宮本隆司 徳之島

石内さんの作品群のさらに奥まった場所に宮本隆司の作品がある。古代から生き延びてきたこの「シダ植物」は、宮本氏の故郷の徳之島で撮影した写真だ。現在、氏はその徳之島で孤軍奮闘のアートプロジェクトを展開している。何故ここに、シダなの?なんて愚問は口にしてはいけない。宮本さんが今投げ掛けている視線(写真)が全てだ。私たちは都心部でそれを共有し、そこから感じる何かをこの場所でリレーすればいい。ここでは何が大切なのか、何を残すべきなのか。

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ランドマークプロジェクトⅤ 石内都

街の中のあき空間や歴史的建造物に積極的に関わっていくプロジェクト「ランドマークプロジェクトⅤ」が始まっている。かつて帝蚕倉庫群があった場所には、石内都のシルクをテーマにした作品群。石内さんは桐生出身で、蚕(シルク)には深く関係しており、「絹の夢」という写真集も出版されている程だ。現在、行方をまっている倉庫建築の工事用仮囲に3mクラスの鮮やかな写真が10点展示されている。帝蚕倉庫は日本の近代を支えた重要な建物で、ここに全国からシルクが集まり、新港ピア(横トリ会場)のあるふ頭から海外に輸出していたのだ。
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東アジアの夢-BankART Life 4

横トリとの連携、「東アジアの夢-BankART Life 4」がスタートした。事情があり計画をしたのが遅くなり、取り組みが遅れ気味だが、今回はアウェイではなく、ホーム(BankART Studio NYK)なので、割と落ち着いて仕事を進めることができた。
BankART Lifeの基本的な考えは毎回同じ。3年間の活動の集大成ということで、プログラムを構成している。特に今年は10周年ということもあり、様々な意味でアーカイブに焦点をあてた。全館使用しての個展のアーカイブ、大野一雄フェスのアーカイブ、これまでの出版物のアーカイブ・・・。4年目に入った続・朝鮮通信使にもファーカスした。(する。これから続・朝鮮通信使2014が始まる。9〜10月は日本韓国中国のツアー)
その他、私たちの基本的なテーマである歴史的建造物や街との関わりのプログラムも概ね実現することができた。(またブログで紹介していきます)

一方、横浜市、光州市(韓国)、泉州(中国)の推進する「東アジア文化都市」の流れもあり、そのキーワードを受けての展開もある。上記の内容を踏まえながら、「東アジア」のエレメントを意識的に反応させたプログラムになっている。
「国境の家」のようにストレートに東アジアを考える作品群を集積したり、新作の場合は必ず、「東アジア」を意識しながら、作品を創ってもらうようにお願いしている。これからも、パフォーマンス系の連続プログラムやunder35等の展覧会の連鎖等、様々なイベントが開催される。
随時、チラシ等を出しながら推進していくので、是非何度か脚を運んでください。(HPもご覧下さい)

東アジアの夢

夢をみた。
遠い昔に別れてしまった大切な人に会う為に、旅にでる夢をみた。
数百年も、数万キロもいっただろうか?どんなに歩いても、その人はみつからない。国を過ぎ、空と海を超え、戦地をくぐり抜け、干ばつと極貧を往く。夜露の中で眠っていると、祖母のような人がそっと銀色の毛布をかぶせてくれる。坂道が続く道では威厳に満ちた大きな馬に乗った人が何キロも引っ張ってくれた。大切な人にはなかなか会えないけど、たくさんの教えを受け、見知らぬ人の優しさに出会う。
それなのに先を急ごうとするあまり、その人たちの家や畑を壊してしまう。本当はごめんなさいを言いたいのに、ごめんなさいも言えずに、後ろを振り向かないで、走り続ける。道で出会った小さな子どもは、はにかみながら臆病そうにこちらを見ているが、通りすぎたあとの背中に感じるのは、憎悪と哀しみだ。
嫌悪と疲れでピークを迎え、本当に大切な人は誰なのかもわからなくなって、どうしてあのときあやまれなかったのか、どうして「ごめんなさい」と「ありがとう」を……。小さな祠で寝入ってしまう。

夢をみた。
白髪の翁がそっと肩に手をかけ、ささやきはじめる。
少し休んだら、またいきなさい。あなたが探している人は必ず見つかります。
あなたが誠実に一歩一歩、旅を続ければ。

あやまるという言葉には、誤るという意味と謝る(感謝する)という意味があること……。
岩からしみでた冷たい水で夢は覚めた。