコハマ創造界隈を引っぱっていくことだろう。

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ヨコハマアパートメント

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複合創造拠点 泰生ポーチ

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横浜キャンパス(仮称)新国際学生寮 2019年3月竣工

ヨコハマ創造界隈アーティストトーク 川本尚毅 2018年9月22日

インダストリアルデザイナーの川本尚毅氏のトーク。川本氏は、東京造形大学デザイン科の都市環境を卒業し、その後ロンドンのRCA(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)に入学。RCAに加え、Imperial College Londonでも修士号を取得した。RCAでは何かを生み出す時、製品を裏付ける根拠やストーリーがないと、単位取得も認めてもらえないほど、アイデンティティのある創作することを求められたとのこと。共同作業がメインのゼミで、氏は語学が周囲に劣る分、徹底的なリサーチで考えぬき、手を動かして物を作りあげることを徹底的に行ったとのこと。氏の代表作であ「ORISHIKI」はこうした背景から生まれたそうだ。クラスメイトであった、ロドリゴ・ソロッサーノ氏とN&R Foldingsを立ち上げ、2012年に帰国し、シェアスタジオ新・港区にその日本支社を設立した。3dCADを駆使しながら、遠方でもやりとりしながらものづくりを進める一方、横浜で拠を構える利点として、中小企業や町工場との距離の近さが魅力に言及した。新横浜エリア等には中小製造業が多く、日常的に職人たちと接しているそうだ。海外と地域との結びながら、プロダクトデザインの領域の様々なジャンルのモノづくりをボーダレスに行っている川本氏だが、そこには、氏の優れたコミュニケーション能力が、流れていることが伝わってくるレクチャーだった。

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「ORISHIKI」

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シェアスタジオ新・港区

ヨコハマ創造界隈アーティストトーク 村田 真 2018年9月15日

村田氏は、BankARTスクールの校長を14年間、継続して担ってもらっているが、横浜に関係してからのもうひとつの顔は、「絵描き」としての村田氏だ。元々造形大学の油出身の村田氏であるが、大学2年の頃に絵を描く事は諸事情でやめたらしい。それからは「ぴあ」のスタッフとして、その後はフリーランスのジャーナリスとして、彼が日本の現代美術界ではたしてきた役割は大きい。
BankARTの関係で、横浜に関わってからは、大きくハンドルをきって長い期間封印していた「絵描き」としての活動を始めた。横浜の地に多くのシェアスタジオが誕生したのもひとつの理由だろうが、そこに村田氏個人のアトリエを設け、淡々と活動を続けている。
今回のトークでは、ジャーナリストとしての村田氏ではなく、絵描きとしての14年間の活動を伺った。現在も、ジャーナリストと絵描きの二足のわらじを続ける村田氏だが、彼のBankARTでのゼミや黄金町ゾーンで開いているレクチャーなどとリンクしながら、横浜の美術界の土俵を常に持ち上げてくれている。

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左 アートのみかた
ウエブマガン「artscape」に展覧会レヴューを書き始めた1999年からの10年間掲載したレヴュー1646本を収録。
右 BankARTスクール「戦争と美術」の講義内容をまとめた書籍。スクール校長の村田真が構成編集。

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2011年 NYKでの展示

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2011年 新港・村での展示

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