今日は慶州へやってきました。慶州は、町全体が世界遺産に指定されており、日本でいう奈良のような都市。現在の韓国では外せない観光都市です。朝鮮通信使が通ったに違いない要所ではありますが、具体的な痕跡は今のところわかっていません。まずは、751年に創建された仏国寺へ。日本語の話せる地元のボランティアガイドに通信使について聞いてみましたが、慶州で縁のある場所は知らないとのことでした。次は1995年に仏国寺と共に世界文化遺産に指定された石窟庵を訪ねました。山の上部にある小さな石窟寺院ですが、穏やかな表情の仏様は美しく、金大城が前世の父母のためにこの寺院を創建したと聞くとなお趣き深いものがありました。
3カ所目は、「掛陵」という、統一新羅時代の王陵の中で最も優れた様式を持った陵。ここは、私たちの朝鮮通信使に師である仲尾先生が「ぜひ見られるのを薦めます」と教えてくださった場所。注目すべきは、陵墓から少し離れたところにある石像。このうちの一組が西洋人の顔をしているというのが有名。確かに彫りの深い顔立ちで、髪の毛も巻き毛のようになっていますが、この像、頭でっかちで、何ともユーモラス。隣の文人像や獅子の像も全体的にかわいらしい印象でした。
国立慶州博物館には、慶州で発掘された遺物3000点余りが展示されていました。広い空間と野外も使った展示もよかったのですが、印象に残ったのは「子供博物館」マンガを使った説明や古墳のパズル、粘土を使って瓦を作って遊べる場所など、大人でも楽しめるような仕掛けがいろいろ施されていて、子供たちが歓声をあげて遊んでいました。博物館はどうしてもお堅い印象がありますが、思わず笑顔になってしまうような楽しい空間でした。
今日見ることができたのは、慶州のほんの一部でしたが、ここには多くの歴史や説話が残っています。絶対に日本、朝鮮通信使との関わりもあると思うのですが・・・。何かひとつでも痕跡を見つけることができればと思わずにはいられません。
Event
続・朝鮮通信使2011春 テグ
朝、安東から韓国第三の都市テグへ高速バスで移動。テグ在住のアーティスト、川田剛さんに案内してもらいながら、鹿洞書院(ロクドンソウォン)を訪ねる。ここは、壬辰倭乱(文禄慶長の役)の際、日本人将軍で朝鮮に帰化した沙也可将軍(=金忠善)の資料館。沙也可から数えて17代目ともいわれる末裔の住む集落の方へ移動すると、野菜を売っている露面のマーケット。その中のひとりのお婆さんがこの里の長老に会わせてくださるということで、その家屋を訪ねる。日本の古い農家のような雰囲気。97歳のおじいさんとおばあさんは日本語も堪能で感動。
次に数キロ足らずの場所にある、テグ市が行っているカチャンアートスタジオという廃校を利用したレジデンススペースを訪れる。BankARTでもスタジオインしていた戸田祥子さんが以前にレジデンスで参加したという事で紹介していただいたスペース。ちょうどオープンスタジオをしていて、ギャラリーやスタジオの展示を見せていただく。その後、カチャンとも関係の深い文化会館へ出向きキュレイターのパク氏にご挨拶。
テグ市は、歴史的建造物が多く残る都市で、街づくりのために、行政関係者が一行でBankARTに視察に来られたことがある。その中のひとりである、Yoon,Sun Youngさんとやっとの思いでコンタクトが取れたと思ったら、なんと彼女はテグ市のJung-gu(中区/テグ250万都市)の区長さんで、ちょうど薬令市で開催されていた韓医薬祭りにいらっしゃるということで、そこで会う事に。会場に行ってみると、体に良さそうな食べ物や飲み物が次々に運ばれてきて、その内、報道陣や当の区長さんや副市長も現れ、思わぬもてなしを受ける。
次に向かったのは鳳山(ぼんさん)文化通り。テグには美術系の大学が6つあるそうで、学生や作家が多く在住し、ギャラリーも数多くある。その中のいくつかを見学。
その後、西門市場をぶらついた後、歴史的建造物が残るゾーンに入る。夕食をとるために入ったお店がよかった。旅の疲れを癒すかのような満足感を得てホテルへ。薬令に癒された日。
続・朝鮮通信使2011春 過去と今をつなぐ旅
ソウルから釜山にむけ半島を斜めに横切る移動がはじまりました。続・朝鮮通信使の参加者のベクトルはそれぞれ異りますが、「朝鮮通信使」に関心があり、何かをしようとしているのは共通しています。多くの新しい施設やチームとの出会いも重要ですが、いにしえの朝鮮通信使のルートを素直に巡り、その場所の「過去と今」を見ることはとても大切な試みです。
朝、ホテルからスッカラカフェのスヒャンさんが手配してくださったドライバー付きのワゴンで漢江を上流に遡り、聞慶セジェ(峠)を越え、洛東江の上流に。河の蛇行の変遷の中、孤高に残る両班(ヤンバン/貴族)の村、世界遺産の安東河回村へ。観光地的な様相を少し帯びてきてしまっていますが、中に入ると素朴で淡々とした日常的な表情が続きます。
次に向かった目的地は、安東市街地を守るために造られたであろう安東ダムの湖の最上流に、これまた孤高な存在の陶山書院。儒教の最高学者の弟子たちが、500年続く営みを続けています。黄砂にけぶるのんびりとした自然の景色、朝鮮通信使のご一行が出てきそうな気配が、そこかしこに見受けられます。
などと格好つけて記してみたものの、藁葺き屋根のオンドル煙突の家にも、見えない場所にパラボラアンテナやベンツ。書院の寄宿舎には電気冷蔵庫。世界遺産の住民も、たくましく現代に生きておられるというのが一番の感想でした。
安東ではスッカラカフェのスヒャンさんがコーディネートした本にも掲載される「にせ法事料理」と称する少しランクの高い夕食を頂きました。にせどころか、本当に品のいい器群とお味でした。
続・朝鮮通信使2011春 仁川(インチョン)アートコミュ二ティーの中心
朝から仁川に向かい、ブピョンアーツセンターを訪問する。ギャラリーや巨大な舞台のあるシアター、稽古場、レストランなどからなる複合施設である。館長のチョー・キュハン氏はBankARTなど横浜のアート関連の施設の視察も含め何度も日本を訪れた親日派。東北の震災後についても、非常に心を寄せてくれている模様だ。ここで開催中の写真の展覧会「I was there」は変わりゆくソウルの街など都市にまつわる記憶をテーマにしたもので、とてもクオリティーが高く印象深かった。
その後、仁川アートプラットフォームに移動。こちらはレンガ作りの美しい巨大な倉庫群を、数十室のレジデンス施設やギャラリーに改造したものだ。横浜市からもレジデンスアーティストとして藤井雷氏が滞在していたことがある。ディレクターのセゥンミ・リー氏、チーフキュレーターのリー・ユンリー氏とミーティングしていると、次々と滞在中のアーティスト達が部屋にやって来た。続・朝鮮通信史プロジェクトに対する質問が投げかけられ、熱いやり取りが交わされる。展覧会中の彼らの作品からも、個性豊かに趣向が凝らされたスタジオからも、新しい世代のアーティストらしいエネルギーを感じ、仁川のホットなアートコミュニティーに直に触れることができた。その後、巨大な中央博物館を観覧。その後は自由行動で一部は梨大学のドミニク・ペロー建築デザインのキャンパスセンターを見に行った。
続・朝鮮通信使2011春 ソウル
どしゃ降りの雨の中、ソウルの新堂(シンダン)にあるアートスぺースへ。しかし迷ったあげく着いたのはなぜか大きなアーケードのある巨大食品市場。それも店の前の道路に、また別の露店が二重構造となってひしめく、いかにも昔ながらのソウルという感じのところ。肝心のアートセンターはどこ?市場の真ん中まで歩くと突然、地下へ降りる不思議な階段が・・。恐る恐る下るとそこには、地上の喧騒とは無縁の秘密基地ならぬ、アーティストスタジオが点在する異次元空間が広がっていました。ここは繊維関連の市場でしたが、空きが多いため、ソウル芸術文化財団が主に若手アーティストのスタジオとして整備したもの。その数はざっと50箇所以上、全体の約4割をしめる。歴史は夜、アートは地下で?創られる!どちらもやや薄暗いところが、共通しているようです。
そのあとBankARTと交流事業を提携しているグムチョンアートスペースへ。矢内原さんも同行。つい最近まで藤井雷さんが滞在していた場所だ。スタジオ、展覧会会場を案内してもらう。オープンの際に訪れたことがあるが、アットホームな感じで推移しているように思えた。
次の訪れたのはムンレイにあるソウル芸術文化財団が新築したアートスペース。ここで知り合いのアーティスト、キムガンと合流。すぐ近くで彼女自らがイニシアティブをとって運営している町工場の2階を中心に活動しているアートビレッジを案内してもらう。
そのあと弘大(ホンデ)にあるキムスヒョンさんが経営するスッカラカフェへ。日本からの合流組、韓国の友人やBankARTでTETSUSONに参加している歴代の韓国の若い作家たちが集まってきてしばしの宴会。楽しいソウルの夜でした。
続・朝鮮通信使2011春 京幾道
国立美術館が運営しているキョンギドウにある goyang art studioに、ニブロールの矢内原美邦さんがレジデンスしているので訪ねる。
そのあと、彼女や他のレジデントアーティストも同行して、車で15分ぐらいのところの以前BankARTを訪ねてくれたアーティストランのチームFREEZOOMへ。事務所やカフェ、ワークショップルームを拝見。軽快な空間が続く。昼食に美味しいプリコギを御馳走になる。
そのあと、ここのメンバーも同行して北朝鮮との国境線の近くにあるヘイリ芸術村へ。広大な敷地の中に90にも及ぶ現代建築群がひしめく巨大なプロジェクト。驚くべきことにそのほとんどがギャラリーやアートショップ。なぜこんな郊外地区にこんなプロジェクトが可能なのか?その謎はあとで解けるのだが、とにかくちょっと信じられない光景。研究会メンバー知人のアーティスト寺島みどりさんが滞在制作しているというので、アトリエを訪ねる。短い時間の中、充実した時間を過ごしているようだった。英語のできる施設の兄ちゃんが電気自動車でツアーガイドしてくれた。どこもかなり遠く、車疲れしたけれど、中身の濃い一日だった。
夜はFREEZOOMのメンバーとともに、BankARTに滞在制作したアーティスト パクチャンと高速道路ガード下の飲み屋で。これも濃いセレクションでした。
続・朝鮮通信使2011春
昨年夏に主に瀬戸内を中心に巡った「続・朝鮮通信使」の第二弾がスタートします。今年の春ツアー(4.28〜5.8)は、釜山に朝鮮通信使の博物館が開館したお祝いも含めて、「続・朝鮮通信使研究会」のメンバー10〜15名でソウル(インチョン、キョンギドウ)〜安東〜テグ〜慶州〜ウルサン〜釜山をめぐります。韓国国内は朝鮮通信使の遺蹟、史跡は少ないですが、このプロジェクトは「続」、すなわち新しい日韓の交流プログラムですので、BankARTにいらして下さった街づくりチームや新しく動き出した施設等を訪ねての返礼の旅でもあります。秋にはもう少しロングで、ソウル〜釜山を西側周りでいく予定です。
ときおり旅の報告を行いたいと思います。