犬島

高松から犬島へ。花崗岩(犬島みかげ)の産出で知られ、大正8年まで島の東南部で銅の精錬を行っていた。島には朽ち果てた精錬所の煙突が残っている。アーティストの柳幸典氏が十数年前から取り組んできた犬島のアートプロジェクト。現在、「精錬所」は、建築家の三分一博志氏による自然エネルギーを活用した建物と、柳さんの作品等で構成されている。
820-101.jpg
8.20-1.jpg

島ではいくつかの新しい家プロジェクトも進行中。犬島の家プロジェクトは、古い住宅を改修するのではなく、新しくデザインされた構築物からなっている。設計は妹島和世氏、キュレーションに長谷川祐子氏。柳さんの作品がいくつか展開されている。
820-103.jpg820-104.jpg

小豆島(しょうどしま)へ向かう。浜辺のスー・ドーホーの作品は、遠くからみると漁業用の網にしか見えないが、近づいてみると、金銀色の小さな人型が精巧に連続して繋がって構成されており、目がまん丸。韓国の作家ということで、韓国チームで撮影。
ct-198.jpg
8.20-3.jpg

バスをチャーターし、山中へと入る。海の景色とは一転、木々の香りと風が心地よい。明日開催のシンポジウム会場はお楽しみとして、作品鑑賞と散策しながら歩いて山をくだる。
8.20-4.jpg820-108.jpg

直島

3日目は直島へ。下蒲刈島出身の福武財団の下岡さんがいろいろエスコートしてくれた。
8.19-1.jpg

ベネッセハウスミュージアムからLee Ufan美術館、地中美術館へとスムーズに見学。時期は異なるが、全て安藤忠雄の設計。
819-102.jpg819-105.jpg

次は家プロジェクトが行われている地区、本村へ。インフォメーションセンターでベネッセアートサイト直島事務局長の金代さんが出迎えてくれる。この本村地区には、1998年の角屋をはじめとして、現在合計7つの家が作品化されている。
819-107.jpg819-108.jpg

宮浦港に向かう途中、川俣正氏の向島プロジェクトを、船ならではの強みを発揮して最接近。
819-111.jpg

宮浦港では、大竹伸朗の直島銭湯「I♥湯(アイラヴユ)」を外から鑑賞、お土産品を買う。周りがいくつか新しいそれらしいやんちゃな建物がたっているのが頼もしい。フェリー発着場の建物は、妹島和世氏の名作。美しい。
8.19-3.jpg8.19-4.jpg

豊島

芸術祭2日目は豊島(てしま)。島が少し大きいため、船を持っている強みを活かして、船で3つの港を移動することになった。まずは家浦港。偶然、今回の国際展を応援してくれているガソリンスタンドの店主が、港から離れている作品に車をだしてくれた。感謝。横尾忠則の作品は、いいも悪いもはっきりしているアプローチだ。
8.18-1.jpg
8.18-2.jpg

続いて甲生港。田園の中を歩き、元公民館を使った塩田千春さんの作品などを見る。
818-101.jpg8.18-3.jpg

ぐるっとまわって唐櫃浜(からとはま)港へ。ボルタンスキーの心臓の音プロジェクトは、コンパクトだが伝わってくる作品だ。
818-103.jpg

バスで山中に入って唐櫃岡(からとおか)へ。神社横の冷たい山の水は最高。命の水だ。歩いていくと、カフェや休憩できるスペースがあり、将来プランが展示されている島キッチンが見えてくる。新しいコミュニティが出現しており、見事な配置計画だ。
8.18-6.jpg

すぐ近くでは藤浩志氏の新しい物語を企図するプログラム。
8.18-5.jpg

西沢立衛+内藤礼の建設中の豊島美術館を見るために歩いて下山。60mの白い躯体は、十分完成後のスケールを予感させる。
8.18-7.jpg

高松 女木島 男木島 大島

鞆の浦から高松へ。瀬戸内国際芸術祭2010のゾーンに入る。この国際芸術祭は香川県、岡山県の7つの島々と高松港で開催されている。
まずは高松からほど近い女木島から。愛知芸大の空き屋のリノベーションプロジェクトや女木小学校を使った福武ハウスを見る。
8.16-6.jpg
8.16-7.jpg

次に男木島。平地がほとんどない島。港のすぐ前にあるおばあちゃんたちがきりもりする店で焼きそばを食べる。大きなたこが入っていておいしい。暑いのでアフターはかき氷。港近くの大岩オスカールの作品からスタート。真夏の太陽がきつい。暑くてあまり歩けないが、ゆっくりと家と家の間をくぐり抜けるように坂をのぼる。松本秋則さんの作品が、あいかわらずキューティ。
8.16-8.jpg
8.16-9.jpg

この日、最後に訪れたのは大島。国が建設したハンセン病療養所であり、言葉が悪いが隔離病棟(島)。患者はこの島につれてこられて施設に収容された。国の施設だけあって立派だ。子供をつくることが許されず、今は高齢者のみ現在約100人が暮らす。多い時では700人以上の住民がこの島で暮らしていたという。島の外へ出ることが許されずここで約2000人の人々が亡くなった。納骨堂を参拝。道で出会ったおじいさんはありがたいことに気軽に話しかけてくれた。80歳を超える。
8.16-10.jpg
8.16-12.jpg

鞆の浦

7時30分、今治出港。昨日お会いしたICPCの安井さんらが早朝にもかかわらず見送りにきてくれた。今治産業で有名なタオルの生地でできたストール等をいただく。暖かい。
鞆の浦に到着。潮待ち風待ちの港として歴史のある古い街。
保命酒酒造元があったので立ち寄る。保命酒は通信使にも振る舞われていたお酒で16種類の漢方薬が使われており、養命酒の原型といわれている。
8.15-2.jpg

たまたま出会った船大工のおじいさんから船魂をいただく。この町最後の船大工だそうだ。船魂は?・・・ 調べてみて下さい。
8.16-3.jpg

副禅寺 対潮楼。この寺は朝鮮通信使のための迎賓館として使用された場所。客殿からの眺望は「日東第一形勝(朝鮮より東で一番美しい景勝地)」と賞賛されたらしい。
8.16-4.jpg

次に太田家住宅。元々は保命酒の酒蔵など、9棟が立ち並ぶ大豪邸。大名の宿舎でもあり、間のしつらえや空間のつくりはすばらしい。かなり痛んでいたものを数億かけて復元修復したそうだ。
8.16-5.jpg
マスコミにも報じられているが、鞆の浦ではこの湾にかける架橋計画が問題になっている。2階の客間から港を眺めるが、この眺めを壊してまで本当に橋が必要か。だれもがそう思う立地と美しさを保持している入り江だった。
中国新聞の取材を受ける。次の朝刊に掲載される。鞆の浦の宿に宿泊。

今治

下蒲刈島から出港。今日は今治市の大三島、大島、今治を巡る。
大三島へ到着。今回衣装のデザインをしてくれたスタジオニブロールの矢内原充志さんたちが迎えにきてくれていた。
8.15-1.jpg
8.15-2.jpg

8.15-3.jpg
写真は伊東豊雄建築ミュージアムの敷地。シルバーハットとスチールハットの建設を予定。市は今治出身の建築家丹下健三設計の建築物が多く残されていることもあり、「建築のまち」として街づくりを推進している。今回のミュージアムもこの背景があり建設に至っている。まだ基礎を作っている最中で矢内原さんもディレクターとして参加している。
隣にはコレクターの私設美術館、ところミュージアム。
8.15-4.jpg

続いて、大島にある亀老山展望公園へ。隈研吾氏による設計。コンクリートの壁をのぼり抜けると、一気に視界が開ける。瀬戸内海の島々と本州を一望する。
8.15-5.jpg

村上水軍博物館へ。館長さんに案内してもらう。
8.15-6.jpg8.15-7.jpg
最大の海賊と呼ばれていた村上水軍。瀬戸内海の制海権を握り、海上に関を設定して通行料を徴収したり、朝鮮通信使とのも関係も深く、来航した際に護衛も行ったりしていた。展示されている文書や模型などからも当時の圧倒的な戦力、藩主に負けない力を持っていたことを伺うことができた。

次に、長さおよそ4kmの来島海峡大橋を渡り、今治市中心地へ。
今治では港の再生プロジェクトが進行している。設計は原広司さんがコンペによって決定した。その推進の一翼を担うのが、シビックプライドセンターだ。事務局(ICPC)に関係する皆さんとお会いする。現在は諸事情があり、プロジェクトはストップしているが、シンポジウムやワークショップなどを行いながら、少しずつ推進している。
8.15-8.jpg8.15-9.jpg

下蒲刈島

下蒲刈島に昼の3時30分に到着。このあたりから、瀬戸内という感じで、実際に海上保安庁の区分けとしても、この辺りから内海なのだそうだ。島の姿が急に多くなる。
IMG_8380.jpgIMG_8418.jpg

宿の松寿苑につく。元病院を改装した広い建物。
IMG_8394.jpg

すぐに朝鮮通信使の資料がきちんと展示してある松濤園を見学。これまで本でみてきたものを実際に見ることができて結構リアリティ。
IMG_8409.jpg

その後、美術館の財団の方が、車で高台まで連れて行ってくださり、下蒲刈のパノラマを楽しみながら、朝鮮通信使がかつて到着した場所や村上水軍の説明をしてもらう。少し早い夕食後、東京農大の進士五十八さんが行ったランドスケープを散策。進士五十八さんはBankARTスクールでお世話になった方だ。美術館関係にしろ、ランドスケープにしろ、島の大きさと人口の割にはスケールが大きい。
IMG_8466.jpg
IMG_8473.jpg

上関

ホテルを早朝4時30分に出発。
IMG_8154.jpg
IMG_8162.jpg

上関到着9時30分。小さな船行程は少々きつい。長かった。
IMG_8184.jpgIMG_8204.jpgIMG_8213.jpg

ほとんどどこを見学するのかも決めないで上関にはいったが、港におりてすぐに、おもしろい人物と出会う。上関のみどりちゃんだ。明治時代に建てられた木造建築四階楼を建物を見学していると、やたらハイトーンで説明されている案内人に遭遇。我々が朝鮮通信使のプロジェクトできていることを知って急展開。すぐに事務局長を呼んでくださり、御茶屋跡、番所などを案内してもらう。
IMG_8224.jpgIMG_8254.jpg
IMG_8240.jpg
IMG_8295.jpg
IMG_8266.jpgIMG_8301.jpgIMG_8337.jpg

それにしても、ご飯を食べるところがない。土産物屋のような場所で、とにかくすぐ食べれるものを購入して船に乗り込む。スケジュールが詰まっていて、焦り気味だ。12時発。真夏の瀬戸内の照り返しは強く、船内のクーラーはあまりきかない。長い船旅にみんなぐったりだ。船長たちはもっと大変なのだろうけど。
IMG_8362.jpg

下関から宇部

IMG_7940.jpgIMG_7943.jpg
下関を朝出発。水門のシステムを初体験。小さなスエズ運河だ。

IMG_7986.jpgIMG_7995.jpg
途中 当時の御座船のような船に遭遇する。イベントのために来航しているそうだ。

宇部港に到着。ここは朝鮮通信使とはあまり縁がないのだが、別件でBankARTに視察にこられた方々との関係もあって上陸。

船着き場に、山口大学の内田先生(元象設計集団)と市役所の冨田さん、古い友人のやはり山口大学の中野さんが迎えにきてくれる。宇部といえば、建築界では村野藤吾の建築群で、アート界では、野外彫刻で有名な場所だ。

最初に村野さんの設計した建物をリノベーションし、文化施設に展開する新プロジェクトを見学。
IMG_8040.jpgIMG_8057.jpg

そのあと休館日だった渡辺翁記念会館を特別に見学させてもらう。この建物は1937年の村野さんの有名な出世作。
IMG_8063.jpg
IMG_8085.jpg
IMG_8096.jpg

その後、野外彫刻などを展示してあるときわミュージアムへ。50年前に始まった最も古い彫刻コンペの集積を観ることができた。学芸員の山本さんがでてきてくれて説明を受ける。
ときわ.jpg

夜は近くの居酒屋で飲み会。内田先生、焼酎をよく飲む。
IMG_8141.jpg

対馬から下関へ

台風も通り過ごし、早朝6時45分のジェットフェリーで博多へ。本来なら多くの友人がいる博多に滞在したかったが、遅れた時間を取り戻すため、予定を変更して下関に。
IMG_7727.jpg
IMG_7783.jpg

下関では博物館と長府の毛利邸などを見学。長州藩が西日本の最大の藩であったことを示す資料に何度か出くわす。特に川御座船図は、長州藩の支藩、長府藩の役割で、大阪から京都まで重要な海路を担う。
IMG_7819.jpgIMG_7842.jpg

その後、下関のリトル釜山と呼ばれる通りにある焼き肉屋で夕食。お盆のせいもあって元気があまりない。といってももうすぐ300人規模の朝鮮通信使のパレードがあるそうだ。
IMG_7889.jpg
IMG_7891.jpg
IMG_7901.jpg