HAMArt! Vol.5 完成

美術批評の福住廉さんの「アートの綴り方」の講座は、これまでBankART スクールの定番講座としてこれまで5年間連続(一期が8回/2ヶ月/受講生は毎回異なる)で行われてきました。福住先生が熱心なのか、受講生が熱心なのか(恐らく双方)、正規のゼミが終了しても受講生有志が二週間に一度ぐらいのペースで集まり、「HAMArt!」の編集会議が続いてきました。昨年行われたスクールの「HAMArt!vol.5」編集会議は例年よりも時間を要し、パブに集まってつい最近まで熱い議論が飛び交っていました。
その「HAMArt!vol.5」がついに先日完成!今回の目玉企画に、三瀬夏之助さんと泉太郎さんの対談があり、その他、自由で豊かな各々の文章を読むことができます。無料ですが、読み応えある16ページです。
BankART Studio NYKにありますので、是非みなさんお手にとってみてください。

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続・朝鮮通信使2011春 朝鮮通信使パレード

韓国の街中に提灯が飾り付けられ、釈迦の誕生日を祝う花祭り週間の中、今日は今年で10周年を迎える朝鮮通信使パレードの日だ。通信使ゆかりの地である対馬、下関、福岡、牛窓などの日本の芸術団体と、釜山の芸術団体や地域住民ら約2000人による大規模なパレードにより、その友好を確かなものにしようとする。龍頭山公園での出発式にはBankART代表の池田も正式招待され、前日遅くまで飲み交わした釜山芸術財団のチャ・ジャエグュン(車 載根)氏も笑顔で私達を迎えてくれた。あなた方のためにと、昨夜絶妙テノールで歌われた「暗い夜の向こうに」は震災後の日本に対してなのか、あるいは日韓の間に横たわる負の歴史の向こうにも希望を見いだそうというメッセージだったのだろうか?そんなことを考えながら長いパレードの最後尾を「続・朝鮮通信使」の旗と共に歩く。
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その後、同行してくれた芸大先端卒業生のジョン・マンヨンさんに、自身のスタジオも含め市内の空間をアーティストに提供し家賃サポートする「totatoga」という、釜山芸術財団が新たに始めたプロジェクトを紹介して頂く。そのうちの一軒、女性詩人により運営される人文学カフェ「百年魚」でコーヒーを飲んで一休み。今の韓国では、人間が人間として如何に生きていく意味と価値を持つかを探究する運動や、人文学の研究が盛んだそうだ。
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続・朝鮮通信使の今回の旅程は今日が最終日。夕食会の後、屋台で飲んでいると、なんとそこに1日に訪れたブッピョン・アーツ・センターの館長チョー・キュンハン氏が!お仕事でいらしていたのだ。思わぬ再会に驚きまたも宴は続く。仏教ではこれを「縁」と言うのです、とチョーさん。霧にむせぶ釜山の夜は更けていくのだった。
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第2回横浜開港アンデパンダン展スタート

BankART Studio NYK 全館を使用し『横浜開港アンデパンダン展』がスタートしました。一昨年に引き続き、BankARTでの開催となった大きな展覧会です。
今日は、ゲストに評論家の藤島俊會氏、同じく評論家で慶應大学准教授近藤幸夫氏を迎えて、懇話会「なぜ?今アンデパンダンか?」を開催。その後続いてオープニングパーティが開かれました。
パーティには、林文子横浜市長ほか多くのゲストが出席し、市長から「横浜には、他の都市にはないすばらしい文化の土壌がある。よりこの街をつなげ、発信していきたい。」と激励の言葉がありました。突然のパフォーマンス等もあり、とても盛況なパーティーとなりました。
展覧会は5月15日(日)まで開催。最終日は15時までです。ぜひご覧下さい。

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続・朝鮮通信使2011春 朝鮮通信祭り前夜祭の日

午前中alternative art space bandeeを訪ねる。昨年の続・朝鮮通信使の夏ツアーに長期参加してくれたキュレーターのシン・ヤンヒと再会。スペース見学のあと、キム・ソンヨン(デイレクター)が活動内容の紹介してくれる。昨日、慌ただしく訪ねた際、不在だったベーのディレクター、ソーさんも会いにきてくれた。近くのレストランで二日酔いに効くしじみ汁で昼食。
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その後、チーム全体は朝鮮通信使の関係施設を見学。永嘉台、龍頭山公園(倭館跡)、釜山市博物館、それとあたらしくできた朝鮮通信使博物館。池田・細淵さんは、今回の朝鮮通信使祭の正式プログラムに参加。釜山文化財団室長のチャさんとミーティング。そのあと公式食事会(通信使関連の日本国内都市の市長級20名参加)
7時からはじまった海神祭で合流。厳かな儀式とアフターの楽しい舞などを観劇。
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このあと偉い人たちと飲みにいかねばならぬところを池田さん細淵さんはエスケープ。財団のチャさんこそ、彼らと同行しなければいけないはずなのに、飲みに誘ってくれたからだ。続・朝鮮通信使のメンバー全員で釜山浦という自家製マッコリを出している店へ。その次も、チャさん馴染の日本人経営の店(おでんの提灯もある)へ。素晴らしいカンツォーネを披露して下さった。ちなみに、ずっとパワー全開で5日と6日同行してくれた稲葉さん(韓国の現代美術研究者、今回は通訳として)のパワーは、ホテルに戻って4時まで続いたそうだ。
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続・朝鮮通信使2011春 慶州から、蔚山、釜山へ

慶州から、蔚山(ウルサン) 倭城跡、八重花弁の椿が咲く「鶴城公園」へ。ここはあとで行く「西生浦倭城」の出城。小さいが、加藤清正公が最後に立てこもって激戦のあった場所。
「長生浦クジラ博物館」へ。クジラという巨大な生き 物をめぐる韓日双方の漁民たちの生活を通して海の恵みを分け合って来たことを感じる。鯨刺身を食す。
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「西生浦倭城」へ。鎮下海水浴場を望ながら南に下り迷う。段々畑の中に石垣に挟まれた門を見つける。中に進むとガイドの方が絵看板案内の前で丁寧な説明。倭城の形を知るために坂を上る。加藤清正公の率いた軍、相対した双方の戦士たちを思い、その後この城を使った水軍と、人々の営みを思う。
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次は釜山郊外の梨畑の中にひっそりと佇むアートスペース「open space bae」へ。
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その後、市内にあるアートスペース「AGIT」へ。途中、AGIT関係で新しくできたアート・カフェにも立ち寄る。AGITは、釜山大学学生街にある元幼稚園を利用した建物。映画制作、ロックなど音楽、ダンス、美術制作支援など、規模は大きくないが総合的にクリエイターを支援する場所。建物全体にグラフィティが覆っていて、しかもいつでもだれでも入ってくることができるという、ちょっと危ない感じ。もともと釜山大学内でイレギュラーに活動していた集団から始まったとのこと。ちなみに彼らの名誉のためにいっておくと、運営チームはとてもきちんとしている。
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今日の宴は、豚焼き肉の居酒屋。韓国の地でむかえた、端午の節句は、ふたつのアートスペースの多くの若者たちと会食しつつ、更けるのでありました。
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続・朝鮮通信使2011春 慶州

今日は慶州へやってきました。慶州は、町全体が世界遺産に指定されており、日本でいう奈良のような都市。現在の韓国では外せない観光都市です。朝鮮通信使が通ったに違いない要所ではありますが、具体的な痕跡は今のところわかっていません。まずは、751年に創建された仏国寺へ。日本語の話せる地元のボランティアガイドに通信使について聞いてみましたが、慶州で縁のある場所は知らないとのことでした。次は1995年に仏国寺と共に世界文化遺産に指定された石窟庵を訪ねました。山の上部にある小さな石窟寺院ですが、穏やかな表情の仏様は美しく、金大城が前世の父母のためにこの寺院を創建したと聞くとなお趣き深いものがありました。
3カ所目は、「掛陵」という、統一新羅時代の王陵の中で最も優れた様式を持った陵。ここは、私たちの朝鮮通信使に師である仲尾先生が「ぜひ見られるのを薦めます」と教えてくださった場所。注目すべきは、陵墓から少し離れたところにある石像。このうちの一組が西洋人の顔をしているというのが有名。確かに彫りの深い顔立ちで、髪の毛も巻き毛のようになっていますが、この像、頭でっかちで、何ともユーモラス。隣の文人像や獅子の像も全体的にかわいらしい印象でした。
国立慶州博物館には、慶州で発掘された遺物3000点余りが展示されていました。広い空間と野外も使った展示もよかったのですが、印象に残ったのは「子供博物館」マンガを使った説明や古墳のパズル、粘土を使って瓦を作って遊べる場所など、大人でも楽しめるような仕掛けがいろいろ施されていて、子供たちが歓声をあげて遊んでいました。博物館はどうしてもお堅い印象がありますが、思わず笑顔になってしまうような楽しい空間でした。
今日見ることができたのは、慶州のほんの一部でしたが、ここには多くの歴史や説話が残っています。絶対に日本、朝鮮通信使との関わりもあると思うのですが・・・。何かひとつでも痕跡を見つけることができればと思わずにはいられません。

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続・朝鮮通信使2011春 テグ

朝、安東から韓国第三の都市テグへ高速バスで移動。テグ在住のアーティスト、川田剛さんに案内してもらいながら、鹿洞書院(ロクドンソウォン)を訪ねる。ここは、壬辰倭乱(文禄慶長の役)の際、日本人将軍で朝鮮に帰化した沙也可将軍(=金忠善)の資料館。沙也可から数えて17代目ともいわれる末裔の住む集落の方へ移動すると、野菜を売っている露面のマーケット。その中のひとりのお婆さんがこの里の長老に会わせてくださるということで、その家屋を訪ねる。日本の古い農家のような雰囲気。97歳のおじいさんとおばあさんは日本語も堪能で感動。

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次に数キロ足らずの場所にある、テグ市が行っているカチャンアートスタジオという廃校を利用したレジデンススペースを訪れる。BankARTでもスタジオインしていた戸田祥子さんが以前にレジデンスで参加したという事で紹介していただいたスペース。ちょうどオープンスタジオをしていて、ギャラリーやスタジオの展示を見せていただく。その後、カチャンとも関係の深い文化会館へ出向きキュレイターのパク氏にご挨拶。
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テグ市は、歴史的建造物が多く残る都市で、街づくりのために、行政関係者が一行でBankARTに視察に来られたことがある。その中のひとりである、Yoon,Sun Youngさんとやっとの思いでコンタクトが取れたと思ったら、なんと彼女はテグ市のJung-gu(中区/テグ250万都市)の区長さんで、ちょうど薬令市で開催されていた韓医薬祭りにいらっしゃるということで、そこで会う事に。会場に行ってみると、体に良さそうな食べ物や飲み物が次々に運ばれてきて、その内、報道陣や当の区長さんや副市長も現れ、思わぬもてなしを受ける。
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次に向かったのは鳳山(ぼんさん)文化通り。テグには美術系の大学が6つあるそうで、学生や作家が多く在住し、ギャラリーも数多くある。その中のいくつかを見学。
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その後、西門市場をぶらついた後、歴史的建造物が残るゾーンに入る。夕食をとるために入ったお店がよかった。旅の疲れを癒すかのような満足感を得てホテルへ。薬令に癒された日。
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続・朝鮮通信使2011春 過去と今をつなぐ旅

ソウルから釜山にむけ半島を斜めに横切る移動がはじまりました。続・朝鮮通信使の参加者のベクトルはそれぞれ異りますが、「朝鮮通信使」に関心があり、何かをしようとしているのは共通しています。多くの新しい施設やチームとの出会いも重要ですが、いにしえの朝鮮通信使のルートを素直に巡り、その場所の「過去と今」を見ることはとても大切な試みです。
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朝、ホテルからスッカラカフェのスヒャンさんが手配してくださったドライバー付きのワゴンで漢江を上流に遡り、聞慶セジェ(峠)を越え、洛東江の上流に。河の蛇行の変遷の中、孤高に残る両班(ヤンバン/貴族)の村、世界遺産の安東河回村へ。観光地的な様相を少し帯びてきてしまっていますが、中に入ると素朴で淡々とした日常的な表情が続きます。
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次に向かった目的地は、安東市街地を守るために造られたであろう安東ダムの湖の最上流に、これまた孤高な存在の陶山書院。儒教の最高学者の弟子たちが、500年続く営みを続けています。黄砂にけぶるのんびりとした自然の景色、朝鮮通信使のご一行が出てきそうな気配が、そこかしこに見受けられます。
などと格好つけて記してみたものの、藁葺き屋根のオンドル煙突の家にも、見えない場所にパラボラアンテナやベンツ。書院の寄宿舎には電気冷蔵庫。世界遺産の住民も、たくましく現代に生きておられるというのが一番の感想でした。
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安東ではスッカラカフェのスヒャンさんがコーディネートした本にも掲載される「にせ法事料理」と称する少しランクの高い夕食を頂きました。にせどころか、本当に品のいい器群とお味でした。
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続・朝鮮通信使2011春 仁川(インチョン)アートコミュ二ティーの中心

朝から仁川に向かい、ブピョンアーツセンターを訪問する。ギャラリーや巨大な舞台のあるシアター、稽古場、レストランなどからなる複合施設である。館長のチョー・キュハン氏はBankARTなど横浜のアート関連の施設の視察も含め何度も日本を訪れた親日派。東北の震災後についても、非常に心を寄せてくれている模様だ。ここで開催中の写真の展覧会「I was there」は変わりゆくソウルの街など都市にまつわる記憶をテーマにしたもので、とてもクオリティーが高く印象深かった。
その後、仁川アートプラットフォームに移動。こちらはレンガ作りの美しい巨大な倉庫群を、数十室のレジデンス施設やギャラリーに改造したものだ。横浜市からもレジデンスアーティストとして藤井雷氏が滞在していたことがある。ディレクターのセゥンミ・リー氏、チーフキュレーターのリー・ユンリー氏とミーティングしていると、次々と滞在中のアーティスト達が部屋にやって来た。続・朝鮮通信史プロジェクトに対する質問が投げかけられ、熱いやり取りが交わされる。展覧会中の彼らの作品からも、個性豊かに趣向が凝らされたスタジオからも、新しい世代のアーティストらしいエネルギーを感じ、仁川のホットなアートコミュニティーに直に触れることができた。その後、巨大な中央博物館を観覧。その後は自由行動で一部は梨大学のドミニク・ペロー建築デザインのキャンパスセンターを見に行った。
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