備前 室津 神戸

最初の予定では牛窓から神戸まで立ち寄る場所はなかったが、なんとか船長が時間的にいけそうだ、ということで、古代から朝鮮半島との関係が深い備前に立ち寄る。船で日生(ひなせ)につけ、電車で伊部(いんべ)に移動。備前焼の里だ。時間がないのでピンポイントで、目があったお爺さんの陶器屋さんに入る。ヒット。次から次へと面白い話をしてくれる。製造工程を順繰りに奥の部屋まで案内してくれ、最後は登り窯まで見せてくれた。英語と日本語のチャンポンで、韓国人のような顔つきのおじいさんが語る語る。おみやげにカエル。
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大急ぎで、復路の電車に飛び込み日生に戻り、室津へ。漁港だ。船、あるいは旗や衣装が目立つのか、降りた瞬間、料理屋をやっているという女将が声をかけてくれる。通信使のことを話すと、詳しい人がいるからよんであげるということで、本当に詳しい方が45分間、案内をしてくれた。室津は、通信使ではとても重要な潮待ちの港。ここから播磨灘に入っていくと島がなくなる。遠浅の海岸が神戸まで続く・・・・。などと瀬戸内海のまた新しい構造がみえてくる。
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江戸時代、基本的には、二階建ての住宅は許されていなかった。表側からみると一階建て+倉庫に見える建物が、実をいうと二階の奥座敷は、高い天井が確保され、豊かなつくりになっているというような建築的な話をしてくれた。派手ではないが、まちなみが自然な感じで保存されており、歩いていて心地よい。港で紹介してくれた女将の店(センター)で新鮮な魚を食する。上手い。蠣のシーズンもとてもいいそうだ。また訪れたい。
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神戸。ポートタワーの真下に横付け。神戸港には船長の知り合いもいて結構すごい場所に繋留。昭和2年に建てられて旧生糸検査所へ。神戸市の本田さんが中を案内。横浜にも旧生糸検査場はあったが、それと異なってつい最近まで使用していたので、内部は綺麗に保たれている。二年後のクリエイティブセンター設立に向けて、現在アーティスト達が暫定使用している。この秋には一部着工するそうだ。総面積が16,000平米、事業費が20億円という。友人の廣中さん(神戸芸術工科大学)もゼミで活用中。キャップハウスのミーティングも行われており、藤本由紀夫さんや杉山知子さんにも偶然ミート。あと加藤義夫さんにも。前々日、小豆島のシンポジウムで同席した齋木崇人氏(神戸市統括監)たちが、迎えてくれた。
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牛窓

牛窓到着。牛窓も朝鮮通信使にとても所縁のある町だ。海遊文化館、本蓮寺等、所縁の場所を見学する。唐子踊りの映画をみる。
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また牛窓は1980年代から国際芸術祭も行っている町。大正時代に建てられた、元銀行の洋館もギャラリーとして活用されていた。造船所のゾーンなども見学したが、町全体は少し元気がないようだ。
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倉を活用したギャラリーで長老の15代当主、服部恒雄氏にミート。有名なコレクター、プロデューサーだ。祭国強の火薬の絵の作品が3点もコレクションされていたのには驚く。再び4時過ぎからボランティアのガイドの人が、街中に保存している船だんじりなどを巡りながら、町歩きをしてくれる。
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宿泊先にて、通信使の衣装を洗濯。この暑さだから毎日の洗濯は必須だ。
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小豆島

再び小豆島。朝はゆっくりのスタート。途中参加してきた人たちで、他の島に行くチームと小豆島の残りの作品鑑賞のチームに分かれる。夕方からは、シンポジウムがあるため中山地区にある王文志(ワンウェンチー)さんの作品会場に集合。台湾の学生と地域の方との協働で制作された竹でつくられたドームは、気持ちのよい風と木陰のような光が降り注ぐ空間だ。代表の池田も参加したシンポジウムには、百数十名が参加。北川さんの配慮で、続・朝鮮通信使のみんなを紹介して下さる。簡単な打ち上げのパーティのあと、人数が多くなってきた(30名近く)ので分散して宿へ。
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犬島

高松から犬島へ。花崗岩(犬島みかげ)の産出で知られ、大正8年まで島の東南部で銅の精錬を行っていた。島には朽ち果てた精錬所の煙突が残っている。アーティストの柳幸典氏が十数年前から取り組んできた犬島のアートプロジェクト。現在、「精錬所」は、建築家の三分一博志氏による自然エネルギーを活用した建物と、柳さんの作品等で構成されている。
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島ではいくつかの新しい家プロジェクトも進行中。犬島の家プロジェクトは、古い住宅を改修するのではなく、新しくデザインされた構築物からなっている。設計は妹島和世氏、キュレーションに長谷川祐子氏。柳さんの作品がいくつか展開されている。
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小豆島(しょうどしま)へ向かう。浜辺のスー・ドーホーの作品は、遠くからみると漁業用の網にしか見えないが、近づいてみると、金銀色の小さな人型が精巧に連続して繋がって構成されており、目がまん丸。韓国の作家ということで、韓国チームで撮影。
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バスをチャーターし、山中へと入る。海の景色とは一転、木々の香りと風が心地よい。明日開催のシンポジウム会場はお楽しみとして、作品鑑賞と散策しながら歩いて山をくだる。
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直島

3日目は直島へ。下蒲刈島出身の福武財団の下岡さんがいろいろエスコートしてくれた。
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ベネッセハウスミュージアムからLee Ufan美術館、地中美術館へとスムーズに見学。時期は異なるが、全て安藤忠雄の設計。
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次は家プロジェクトが行われている地区、本村へ。インフォメーションセンターでベネッセアートサイト直島事務局長の金代さんが出迎えてくれる。この本村地区には、1998年の角屋をはじめとして、現在合計7つの家が作品化されている。
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宮浦港に向かう途中、川俣正氏の向島プロジェクトを、船ならではの強みを発揮して最接近。
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宮浦港では、大竹伸朗の直島銭湯「I♥湯(アイラヴユ)」を外から鑑賞、お土産品を買う。周りがいくつか新しいそれらしいやんちゃな建物がたっているのが頼もしい。フェリー発着場の建物は、妹島和世氏の名作。美しい。
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豊島

芸術祭2日目は豊島(てしま)。島が少し大きいため、船を持っている強みを活かして、船で3つの港を移動することになった。まずは家浦港。偶然、今回の国際展を応援してくれているガソリンスタンドの店主が、港から離れている作品に車をだしてくれた。感謝。横尾忠則の作品は、いいも悪いもはっきりしているアプローチだ。
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続いて甲生港。田園の中を歩き、元公民館を使った塩田千春さんの作品などを見る。
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ぐるっとまわって唐櫃浜(からとはま)港へ。ボルタンスキーの心臓の音プロジェクトは、コンパクトだが伝わってくる作品だ。
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バスで山中に入って唐櫃岡(からとおか)へ。神社横の冷たい山の水は最高。命の水だ。歩いていくと、カフェや休憩できるスペースがあり、将来プランが展示されている島キッチンが見えてくる。新しいコミュニティが出現しており、見事な配置計画だ。
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すぐ近くでは藤浩志氏の新しい物語を企図するプログラム。
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西沢立衛+内藤礼の建設中の豊島美術館を見るために歩いて下山。60mの白い躯体は、十分完成後のスケールを予感させる。
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高松 女木島 男木島 大島

鞆の浦から高松へ。瀬戸内国際芸術祭2010のゾーンに入る。この国際芸術祭は香川県、岡山県の7つの島々と高松港で開催されている。
まずは高松からほど近い女木島から。愛知芸大の空き屋のリノベーションプロジェクトや女木小学校を使った福武ハウスを見る。
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次に男木島。平地がほとんどない島。港のすぐ前にあるおばあちゃんたちがきりもりする店で焼きそばを食べる。大きなたこが入っていておいしい。暑いのでアフターはかき氷。港近くの大岩オスカールの作品からスタート。真夏の太陽がきつい。暑くてあまり歩けないが、ゆっくりと家と家の間をくぐり抜けるように坂をのぼる。松本秋則さんの作品が、あいかわらずキューティ。
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この日、最後に訪れたのは大島。国が建設したハンセン病療養所であり、言葉が悪いが隔離病棟(島)。患者はこの島につれてこられて施設に収容された。国の施設だけあって立派だ。子供をつくることが許されず、今は高齢者のみ現在約100人が暮らす。多い時では700人以上の住民がこの島で暮らしていたという。島の外へ出ることが許されずここで約2000人の人々が亡くなった。納骨堂を参拝。道で出会ったおじいさんはありがたいことに気軽に話しかけてくれた。80歳を超える。
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鞆の浦

7時30分、今治出港。昨日お会いしたICPCの安井さんらが早朝にもかかわらず見送りにきてくれた。今治産業で有名なタオルの生地でできたストール等をいただく。暖かい。
鞆の浦に到着。潮待ち風待ちの港として歴史のある古い街。
保命酒酒造元があったので立ち寄る。保命酒は通信使にも振る舞われていたお酒で16種類の漢方薬が使われており、養命酒の原型といわれている。
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たまたま出会った船大工のおじいさんから船魂をいただく。この町最後の船大工だそうだ。船魂は?・・・ 調べてみて下さい。
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副禅寺 対潮楼。この寺は朝鮮通信使のための迎賓館として使用された場所。客殿からの眺望は「日東第一形勝(朝鮮より東で一番美しい景勝地)」と賞賛されたらしい。
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次に太田家住宅。元々は保命酒の酒蔵など、9棟が立ち並ぶ大豪邸。大名の宿舎でもあり、間のしつらえや空間のつくりはすばらしい。かなり痛んでいたものを数億かけて復元修復したそうだ。
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マスコミにも報じられているが、鞆の浦ではこの湾にかける架橋計画が問題になっている。2階の客間から港を眺めるが、この眺めを壊してまで本当に橋が必要か。だれもがそう思う立地と美しさを保持している入り江だった。
中国新聞の取材を受ける。次の朝刊に掲載される。鞆の浦の宿に宿泊。

今治

下蒲刈島から出港。今日は今治市の大三島、大島、今治を巡る。
大三島へ到着。今回衣装のデザインをしてくれたスタジオニブロールの矢内原充志さんたちが迎えにきてくれていた。
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写真は伊東豊雄建築ミュージアムの敷地。シルバーハットとスチールハットの建設を予定。市は今治出身の建築家丹下健三設計の建築物が多く残されていることもあり、「建築のまち」として街づくりを推進している。今回のミュージアムもこの背景があり建設に至っている。まだ基礎を作っている最中で矢内原さんもディレクターとして参加している。
隣にはコレクターの私設美術館、ところミュージアム。
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続いて、大島にある亀老山展望公園へ。隈研吾氏による設計。コンクリートの壁をのぼり抜けると、一気に視界が開ける。瀬戸内海の島々と本州を一望する。
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村上水軍博物館へ。館長さんに案内してもらう。
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最大の海賊と呼ばれていた村上水軍。瀬戸内海の制海権を握り、海上に関を設定して通行料を徴収したり、朝鮮通信使とのも関係も深く、来航した際に護衛も行ったりしていた。展示されている文書や模型などからも当時の圧倒的な戦力、藩主に負けない力を持っていたことを伺うことができた。

次に、長さおよそ4kmの来島海峡大橋を渡り、今治市中心地へ。
今治では港の再生プロジェクトが進行している。設計は原広司さんがコンペによって決定した。その推進の一翼を担うのが、シビックプライドセンターだ。事務局(ICPC)に関係する皆さんとお会いする。現在は諸事情があり、プロジェクトはストップしているが、シンポジウムやワークショップなどを行いながら、少しずつ推進している。
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下蒲刈島

下蒲刈島に昼の3時30分に到着。このあたりから、瀬戸内という感じで、実際に海上保安庁の区分けとしても、この辺りから内海なのだそうだ。島の姿が急に多くなる。
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宿の松寿苑につく。元病院を改装した広い建物。
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すぐに朝鮮通信使の資料がきちんと展示してある松濤園を見学。これまで本でみてきたものを実際に見ることができて結構リアリティ。
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その後、美術館の財団の方が、車で高台まで連れて行ってくださり、下蒲刈のパノラマを楽しみながら、朝鮮通信使がかつて到着した場所や村上水軍の説明をしてもらう。少し早い夕食後、東京農大の進士五十八さんが行ったランドスケープを散策。進士五十八さんはBankARTスクールでお世話になった方だ。美術館関係にしろ、ランドスケープにしろ、島の大きさと人口の割にはスケールが大きい。
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